スポットライトを浴びる日を信じ、若手選手たちがしのぎを削っている。今年は日本ハムが第1クールから紅白戦を行ったように、プロ野球の春季キャンプは近年、チームとしての仕上がりが早くなっている。そんななか、広島のキャンプはまるでシーズン終了後に行われる秋季キャンプのようなメンバー構成で行われている。

 2月6日の第2クールからは會澤翼や野間峻祥ら30代の選手が一軍キャンプから離れ、一軍キャンプに参加する30代野手は選手会長の堂林翔太、菊池涼介、田中広輔の3選手。彼らも一部別メニューとなり、全体メニューは20代の野手だけで行われている。投手陣も大瀬良大地、九里亜蓮の2投手をのぞけば、20代ばかり。19歳も2人いる。オフに目立った補強をしなかった広島が、若手の育成に力を入れ、チームの底上げを目指す思惑が感じられる。

 大きな注目を集めたドラフト1位の常廣羽也斗が二軍スタートとなった中、新人の中でまず存在感を示したのが、ドラフト3位の滝田一希だった。

「強い真っ直ぐ」への期待感

 二段モーションに加え、両腕を上下に動かすダイナミックなフォームから、思い切り左腕を振る。放たれる球は力強く捕手のミットに収まる。キャンプインの初ブルペンでは力みもあったというが、2度目のブルペン入りとなった3日は硬さも抜けて、球がより走っていた。測定分析機器のラプソードでは、151kmを計測。速くて、強い真っすぐに憧れた。いかに速く、強い真っすぐを投げられるか。それだけを追い求めてきた。

「もともときたない投げ方だったんです。これでもまだマシになったほう。いろんな試行錯誤をした結果です。大野(豊・元広島)さんとか、菊池雄星さん(ブルージェイズ)とかいろいろ参考にした。捻転差を出したいなと思って二段モーションなどいろいろなフォームを試したんですけど、タイミングが合わなかったので、いろんなものをミックスしたら今の形になった」

 腰、背中、胸、腕……それぞれを下半身で引っ張るように捻転させることで強さを出そうと、大学3年生の秋、今のフォームにたどりついた。大きな予備動作に思い切りのいい腕の振りは、打者にはタイミングが取りづらい。ブルペン投球を見ていた関係者からも「変化球もあれだけ腕を振れたら、左バッターは怖いんじゃないか」という声が聞かれ、球団アナリストからはリリース時の強さ、ホームベース上の球の強さが特徴として挙げられた。

 プロ入り後、初めて打者を相手にした登板でも、強さを見せた。8日にフリー打撃に登板し、打者計5人に25球。事前に投げる球種を告げた中で8個のファウル、4つの空振りを奪い、打撃ケージから出た打球はわずか1球しかなかった。球の強さを示し、新井貴浩監督からも一定の評価を得た。

「いいね。キレがある。真っすぐにキレがあるし、チェンジアップもいい抜け方している。ナイスピッチングだったと思います」

 約半数の12球がボールとなり、特に変化球の抜け球が目立った。序盤に大きく抜けていたチェンジアップを終盤にはストライクゾーン付近に投げ込む一定の修正力は示したものの、変化球の精度向上と安定が課題。真っすぐ一本ではプロの世界で生きていけない。滝田自身、それは分かっている。

「球速を求めたら、ああいうフォームになった。変化球のことはまったく考えてなかった」

 根っからの明るさが眼前の壁を壁と感じさせない。その一方で、やらなければいけないことも分かっている。

「まだ変化球がピッチトンネルに通っていないので、今のままなら見られてしまう。全部の球種を通せるようにしていかないといけない。1回腕の振りが同じでも、9回腕の振りが違えば打たれる。どう継続して、体に染みこませるか。意識してやらないといけない」

名もない雑草の挑戦

 北海道の札幌と函館の間にある田舎町に、6人きょうだいの5番目に生まれた。幼少期から自他ともに認める“やんちゃ坊主”は兄の影響で野球をはじめ、星槎道都大で頭角を現した。だが、大学3年の5月に、女手一つで育ててくれた母・美智子さんを亡くした。悲しみの淵で野球を辞めることも考えたが、家族の支えや周囲の後押しもありプロを目指し、今がある。

「名もない雑草にも陽は当たる」

 滝田が好きな言葉だという。地元北海道にまだ雪景色が広がる15日からは、キャンプ地を宮崎から沖縄に場所を移し、競争は激化する。3月には地元北海道でオープン戦が行われ、北海道の雪も溶ける5月ごろには、プロ入りを機に購入した母の墓が建つ。墓前に報告するまで、アマチュア時代は無名の左腕が春の争いを戦い抜く。

文=前原淳

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