2012年の9月、競泳男子200m平泳ぎで、まだ高校生だった山口観弘が世界新記録(当時)を叩き出した。五輪で2大会連続の金メダルを獲得していた北島康介の「後継者」として一躍スターダムに躍り出た18歳は、その後の日本競泳界を背負う存在として、大きな期待をかけられることになった。

 だが、その後の山口の競泳人生は決して順風満帆なものではなかった。故障を繰り返し、再び輝きを放つことは出来なかった。いま指導者に転身した“元世界記録保持者”は、かつての喧騒をどう考えているのだろうか。《NumberWebインタビュー全3回の3回目》

 自分のことを振り返る山口観弘の話しぶりは、常にどこか他人事のようだった。

 客観視して、自分を俯瞰して見てきたからこそ言えること。冷静と情熱の間で、今も常に自分をコントロールし続けているようなイメージだ。

 現役時代、インタビューに応える山口の姿を思い出すと、良い意味でのふてぶてしさがあった。ただ、単純なビッグマウスではなく、冷静に自分の置かれた状況や泳ぎの感覚、記録を分析したうえで、「もっとこうしていきたい」という話をする。山口本人と話しているのに、まるで選手の担当コーチと話をしているようだった。

心理カウンセラーから「メンタルがめちゃくちゃ強い」と…

 その理由は、山口が持っていたメンタルの強さにあった。

「大学時代、結果が出なかったこともあって『メンタルが弱い』とずっと言われていたんです。それで僕も『自分は精神的に弱いのかな』ということが気になって、大学4年のときに心理カウンセラーの方にお世話になったんです。2カ月通って分かったことは、『めちゃくちゃメンタルが強かった』ということでした」

 そう言いながら笑う山口の表情が、あの世界記録を樹立したあとの姿と、一瞬被った。

「『すごく自分のことを客観的に見られているし、メンタルは何も問題ないよ』と。当時、確かに記録が出せなくて選手としては厳しい状況だということは自覚していたんです。ただ、意外と気持ちの面で辛いとは思っていなかったんです」

 自分の置かれている状況と、ネガティブな要素は理解している。しかし、決してそれ“だけ”に引っ張られるのではなく、自分のやりたいことに目を向け、一心に取り組むことができるポジティブさを持っていた。

「それはきっと、志布志DC時代が大きく影響していると思います。特に水泳に関しては、『自分がこうしたい』ということに対して、親や大脇(雄三)コーチは、もちろんアドバイスはもらいましたけど、だいたいは思った通りにさせてくれました。

 練習内容についても、合わなかったものや効果がうまく出せなかったものはすぐ『自分には合わないんだ』と割り切れましたし、『じゃあ次はこういうトレーニングをやってみよう』と切り替えることもできていましたから」

 そんな山口だからこそ、ジェットコースターのようだった学生時代を終えた現役終盤の状況を『コーチングに生きるのでは』と考えた。壊れた身体を実験台にして、大学卒業後に師事した石松正考コーチと共に考えながら取り組んできた。

「『水泳を辞めたいな』と思ったのは、(実際に引退を決断した)2021年の最後だけですね。一度、成績が振るわなくて所属先を辞めないといけなくなったとき、物理的にというか、生活がありますから『続けられないかな』と思ったことはあります。でも、いろいろな縁があって、自分から『辞めたい』と思えるところまで競技を続けられたのは、本当に支えてくれた周りの方々に感謝しています」

「水泳が嫌いになった」ことは一度もなかった

 引退を決意したときも、「水泳が嫌いになった」ということは一切なかったという。

「いまも水泳は大好きですし、めちゃくちゃ面白いと思っていますよ。たぶん僕は、平泳ぎに特化した水泳オタクなんだと思います。現役のときは泳ぐこともすごく楽しかったですし、自分の身体を使って新しいことに気づく、ということも楽しかった。今は、どうやったら指導している選手たちのベストを出せるのか、もっと人として成長してもらうにはどうしたら良いかを考えるのが、すごく楽しいです」

 その語り口からは、かつて世界記録保持者だったというプライドや、そこから暗転した自身の競泳人生への悔恨は微塵も感じられなかった。「あの世界記録は、自分にとってどんなものだったのか?」という嫌らしい質問にも、さらりと答えてくれた。

「栄光とは思っていないですね。単なる自己ベストですよ。輝かしいものとか、そういう認識はありません。だから2017年に世界記録を更新されたときも、『良く5年も切られなかったな』と思ったくらいです。むしろ『彼なら切れそうだな』とか、『彼ならこういうレース展開をすればもっと記録を伸ばせるのに』とか、そういう研究者目線、指導者目線で見ていることのほうが多かったですね」

選手に伝えたいこと…「もっと水泳に情熱を注いでほしい」

 一度は若くして世界の頂点に立った。そこから一転して、雌伏の時期も過ごした。

 そんな経験を経て、指導者の立場に立った山口だからこそ分かる、今の選手たちに伝えたいことがある。

「心の底から『水泳で結果を出してやろう』と情熱を注いで努力している選手が、どれだけいるのかな、と。たとえばですけど、水泳を“利用”したうえで、周りからの評価をすごく気にしている選手も多い気がします。そんなの気にしなくていいんですけどね。SNSの発達も関係すると思うんですけど、SNSでの輝き方や見え方を考える方が、水泳そのものよりも比重が大きくなってしまっていると感じることがあります。

 ブランディングという意味では大事だとは思います。でも、それって結果が伴っているから輝くはず。僕が目標にして、憧れていた北島(康介)さんや、山本貴司さんや、そういう世代の人たちは、みんな熱かった。水泳にひたすら情熱を注いで努力していました。だから僕もそうありたいと思ったし、そう生きてきたつもりです」

 もっと水泳に情熱を注いでほしい。純粋に速くなりたい、強くなりたいという気持ちを持っていたころを忘れないでほしい。山口を育ててくれた大脇コーチも、そうやって情熱を注いでくれた。

 だから「大脇コーチだったらどうするんだろう」と、指導をしながら考えることが多いという。

「大脇コーチはボランティアで指導してくださっていましたから、見返りを求めない方でした。選手の結果も求めないんですよ。でも、選手全員のパドルとかフィンを自分で買ってきてくれたこともあったくらい、指導への情熱に溢れた人でした」

 大脇コーチは、技術的な指導はほとんどしなかった。

「お前の感覚は俺には分からないから、自分で考えなさい」

 教えてくれたのは、人生を生きていく上でのマインドセットの方法だった。

「自分で考えて、自分で行動して、自分に責任を持つ。それをコーチは応援する。それってすごく大事なことだと思うんです。自分の人生なんだから、自分の核となる部分をしっかりと据えて、その目標をどうやって達成していくかをコーチと相談しながら、最後は自分で決める。僕は大脇コーチからそう教わってきて、たくさん成長することができました」

 山口が今指導しているのは小学生がいちばん多い。彼ら、彼女らに指導するときに大事にしているのが「答えを提示しない」ことだという。

「自分の経験からある程度の道筋は示したうえで、導くようにヒントは与えます。でも、それをもとに、自分で進む道を決めてもらいたいんです。もし自分が思っていた道筋と違う道を選手が選んだとしても、それで良いんですよ。

 自分で考えて出した答えに責任を持って自分から取り組む。それは水泳を辞めたあとの人生を、自分で歩んでいく力になる。水泳を通じてそういう考え方が養われていけるように、指導をしているつもりです」

 インタビューをしている間、山口は常に楽しそうだった。

 あのときはこうだったし、今思い返すとこうだった。今はこう思うし、こうしていきたい——。昔を懐かしむのではなく、現状に物足りなさを感じるでもなく。充実している人間の立ち振る舞いだった。

「自分で決めたことに対して、後悔はない」

「僕はプレイヤーとして大成していないから、上から目線で言いたくないんですけど……僕は自分自身のやりたいことに正直に生きてきました。だから、それに対して後悔はないんです。東洋大学を選んだことも、結果が出ていないのに社会人で水泳を続けたことも、全部、自分で決めたことですから。自分が決めたことに対して真摯に向き合ったうえで、それを貫き通す覚悟は持ってきたつもりです。

 だから、自分が選んだ環境への言い訳はありません。環境って自分の心の中にあると思っています。心の環境を整えておけば、練習の環境は大差ないはずなんです」

 志布志DCでは、世界記録保持者が小学生たちと同じコースに入って一緒に練習していた。プールは25m×6レーンで、水深は1m程度。もし、結果が練習環境によって左右されるのであれば、山口は世界記録を出すことはなかったはずだ。

「子どもたちには、自分が持っている熱量を大事に伸ばしてあげたい、という気持ちが強いですね」

 山口は今も水泳に情熱を注ぎ続ける。

 兄に追いつきたいと水泳を始めたときのように、北島康介に憧れ、倒したいと思ったときのように、世界記録を出したときと同じように。自分の情熱のありったけを、子どもたちに向けている。

 そこにいたのは、元世界記録保持者ではなく、水泳に情熱を注ぎ子どもたちの成長を心から喜ぶ、水泳が大好きな指導者の姿だった。

《インタビュー第1回、第2回も公開中です》

文=田坂友暁

photograph by (L)JIJI PRESS、(R)Yuki Suenaga