いまから6年前、日本中の話題をさらった日大アメフト部の“悪質タックル問題”。渦中のチームで司令塔を務めていたのは、その前年に弱冠18歳のルーキーながらチームを27年ぶりの日本一に導いていた男だった。あの時、チームでは一体、何が起こっていたのか。かつての天才QBが語った、いまはなき“堕ちた不死鳥”が迷い込んだ迷宮の真実とは。《NumberWebインタビュー全3回の最終回》

 日大フェニックスでエースQBとして激動の4年間を過ごした林大希。

 現在は会社員として勤務の傍ら、2023年の夏からは東海大のコーチとして大学フットボール界へと復帰した。

 1年生としては史上初となる年間最優秀選手賞を受賞しながら、その後は“悪質タックル問題”に端を発した様々な困難の中でプレーしてきた林。

 4年時には再び甲子園ボウルへの切符をつかみ、3年ぶりにエースナンバーの背番号「10」を身につけて試合に出場。当日はリーグ優勝決定戦で痛めた肩に痛み止めのブロック注射を打ち、満身創痍の中でもあったが、タッチダウンパスも決めた。結果的に試合は24-42で敗れたが、類稀な存在感を示した。

 紆余曲折あった日大での4年間。嵐のような日々の出来事を乗り越え、「フットボールはやり切った」と思った。

 突然、あれだけの喧騒の中に放り込まれたことも理由なのだろう。社会人で自らプレーする動機は、見出せなかった。

恩師のもと、日大でコーチを務めていたが…?

 卒業後は日大のコーチとして恩師の橋詰功監督(現同志社大監督)とともに後進の指導に当たっていた。しかし2021年の夏前に橋詰監督の退任が決まると、コーチ陣も全員、同様に退任となった。

 フットボールの世界から弾き出された格好になった林は、当時の気持ちを振り返る。

「そもそも僕はフットボールがめちゃくちゃ好きだったわけではないんです。だから、フットボールができないこと自体はそんなにダメージではなくて。ただ、小さいときからずっと競技をやってきて、仲間たちがいて、居場所があったことが嬉しかった。社会人になればそういう環境がフットボール以外の部分で作れると思っていたんです。でも、それがなかなか見出せなかった。そこが辛かったです」

 小学1年生から16年続けてきた週末の練習がなくなると、時間を持て余した。フットボールと同じ熱量で打ち込める「何か」は、どうしても見つけることができなかった。

大学スポーツ=目標達成のプロセスを学ぶ場であるべき

 2年後の2023年夏、林は縁あって東海大学トライトンズのコーチに就任する。東海大は現在、関東2部リーグに所属するチームで、かつての日大のような超強豪校というわけではない。それでも声をかけられたとき、林は二つ返事で引き受けたという。

 林自身は、日大に入る前は、いわゆる“弱小チーム”である大阪府立大正高校(※高2時に関大一高から転校)でプレーしており、トップレベルではないフットボールの経験もあった。また、日大で過ごした4年間の学びからも、頂点を目指すことだけが学生フットボールの意義ではないとも考えていたという。

 その背景には、橋詰監督から就任初年度に受けた教えがあった。

「BIG8(1部下位リーグ)で今、すぐに日本一になれる環境にいなくても、『目標は日本一にできるぞ』と言われて。試合結果としては日本一にはなれないけど、チーム作りや練習への取り組み自体は『日本一のレベルにできるよね』という考え方です。実際に東海大ではこういう考えでコーチをやっています。この考え方はフットボール以外の分野でも、とても役立つことだと思います」

 コーチングでは、一方的にやり方や考えを押し付けるのではなく、学生の考えにしっかりと耳を傾ける「対話」を大事にしている。コミュニケーションをとることで、お互いの間に考えの違いによるすれ違いが起こらないように注意しているという。

 激動だった大学4年間を経て、林が肝に銘じていることがある。それは「大学スポーツはプロではない。そこでの結果よりも、社会に出た時に生きるプロセスを学ぶことが大切」ということだ。

「大学時代を振り返ると、結果だけで見れば内田(正人)監督が率いた1年目が一番、良いんですよ。日本一になっていますから。でも、あの年のプロセスが正解だったのかというと――それは明らかに間違っていたと思います。そのことはその後の問題から見ても明らかでしょう。

 結局、学生の部活では『結果』よりもそこに至る『プロセス』をしっかり学ぶことが大事なんだと思います。日本一になって、MVPを獲得して、結果を出して卒業したら――僕は何者かになれていると思っていた。でも、実際はそんなこと全くなくて。ただ『アメフトで過去に結果が出た人』でしかない。社会に出た時に、スポーツ以外のフィールドでも活躍して、何者かになれる術がある。そういうプロセスを持った人材育成の場として部活動があれば……と今は考えています」

かつてのエースが「廃部」について思うことは…?

 大学2年の春に起こった「悪質タックル問題」から約6年。

 日大はいま、またしても社会問題の渦中にいる。今回の事案ではついに、アメフト部の廃部にまで話は広がってしまった。このことについて、林はどう考えているのだろうか。

「選手目線で言えば、現役の選手たちが言っていることは全部正しいと思う一方で、全部間違いでもあると思いました。これだけ社会的な関心事になってしまうと、どうしても世間で騒がれている部分しか見えなくなってしまう。でも、選手たち自身ももっと本質を見て、違う部分に目を向けた方がいいんじゃないかなと思います」

 事件の“当事者”ではない自分たちには本当に問題がなかったのか。自分たちが本当に大切にすべきことは何なのか。林は「打ち込んできた、関わってきた日大フェニックスは大切なものではあるけれど、人生のすべてではない。大学を卒業した後の方が人生は長いんです。“今”にとらわれず、俯瞰的にものごとを見て考えてほしい」と話す。

 林は社会人となったいまでも、在学中に試練に揉まれた経験を思い出すことがあるという。あの騒動を通して、社会に出てからも通用する教訓を得られたと感じている。

 一例を挙げれば「いま上手くいっていない人のほうが、次にすんなり移りやすい」ということだ。物事が上手くいっている時は、それだけが正解に思えて、そのプロセスに縛られやすくなってしまう。反対に上手くいっていない場合は、気持ちも切り替えやすく、別の最適解に向かいやすい。

「監督や指導方針がコロコロ変わる中で、前は上手くいっていた選手が急に目立たなくなったり、燻っていた選手が生き生きと活躍するようになったり。100人部員がいると、ほんとうに色々な変化がありました。社会に出てからも、節目、節目で同じように感じることは多いですね」

 いまの日大フェニックスもその例に漏れない。

 打ち込んでいた気持ちが強ければ強いほど、今回の廃部騒動のショックも大きかっただろう。だが、だからこそ現状を俯瞰して見てほしいと林は言う。一歩引いて状況を見れば、そこには多くの道が存在する。

 林自身もフットボールで結果を出すことに熱くなりすぎたことや、結果そのものに縛られてしまっていると自戒することも多いという。

嵐のような4年間を振り返って感じることは…

 振り返ると、一大学生が受け止めるには、色々なことがありすぎた。

 当時はそのひとつひとつが、「しんどくてキツかった」という。ただ、その一方で、今はどこか空虚さを感じることも多いという。

「あの時は、本当に毎日上がったり、下がったり。もちろん当時は恨みとか、負の感情もいっぱいありましたけど……今思うと、ありがたい経験ができたと思うことが多いです」

 まだ25歳になったばかりだ。突然、それまで打ち込んできたものが目の前から無くなった出来事への恨み節があってもおかしくないと思っていた。だが目の前の若者は、その経験も咀嚼し、すでに達観していた。それは良いことである一方で、同時に不遇であるようにも感じられた。

 ただ、ひとつだけ間違いないことがある。悩み、もがきながら歩んできた。その全てに意味があって、あの4年間があるからこそ、今の林があるということだ。

 あの赤色のショルダーとヘルメットを身につけることは、もうないのだろう。細身のスーツ姿に身を包んだかつての“天才QB”は、取材を終えると雑踏へと消えていった。

《インタビュー第1回、第2回も公開中です》

文=北川直樹

photograph by Naoki Kitagawa