3月3日に女性アナウンサーとして史上初めてJRAの場内実況を担当したラジオNIKKEIアナウンサー・藤原菜々花(26歳)。大きな話題を集めた“デビュー戦”の舞台裏を本人に聞いた《NumberWebインタビュー第1回/後編に続く》

 その日、1つの歴史がつくられた。

「中山競馬場3レースは3歳の未勝利戦です」

「春を思わせるやわらかな明るい陽射しがコースを照らしています」

「上空は青空、ゆるやかに風が吹くあたたかい中山競馬場。スタンドから見て右手のゲートインです」

 3月3日、場内に女性の声で実況が流れる。それはJRA(日本中央競馬会)史上初めて女性による場内実況が行われた瞬間だった。

 場内実況実現への経緯、競馬実況の専門性、そもそもなぜ女性が行うことはなかったのか、「史上初」を成し遂げたラジオNIKKEIアナウンサーの藤原菜々花を訪ねた。

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 ラジオNIKKEIのアナウンサー藤原菜々花は2020年の春に入社し、まもなく満4年となる。「ななかもしか発見伝」のパーソナリティを務めるほか、羽生結弦がプログラムで使用した曲によって構成した『こだわりセットリスト特別編・羽生結弦選手特集』を企画。大きな反響を呼び、昨年10月からレギュラー化され、月1回放送されている。

 その他の業務にも携わる中、中心をなしているのが同局の主軸の1つである競馬だった。藤原は実況デビューを目指し、入社以来段階を踏んで取り組んできた。

「自信ある?」デビュー2日前、上司からの呼び出し

 場内実況を担当することを告げられたのは直前のことだった。

「3月1日の金曜日、いつも通り出社して日々の業務を担当していました。夕方6時頃に上司2人に呼ばれ、これはいよいよ場内デビューが近づいているという話だろうな、というのはだいたい想像がついてちょっと覚悟して行きました。そこで『3月3日に場内デビューでどう?』とお話がありました」

 上司から「自信ある?」とも尋ねられた。

「正直、完全に自信があるわけじゃなかったんですけど、せっかくこんなチャンスをいただいたし、あきらめたくないなと思って『自信あります』と答えてデビューする運びになりました」

 藤原は今年1月8日、中継の実況デビューを果たしているが、場内実況はそれとは異なる難しさがあるという。

「場内実況は競馬場内に自分の声が響き渡るというところで大きな違いを感じます。また、ラジオ中継はラジオNIKKEIというチャンネルを選んで聴いている方が多いのに対して、場内実況はそうではありません。競馬場に来た方々のストレスにならない実況をしていく必要があります」

「お風呂に入っているときも、ずっと馬名を呼んで…」

 場内実況を引き受けたあと、デビューに向けてどのように備えたのか。

「土曜日はいつも通り番組全体のMCの仕事ですとか、レースが終わった後の騎手のコメントを取りに行く取材の仕事などが入っていたので、それ以外の空き時間で練習しました。家に帰ってからは『塗り絵』を作りました」

「塗り絵」とは馬の判別を行うために騎手が着る帽子や勝負服の模様や色を描き、ゲート番号と馬名をリンクさせた手作りの表のようなものだ。この塗り絵を頼りに実況を行う。

「塗り絵を作って、次の作業として馬名を隠したときに服を見てぱっと馬の名前が出てくるように暗記しました。いくら暗記をしてもほんとうに不安で不安で、お風呂に入っているときもずっと馬名を呼んでいましたし、ベッドに入ってからもひたすら頭の中で、騎手が着る服を思い浮かべて『この服はこの馬だ』って夜過ごしていました。

 もう1つ、16頭(1頭は出走取り消しとなった)の今までの戦績やデータを調べて、新聞の方に書きこみました。一頭一頭のプロフィールというか、そういうところを調べて、そこも頭に入れながら前日は過ごしていました」

デビュー戦の感想は「申し訳ない気持ちで一杯に」

 いざ迎えたデビュー戦は――。

「気がついたらレースが終わっていたというところが1つ、感覚としてはありました」

 そして言葉を続ける。

「私の実況というのは音だけで聴いている方がいたとしたらすごく分かりづらくなってしまいましたし、映像付きでご覧になっている方にとっても私の実況がレースを邪魔してしまった部分があったと思います。

 4コーナーをカーブしていよいよラストの直線、ここで勝負が決まる大切な最後の攻防なんですけれど、1頭後ろから追い込んできた馬がいました。その馬『メジャーレーベル』が勝つんですけれど、ぱっと名前が出てこないことがあって。強い勝ち方での初勝利だったんですけど、それをうまくお伝えできなかったので、ジョッキーや調教師さん、馬主さんや関係者の方々に申し訳ないという気持ちがありました。そして、馬券を握りしめてレースを楽しみにしていらっしゃったお客さんにも申し訳ない気持ちで一杯になりました。

 レースが始まるまでは緊張していない、いつも通りと思っていたんですけど、緊張していることに気づいてなかったんだなっていう反省の思いがレース直後にありました」

500件のメッセージは「怖くて開けませんでした」

 ゴール後についても悔やむ。

「ゴールした直後はもう頭が真っ白になってしまって。馬の到達順が1着から5着まで競馬場の真ん中に置かれた大きいスクリーンに灯るんですけれど、灯るまでつながなければいけないところもできていなかったですね」

 終わった後は「反省やマイナスの気持ちしかなかったです」。

 どこまでも落ち込む気持ちをやわらげたのは、周囲からの言葉だった。

「その日競馬場内を歩いているだけでいろいろな方に声をかけていただいて、まずは『おめでとう』と言ってくださって、『聞きやすかったよ』『新鮮でよかったよ』と言葉があって、先輩からは『よく頑張ったね。すごく立派だったよ』と伝えてくださいました」

 SNSにもたくさんのメッセージが届いていた。

「500件近くいただきまして、今までにこんなにいただいたことはありませんでした。ただ申し訳ない気持ちがあったので、怖くて開けませんでした」

「成長することがいちばんの恩返し」

 次の日、目を通すとそこには思ってもいなかった反響が届いていた。

「肯定的なメッセージが多くて、とにかくうれしかったです。自分が想像していたのと全然違う世界がそこに広がっていたので、より頑張りたいって思いましたし、プラスの気持ちが芽生えた部分はあってファンの方のあたたかさに救われた部分がありました。家族も友達も喜んでくれて、成長することがいちばんの恩返しだと思いました」

 実は藤原は、競馬をまったく知らないところからスタートし実況を担当するまでになった。しかも競馬実況は数ある実況の中でも最も難しいと言われることがあるほど難易度が高い。あたたかなまなざしは、藤原の足取りと、競馬実況の専門性を知る人々だったからかもしれない。そして女性として初めて踏み入れた挑戦への称賛からかもしれない。

 裏返せば、JRAにおいて女性が皆無といってよい状況があった。また実況でそれが続いたのはなぜだったのか?

《後編に続く》

文=松原孝臣

photograph by Hirofumi Kamaya