甲子園の名門校に新しく1年生が加入する時期がやってきた。注目の新入生の一人が横浜高校に入学する古畑雄大だ。父はPL学園の4番で松坂と好敵手として対戦した古畑和彦さん。入学までの舞台裏を父が明かす。(Number Webノンフィクション全2回の第2回/第1回も配信中)

息子2人の練習相手を務める、元PL4番

 春と呼ぶにはまだ肌寒さの残る3月のとある日。古畑和彦さんは、長男・雄大、次男・太誠の自主練習相手を務めていた。4月に小学6年生となる太誠は、兄もかつて所属していた東京都内の「深川ジャイアンツ」に所属。投手、捕手、そして兄と同じ遊撃をこなす将来の有望選手は、軟式球でのノックで、兄にも負けない軽やかなグラブさばきを見せていた。

「太誠は小6手前のこの時期で言えば、雄大より身長が5センチぐらい低いですが、守備とピッチングは上だと思います。まだ打撃の力強さは負けていますが、体が大きくなるタイミングで、さらに力強さが出てくれば面白いでしょうね」

「小学4年生ぐらいから、もしかしたら…」

 太誠の側で、一際力強い打球を放つ雄大は、今春から横浜高校に入学する。1998年。PL学園の4番として、最後まで越えることのできなかった「YOKOHAMA」の壁。そのライバル校に長男の入学が決まった時、古畑さんは何を思ったのだろうか。

「凄く嬉しかったですね。息子が横浜で甲子園を目指すというのは、彼の実力を見て小学4年生ぐらいから、もしかしたらあるんじゃないかと頭の中にはありました(笑)」

新入部員に「君たちは必ず甲子園に出て…」

 自身の現役時代とはまた違った、横浜の凄みを感じた出来事があった。ユニホームの採寸などを兼ねた野球部オリエンテーションで、北は宮城から、南は沖縄まで、26人の新入部員とその親が一堂に集められた。そこで村田浩明監督は、全員の前でこう宣言した。

「君たちは必ず甲子園に出て全国制覇を目指します」

「史上最強世代」に監督がパワポを使って伝えたプレー

 今年の横浜の新入部員は「史上最強」という評判が、SNSを中心とした口コミで広がっている。もちろん、母校のPL学園も和彦さんの在学中は全国各地から野球エリートが揃っていた。ただ、入学前から集合をして、ここまで強く「全国制覇」を意識させられたことはなかった。

「感動しました。村田監督がパワーポイントを使って横浜高校の歴史なども説明してくださるんですけど、2022年夏の神奈川大会決勝で、横浜が東海大相模に1対0でサヨナラ勝ちした時、ライト前ヒットでセカンドランナーが本塁に紙一重の差でセーフになる写真を見せていただいたんですよ。『この選手は毎日、二塁から本塁への走塁練習をしており、この決勝戦の場面で生還した。君たちはこのレベルでプレーするんだ』と言われた時は痺れましたね」

旧敵の松坂大輔に報告すると…

 長男の横浜入学を、真っ先に報告したい人がいた。26年前、夏の甲子園で延長17回の死闘を演じた松坂大輔さんだ。その意外な反応に、古畑さんは驚かされた。

「松坂にすぐに報告したら『横浜高校を選んでくれてありがとう!』って言うんです。普通は『凄いな』とかになるんですけど、彼の性格の良さが出ていますよね。本人にも『報告した他の横浜メンバーから“横浜を選んでくれてありがとう”なんて言葉はなかったよ』と伝えました」

会ったこともないのにグラブを作ってもらえるなんて

 今年1月。延長17回に劇的な勝ち越し2ランを放った横浜OB・常磐良太さんの結婚披露宴で、松坂さんと話をした。そこで「松坂さんの野球道具が欲しい」と懇願していた雄大の話を伝えると、後日、手の平部分に「古畑雄大」と刺繍されたグラブが届いた。松坂さんの弟である恭平さんが設立したスポーツブランド「ONE OF THE ANSWER(ワン・オブ・ジ・アンサー)」のグラブで、今年から柳田悠岐外野手(ソフトバンク)や、東練馬シニアと横浜で雄大の先輩となる万波中正外野手(日本ハム)もアドバイザリー契約を締結。厳選された和牛や北米キップレザーなど基準をクリアした良質な革は、プロの間でも評判となっている。

「息子とは会ったこともないのにグラブを作ってもらえるなんて……。すぐに雄大からのお礼動画を撮ってLINEをしたら『わざわざ連絡ありがとう』って。いや、こっちがありがとうじゃないですか(笑)。あれだけの大投手なのに、この器の大きさというか、優しさというか、僕も本当に大好きで尊敬しています」

父も部署異動で新天地へ

 長男より一足早く、自身にも環境の変化があった。亜細亜大を卒業後、新卒で明治神宮外苑に入社し、神宮球場の飲食・物販を統括する野球場販売部で長らく働いてきたが、2月からテニスクラブに異動。慣れない職種に戸惑いながらも、43歳は果敢にチャレンジを続けている。

「野球場から離れるということで、若干寂しさはありましたけど、ちょっとずつ慣れてきました。息子と同じく、また新たな挑戦をさせてもらえるので、それはありがたいですね」

父の目線「調子が悪い時に人間の本質が出る」

 4月からは高校球児の父となる。親子の夢は、「全国制覇」と「高卒プロ入り」だ。もちろん、簡単ではないことは重々承知している。古畑さんもPL学園で、もがき、苦しみながら、ようやく2年秋に「3番・三塁」の座を獲得。1998年選抜では4番として4強、夏には本塁打を放ち、松坂さんらと高校日本代表に選出されるなど、高校野球界のトップを走り抜けてきたが、その道のりは決して平坦ではなかった。

「横浜はみんな鳴り物入りで入ってきているし、同級生だけではなく、来年以降は下からも凄い選手が入ってくる。これから苦労することの方が多くなってくるとは思うんですけど、調子が悪い時に人間の本質が出てきて、その時にどう戦えるかが勝負になってくる。まずは自分に負けないように、そして家族や友達、これまでの指導者、ご縁を頂いた方々や、応援してくれる人たちのことをしっかりと思い出してやってほしいです」

 雄大は当面は寮生活ではなく、都内の自宅から横浜市金沢区内にある高校まで電車で通うことになる。義務教育を終えた息子が、ちょっとずつ自身の手を離れていくことに寂しさはないのだろうか。「全然ですよ。ようやくここまで来ました」。古畑さんはそう言うと、屈託なく笑った。新たなる旅立ち。古畑親子の挑戦は、今まさに始まったばかりだ。

<「息子」編とあわせてお読みください>

文=内田勝治

photograph by Katsuharu Uchida