いまから2年前のセンバツ甲子園。大きな話題となったのが、出場校の“不可解な選出基準”だった。東海大会で4強止まりの大垣日大が選ばれ、決勝戦で惜敗した準優勝校の聖隷クリストファーが落選したのだ。一見すれば、明らかに理不尽な逆転現象。当時の高校生たちは、そんな異常事態をどう受け止めたのだろうか。「衝撃の落選」を経験した、当時の主将に話を聞いた。《NumberWebインタビュー第2回/前編から読む》

神戸のシニアチーム→静岡・聖隷クリストファー高へ進学

 弓達(ゆだて)寛之は神戸で生まれ、地元の神戸西リトルシニアから静岡県浜松市の私立高校に進学する。聖隷クリストファーの母体はキリスト教系の病院。院内の緩和ケア病棟は、日本初のホスピスと言われていて、高校の始まりも看護学校だった。

 シニアで全国大会には出場したが、強豪に勧誘されるほど目立った選手でもない。シニアの監督が自分に合ったところを探してくれたので、勧められるままに決めた。

 シニアではショートのレギュラー。ピッチャーでは4番手ぐらいだったが、高校に入ってすぐに投手中心にやるようになった。

 入学と同時にコロナ禍になってしまう。その中で2つ上の代が夏の独自大会で初めて県で優勝した。1つ上の学年も県でベスト16まで進んで、自分もマウンドに登った。新チームは自分が引っ張る決心をする。キャプテンになりたいと監督に直訴したという。

 秋の県大会で準優勝して東海大会に進んだが、1回戦で7回まで投げたところで右ヒジを痛めてしまう。

 高校3年の夏にヒジの手術をしてから1年半が経った。大学2年になる現在、そのヒジは完治しているそうだ。

 取材で訪問する数日前、大学のBチームからAチームに昇格して、オープン戦で先発した。3イニングを投げて被安打3、無四球、失点0。自己評価は合格点で「アピールできた」という。

「高校のときより体型がガッチリしたね」と感想を伝えた。

「それは嬉しいです。身長は179センチで変わっていなくて、体重は76キロ。高校は65キロでしたから」

 学生寮での一人暮らし、自炊をしているという。近々、寮を出てアパートを借りる予定だ。

「食事の管理は自分でしてます。業務用スーパーで肉を買ってきて冷凍しています。ブロッコリーをゆでますし、味噌汁も作ります」

 右の本格派のオーバーハンドピッチャー。ストレートの球速は142キロで高校時代より5キロ伸びた。数字より、速く見せることを目指している。

 ヒジのケガをしてからは球が浮いたり、指先の感覚も違った。痛いときの投げ方が染みついてしまって、元に戻すのに苦労したそうだ。

「高校のいい時は、ボールの高低、左右の制球力に自信があって、どのカウントでもストライクが取れた。今はその状態にかなり近づいてます。野球のレベルが上がってるので精度をもっと上げていきたい」

 手術してからはベンチプレスができないので上半身の鍛え方を工夫する。また独自の考え方で瞬発系の動きを重視している。

「ピッチングは一瞬の動作。通じるのはジャンプ力、短い距離のダッシュ力、重いメディシンボールをどれだけ遠くへ投げられるか。そんなトレーニングを取り入れています」

「自主性」重視の武蔵大野球部

 武蔵大の練習は平日に監督は参加しない。よって、ほとんど選手の自主性に任される。

 どの時間帯でやるか、投手なら球数はどれほど投げ込むか、などは全く関知されない。周りの部員も自己管理して取り組んでいるので、さぼることは許されない。自分でやらなければ取り残される。

「自分で試行錯誤して調べてトライする。知識も身につくし成長を実感できる」

 シニア時代のトレーナーにトレーニングメニューと数字の目標をもらっている。具体的な数字があれば、明確な目標になる。成果は表れているという。

「ピッチングをしていて、いいボールが行きだしたなと。質のいいボールになってる」

 大きなケガをしているので、投げ込みは少ないタイプ。投げない日を多めに設けていて、それも強制されないので自分に合っている調整、練習だという。

 そして学生らしく付け加える。

「野球より、勉強です」

 1年次は在籍する経済学部の講義にはほとんど出席したという。履修登録表をコーチに提出していて練習に参加しない日を報告している。夜に単独の自主練習で補うなど、どちらにも集中できるのだという。

 野球に加え大学生として社会に出るための基礎も学んでいる。

 数十人いる投手部員からAチームに入り公式戦のベンチに入るのは6、7人だろうか。今、その当落線上にいる。今は首都大学リーグ2部だが、自分の力で1部に上げてやる、そんな心意気だ。1部で優勝して全国大会にも出たい。

 自分の存在をかけて大学野球を謳歌し始めているところだが「あれがあったから、今がある」という。センバツ落選のことだ。

「なくてもよかったことですが、あったからこそ、自分を見つめ直すための自覚も生まれた。周りの人からそう見られてると意識することもあるので、私生活も気をつけるようになりました」

 甲子園に選ばれたら、人生は違うものになっていただろうか。そう聞いてみた。

「出たときのことの想像は尽きませんが、今ほどしっかりはしてないんじゃないですか。少なくともマイナスではないです」

 今の同級生の中にも、あの日のそれに触れる友達がいないわけではない。でもそうやってネタにされても、もう心が揺れることはない。そういう認識を持たれている、と自分で納得できるのだ。すでに自分の中では重たいものではなくなっている。

「聖隷クリストファーの名前も知られることになりましたし、いつか、仲間同士で笑いながら話すと思います」

「準優勝は準優勝。2番目に強いんです」

 弓達君に会いたくなったのは、今年の東海地区の選考も逆転現象が起こったからだ、と告げると語気が強くなった。

「そうらしいですね。ニュースをきいて、まだそんなことをやってんのかと思いました。『優劣が付くのは我々、委員は真面目に見ていて、細かく分析してるから。しっかり仕事しています』と言ってるみたいに聞こえます。なんかそんな差をつけなくてもいいじゃないかと思います。準優勝は準優勝、2番目に強いんですよ」

 あの時の選考理由に、東海大会準々決勝の中京戦での聖隷クリストファーの疑惑のプレーが選考委員の心証を悪くしていたのでは、と報じるメディアがいくつかあった。                              

 2点を追う9回1死三塁でピッチャーゴロ。ランナーは挟まれたが、三本間線上にいたピッチャーに接触。これが走塁妨害になって生還が認められた。ここからさらに2つの押し出しで逆転勝ちしている。

 この試合、毎日新聞は『聖隷クリストファーの逆転劇は、精緻な走塁練習のたまものだ』というタイトルで伝え、以下のような本文がある(※●部分は実名)。

《走者を置いたノックで何度も挟撃を想定し、練習してきた。(三塁ランナーの)●選手は「追って来る選手の体やグラブの位置をよく見るようになった」と話す》

 とらえようによっては守備隊形をみながら走塁妨害を狙っていた、とも読み取れる。選考委員が高校野球らしくないと落選理由にしてもおかしくない。

「三塁ランナーが故意に走塁妨害を……」

 そこまで言いかけると、弓達は苦笑いしながら反応した。

「あれ、逆なんです。主体は守備の挟殺プレーの練習で、ランナーとぶつからないように注意しようという練習なんです。ホームインした選手は練習の意図を理解していましたが、いつもやってる練習で運よく得点して興奮もしていた。コメントがダメでした。悪くとられる結果になった」

 主将らしく落ち着いて当時のことを、そう、振り返った。

高校野球で「個人の力量」は評価基準に成り得るか?

 そして最後に、自分が考える高校野球の本質についてこう話した。

「僕らの時の選考理由に、『個人の力量に勝る方を選んだ』というのがありました。でも、それって高校野球に当てはまりますかね。チームスポーツって、どんな競技でも個人の力じゃ勝てない。チーム全体の力で勝つんですよ。

 日々の練習って極端な言い方をすれば、ホームランを数多く打つためにやってない。三振を多くとるためにやってない。チームで勝つためにやってる。だからこそ、勝ったチームが強い、という評価でいいと思うんですが。それだけは選考委員の方にわかってほしい。今後、あんな経験は誰にもしてもらいたくないです」

 高校生は悔しかったんだ、とあらためて思う。そして2年分、大人になって、次の少年たちへの優しさが生まれていた。

「僕もこれからは野球を楽しみたい」と弓達は思っている。

文=清水岳志

photograph by Takeshi Shimizu