南アフリカW杯本大会直前、誰もが驚いた主将交代劇だった。だが、指揮官・岡田武史の一か八かの英断は狙い以上の見返りをもたらした。それがまるで運命だったかのように、代表のキャプテンマークは長谷部誠の左腕に長く巻かれ続けることになる。(初出:発売中のNumber1091号 長谷部誠「窮地が生んだ希代のリーダー」より)

W杯直前にキャプテンを替える“大バクチ”

 日本代表史上、最もキャプテンマークを巻いて試合に出場しているのは言うまでもなく長谷部誠である。

 岡田武史、アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗と5人の代表監督すべての信頼を得てキャプテンを務めた。年数にして実に8年、ピッチ上で陣頭指揮を執り続けてきた。「不世出のキャプテン」という称号に異論を挟む者はいないだろう。

 しかしながら彼は生まれついてのリーダーだったわけではない。藤枝東高や浦和レッズ時代にキャプテン歴はなく、あの2010年の南アフリカワールドカップ直前に突如としてゲームキャプテンを託されたのがすべての始まりだった――。

 2010年5月、岡田率いる日本代表はバッシングを目いっぱい浴びながら事前合宿地スイス・ザースフェーに向かった。

 ワールドカップイヤーに入ってから精彩を欠くチームにはホームでも試合のたびにブーイングが起きるほどで、韓国代表との壮行試合も0−2で完敗していた。一向に上向いてこない流れを変えるため、大会2週間前の土壇場で岡田が動いた。

 イングランド代表との強化試合に合わせて絶対的な存在だった中村俊輔を外して守備的な戦いにシフトし、楢崎正剛から川島永嗣に正GKを交代した。それだけにとどまらず、ゲームキャプテンを中澤佑二から長谷部誠に切り替えるという大バクチに打って出た。カメルーン代表とのグループステージ初戦まで時間が限られるなか、“そこまでやるか”の大転換。反転攻勢のために不退転の決意を打ち出した。

岡田監督が明かす“英断”の理由

 キャプテン経験のない長谷部になぜ白羽の矢を立てたのか。

 “生みの親”である岡田は67歳になった今も精力的で、日本サッカー協会副会長、FC今治会長に加えて、4月に開校するFC今治高校里山校の学園長として忙しい毎日を送っている。15年近く前の英断の理由をあらためて尋ねると、長谷部ではなく、まず中澤の名前を口にした。

「ゲームキャプテンまで交代させたのは別に佑二が物足りないとか、不安だからとかじゃない。俊輔と楢崎を外すと決めたとき、彼らとずっと一緒にいた佑二がこれまでのように明るく振る舞えるのかって考えた。日にちがない状況で、もしそうなってしまうとチームにとって命取りになってしまう。戦い方もゲームキャプテンも腹を括ってまとめて変えたのは、何よりもチームに“変える”ってことを強調したかったんだ」

 変化によってパワーを生み出す。しかし中澤の次を誰にやらせるかまで考えられていなかった。とはいえぼんやりと長谷部の顔は浮かんでいた。

「正直、次に任せられそうなヤツがいなかった。キャプテンはロイ・キーンみたいに強烈な個性を持ってみんなを引っ張っていく選手がいれば一番いいんだけど、なかなかいない。そのなかで長谷部は試合中、結構声を出していた。ヤット(遠藤保仁)は全然出さないけど(笑)。コーチからも『長谷部がいいんじゃないですか』という声があったし、あのときのチームに欲しかったのは落ち着きよりも元気。アグレッシブにプレーできて、声を出せて、鼓舞できて。そして若いということもあって、じゃあ長谷部で行こうと決めた」

ふと頭をよぎったフランスW杯の経験

 若手というのも実は隠されたポイントだった。23人のメンバーのうち、26歳の長谷部は下から数えたほうが早かった。同じ学年は一人もおらず、下は本田圭佑、長友佑都ら5人だけ。後は代表キャリアを積み上げてきた先輩が並ぶというチーム構成だ。それでも長谷部にキャプテンマークを巻かせたのは、指揮を執った'98年フランスワールドカップの経験がふと頭をよぎったからだった。

 “ジョホールバルの歓喜”でワールドカップ初出場を決めたチームをキャプテンとして束ねたのがベテラン井原正巳である。無論、彼に対する信頼は最後まで揺らぐことはなかった。ただ本大会に入っていく過程を眺めたときに、ふと感じたことがあった。

「ワールドカップが近づいていくにつれて若いヒデ(中田英寿)や城(彰二)がぐんぐん成長して、攻撃では彼らがイニシアティブを持つようになっていた。紅白戦の合間なんかにチームメイトに対しても意見を主張していた。大会が終わってからだけど、思い切ってどこかでヒデにキャプテンを任せてみるのも選択肢としてはあったのかなと考えたこともあったよ。南アフリカのときも若い本田、長友たちが成長してきて、全体のパワーバランスが変わりつつあると感じた。チームというのは生き物。このタイミングならどうすべきなのかと考えたのも事実だった」

「申し訳ないが…納得してほしい」

 岡田はまず断腸の思いで中澤にゲームキャプテン交代を告げている。

「佑二、お前が悪いわけじゃない。申し訳ないが、決めたこと。納得してほしい」

 中澤にとって岡田は横浜F・マリノスでリーグ2連覇を遂げ、MVPに輝くことができた恩師でもある。分かりました、と短く言葉を返してきたという。岡田も敢えて理由を口にしなかった。理解してくれるはずだと信じた。

 そして長谷部を呼び出したうえで「ゲームキャプテンをお前に任せたい」と要請した。目をしっかりと見て、言葉に力を入れて。長谷部が戸惑っているのは十分に見てとれた。沈黙の時間が続いた後、受諾の言葉を引き出した。岡田はホッと胸を撫で下ろした。

「正直、覚悟したよ」長谷部が断ってきたら…

 だがスンナリと進んだわけではなかった。翌日の練習前、岡田がチームに伝えるとざわつき、全体練習後には田中マルクス闘莉王が「俺は認めない」と大声で叫んでいた。浦和レッズの元チームメイトとあって何でも言い合える関係だからこそのリアクションではあったものの、ワールドカップ目前での若いリーダーへの交代を歓迎する雰囲気とは言えなかった。

 この日の夜になって長谷部は岡田の部屋を訪れたという。あまりに硬い表情だったことを指揮官は覚えている。

「闘莉王には俺も後で注意した。でもそういった反応が長谷部も気になったんじゃないかな。『予選を戦い抜いてきた佑二さんでやっぱりこのチームは行くべきじゃないですか』って言ってきたよ。それで俺はこう返した。『いや、お前にやってもらいたいんだ』とね。

 正直、覚悟したよ。『やっぱり無理です』って断ってきたら、それはもう逆に任せきれない。違うヤツに頼まなきゃいけない。ドキドキしたよ、あのときは。そうしたらアイツ、できないとは言わなかったよ。俺のなかではそこで決着がついた」

「よし行くぞ!」中澤の姿勢に深く感謝した岡田

 元々リーダータイプではない。だが新ゲームキャプテンに就任以降、ウォーミングアップでも先頭で走るようになった。そして長谷部を補佐すべく同じように前に立って走る前キャプテンがいた。岡田は心のなかで中澤に深く感謝していた。

「交代を発表したときからそうだよ。みんなが佑二に気を遣っている感じだったけど、アイツは『よし行くぞ!』って先頭で走ってくれてね。うれしかったし、やってくれたなって。頭が上がらないと思った」

 岡田の決意は、長谷部にも中澤にもそしてチームにも真に伝わっていくことになる。

文=二宮寿朗

photograph by JMPA