笑顔、感謝、恩返し。

 日本航空石川は3つのキーワードを胸に聖地に立った。今春の選抜高校野球大会で、1回戦の最後に登場。雨で2日順延し、この日も甲子園には小雨が降る。スタンドは空席が目立つ。それでも、観客の少なさを感じさせない拍手と声援が選手たちを包んだ。試合後、中村隆監督が回想する。

「スタンドの皆さんが本当に温かくて。暮らす場所が変わって思い通りの生活が送れなかった時を思い出してしまいました」

 常総学院に0-1で敗戦。9回は同点のチャンスをつくった。悔しさは当然ある。ただ、それ以上に甲子園でプレーできたこと、背中を押してくれた声援がうれしかった。

野球ができる喜びを体現したショート

 野球ができる喜びを体現し、スタンドを最も沸かせたのは「2番・ショート」の北岡颯之介選手だった。0-0の4回、先頭で打席に入る。1ストライクからの2球目。真ん中に入ってきた101キロのカーブをセンター前に運んだ。初球との球速差は29キロ。直球にタイミングを合わせながら、甘い球に自然と体が反応した。

 何としても手にしたい先制点。北岡がマウンド上の常総学院・小林芯汰投手を揺さぶる。初球を投げるまでに2度の牽制球。フルカウントからは、二塁へスタートを切って一塁へ戻る動きで球場を沸かせる。6球目。北岡が再びスタートを切る。打者は空振り三振に倒れたものの、二塁を陥れた。

「サインはエンドランでした。三振でダブルプレーは試合の流れを失うので、打者が空振りしても二塁でセーフになれるように盗塁のつもりでスタートしました。相手投手は牽制が上手かったので、リードは普段より1歩半小さい3歩半にして良いスタートができるように集中しました」

160センチの小柄な体を目いっぱい使ったゲッツー

 後続が凡退して得点にはつながらなかったが、北岡は身長160センチ、体重60キロとチームで最も小柄な体をいっぱいに使って塁上でも仲間を鼓舞した。

 最大の見せ場は、1点リードされた9回表の守備だった。1死一、二塁のピンチ。1点が致命的になる場面で、常総学院・杉山陽大選手の打球が二塁ベース付近を襲う。センターへ抜けて1点と思われた打球に、ショートの北岡が体を伸ばして飛びつく。捕球してセカンドへグラブトス。セカンドがファーストに送球してダブルプレー。追加点を覚悟したスタンドの悲鳴を一瞬にして大歓声に変えた。

「左右どちらに打球がきても反応できるように、1歩目を意識していました。普段はグラブで捕球してから握り替えてトスするプレーですが、体が自然に動いてグラブトスになりました。いつも、1つのプレーで試合の流れを変えられると思って守備に就いています。みんなにナイスプレーと声をかけてもらって、スタンドの拍手もうれしかったです」

 1つのプレーで流れを変える――その言葉通り、北岡の守備は直後の攻撃につながった。1点を追う9回裏、日本航空石川は1死一、三塁と常総学院を攻める。だが、最後はダブルプレーでゲームセット。勝利にあと一歩届かなかった。

1月1日に「当たり前」が奪われた中で

 選手たちに涙はない。被災した地元・石川、そして輪島市に白星を報告できなくても、最後まで笑顔で感謝と恩返しの気持ちを表現した。北岡は「スタンドの声援が力になって、100%以上のプレーができました。球場全体に応援していただいている感じでした。甲子園でプレーできて夢のようでした」と充実感をにじませた。

 1月1日、日本航空石川の選手たちは「当たり前」が奪われた。

 高校のある石川県輪島市は能登半島地震で甚大な被害を受けた。

「野球を考える余裕はなくて、生活ができるのか、学校に行けるのかが不安でした」

 北岡の頭の中から初めて、野球が消えた。発災当時は実家のある富山県高岡市に帰省中で、出身中学校のグラウンドで練習していたという。すると、大きな揺れが起き、慌てて実家に帰った。テレビで輪島市の状況を見ても、現実を受け止められなかった。

 練習ができなくなった日本航空石川は、系列校がある山梨県に拠点を移した。選手たちは必要最小限の荷物だけを持ち、山梨キャンパスの教室に段ボールベッドを敷き詰めて生活。北岡は「段ボールベッドは思った以上に弾力があって快適でした。たくさんの方々に支えていただいて感謝しかないです」と気丈に話すが、避難生活は楽ではない。不慣れな環境での集団生活に「プライベートな時間がないのは大変でした」と振り返る。

「1球を大切にしようという気持ちが」

 常総学院の強力打線を8回途中まで1失点に抑えた猶明(ゆうめい)光絆投手も、野球ができることへの感謝を1球1球に込めた。

 元日は高岡市にある祖母の家にいた。その後、実家のある氷見市に戻るつもりだったが、氷見市は地震によって断水の被害が出たため、そのまま祖母の家に残った。

「練習できなくてつらかったですし、悔しさもありました」

 体幹トレーニングやランニングなど、今できる練習を自らに課すしかなかった。

 猶明は地震によって野球への向き合い方が変わった。

 今までは苦しい場面で我慢できず、崩れてしまうケースが少なくなかった。

 しかし、「厳しい場面を乗り越えなければチームから信頼してもらえません。忍耐力が問われます。今まで当たり前だった野球ができなくなって、1球を大切にしようという気持ちも強くなりました」と意識が変化した。この日の試合も三者凡退で抑えたイニングは2度しかなかったが、犠牲フライの1失点のみと粘った。

「被災した方々に勇気や元気を届けるプレーをしようと思ってマウンドに上がりました。踏ん張って練習してきた成果を甲子園で発揮できました。下を向かず前を見ていきたいです」

まだ、復興のめどが立たない地域もあります

 遠かった1点。届かなかった勝利に、中村監督は「選手たちは理想的な試合運びをしてくれました。北岡はチームに流れを呼び込める選手と期待していて、その通り9回の守備でスーパープレーを見せてくれました。その流れを得点に生かせなかったのは監督の力のなさです」と頭を下げた。だが、うつむかずに真っ直ぐ前を向いた。

「笑顔、感謝、恩返しを選手が体現してくれました」

 地震によって一度はあきらめかけた甲子園。地元の人たちや避難先の山梨県の人たちをはじめ、周囲のサポートを受けて選手たちは夢の舞台に立った。

「まだ、復興のめどが立たない地域もあります。お世話になった人たちへの感謝と恩返しをプレーに込めました」

 北岡がチームの気持ちを代弁する。思いは十分に届いた。甲子園に響いた拍手と歓声が証明している。

文=間淳

photograph by JIJI PRESS