4月17日、長谷部誠の電撃引退会見がドイツで開かれた。ドイツ在住の筆者が会見に出席し、感じ取った長谷部からのメッセージとは――。

 元日本代表キャプテンの長谷部誠が、今季限りでプロ選手としての現役引退を表明した。

 誰もがいつかは引退をする。でも、長谷部ならまだやれるかもしれないという思いを抱いていたファンもきっと数多くいたことだろう。だが、ついにその時が来たのだ。4月17日水曜13時30分、トレーニングウェア姿の長谷部がクラブの記者会見場に姿を現す。席についた長谷部は丁寧に「こんにちは。お集まりいただきありがとうございます」とあいさつすると、少し間を取ってから落ち着いた様子でドイツ語でゆっくりと話しはじめた。

今回は決断の時で、正しいタイミングだと思います

長谷部「今シーズン後に、プロ選手としてのキャリアを終えようと思います。なぜこのタイミングでの発表になったのかというと、ここ最近頻繁に(去就について)質問されることがありました。直接お伝えすることで、ここからチームと一緒にブンデスリーガのラストスパートに集中できると思いました。何としてもみんなで6位を死守したいですね」

 その後は地元記者からの質問にじっくりと言葉を選びながら、時に笑みを浮かべながら答える長谷部。2024年1月18日に40歳の誕生日を迎えた長谷部はクラブ史上最年長出場記録保持者であり、リーグ全体でもフィールドプレーヤーとして歴代5位に入る。またブンデスリーガ通算383試合出場は外国人選手で歴代3位の記録を持つ。そんなレジェンドが告げた引退に質問が止まらない。みんな長谷部の話が聞きたいのだ。

長谷部「(引退を)決断するのは難しかったです。ただこの数年間はずっと、『いつかこの時がくる』ということと向き合ってきましたから、準備することはできていました。思いながら5〜6年たってしまいましたけど(笑)。でも今回は決断の時で、正しいタイミングだと思います」

娘にはまだ伝えていません。なぜかというと…

 こんな質問もあった。

「昨年、娘さんと一緒に試合前の入場をしたいという話をしていたと思いますが、彼女はどんな反応を?」

 長谷部は、「実は」と前置きをしてから内情を明かしていく。

長谷部「娘にはまだ伝えていません。なぜかというと、彼女に話をしたら、ひょっとしたら学校で友だちに話をしてしまうかもしれません。そうしたらどこからか話がこぼれて、メディアの皆さんが余計に憶測をすることになるかもしれません(苦笑)。だから今日家で伝えようと思います。最後に娘と息子と試合前の入場シーンを一緒にすることができたら素敵だなと思います」

 ほほえましい話に、記者もみんな笑顔になる。ただ長谷部はすぐに表情を引き締めると、「でも...…」といってこう話し出した。

長谷部「それが一番大事ではないんです。ここからの4〜5週間は、チームと大きな目標を一緒に達成したい。そして最終節のライプツィヒ戦後にスタジアムのファンと一緒に大きく祝いあいたいですね」

質問は日本語? それともドイツ語? と聞くと…

 チームのために多大な貢献をしてきた選手が、レジェンドと讃えられている選手が、現役生活の最後に、愛する子どもたちと一緒に入場したいと口にしても、誰が咎めようか。最後に試合に出たいといっても、誰もが理解を示してくれる。むしろ最大限にサポートしようとしてくれるだろう。でも長谷部は長谷部だった。どんな時も自分個人のことではなく、チームの勝利を何よりも大事に考える。だからチームメイトからも、監督・コーチからも、首脳陣からも、ファンからも最大限にリスペクトされるのだ。

 僕もこの場で尋ねたいことがあったのだが、果たして何語で尋ねるべきかどうか迷った。ヴォルフスブルク時代から何度も取材をさせてもらってきているが、ドイツ語で尋ねたことはない。それに日本人が何も言わずにいきなりドイツ語で質問しだすのも違和感がある。ドイツ語で「日本語で質問してもいいですか? それともドイツ語のままで?」と尋ねてみたら、広報にちらっと視線を送られた長谷部はすぐに「ドイツ語でいきましょう」ときっぱり言い切った。

日本人記者にもドイツ語で質疑応答をした意味

 これがこの会見のメッセージなのだと感じた。日本のサッカー関係者、そしてファンへはシーズン終了後に日本で記者会見を開くことになっている。そこで自身の思いを大事に伝えてくれるだろう。この日の記者会見はまずフランクフルトファン、関係者、地元記者へのものであり、そうした彼らへの確かなリスペクトがあるからこそ、ドイツ語でやることに意味があったのではないか、と。

 スポーツ選手の引退にはいろんなきっかけがあったりするので、改めてドイツ語で「引退を決意するうえで様々な理由があったとお話しされましたが、そのなかでもなにか決定的な瞬間があったのでしょうか」という質問をふってみた。

引退を決断した瞬間は…

 長谷部は「はっきりこれというのはわからないんです」と前置きをして、その理由についてを語ってくれた。

長谷部「本当にちょっとずつ(そうした思いが)出てきたという感じです。今季出場機会が少なかったんですが、練習でも少しずつ自分が遅くなっていることに気づいてきました。はっきりした時期は言えないんですけど、4〜5週間ほど前に引退すると決断しました」

 カレンダーを確認してみた。長谷部は2月18日のフライブルク戦に今季初スタメンでフル出場を果たしている。3-3で終わった試合後のミックスゾーンでは手ごたえとともに失点を防げなかった悔しさを口にし、「やっぱりまだまだですね」と笑っていた。とても自然な笑顔だった。そして「悔しさがあるからまだやるんでしょうね。今日の試合に出て、『いや、もっとできるな、やれるな』という感じはあります」とも話していた。だからまだ辞め時ではないんだと思っていた。でも、いろんなことが少しずつ、長谷部の中では進んでいたのだろう。

過去に語っていた引退への考え「総合的に決めたい」

 僕が長谷部に引退について尋ねたときのことを思い出した。あれは2021年、元フランクフルトキャプテンのダビド・アブラハムが引退を迎えた時だ。比較的年齢が近く、長く一緒にプレーしてきた選手が引退することをどのように受け止めているのかという質問に、当時長谷部は次のように答えていた。

「サッカー選手の引き際というか、引退の仕方というのは人それぞれだと思います。ダビドに関して言えばチームのキャプテンで、でも家族と子どもと離れ離れで生活していたということがありました。ヒデさん(中田英寿)のように20代で引退をする方もいれば、カズさん(三浦知良)のように長くサッカーやっている人だっている。そのどれもが尊重されるべきものだと思っています。周りがどうこうではなくて、僕自身としては僕のサッカーに対する気持ちとか、僕を支えてくれているファン、家族、友達の思いとか、そういうのを背負って、総合的に決めたいと思っています」

 あの時話していたように、長谷部は長谷部らしく、様々な視点で、様々な思いを丁寧に整理して、熟考して、そして決断を下したのだ。

初老の記者が「みんなで拍手を送るべきじゃないか?」

 会見を終えて、広報が席を立とうとしたとき、長谷部は「あ、最後にあと一言いいですか?」といって、マイクを手に持った。長谷部が口にしたのはメディアへの感謝の言葉だった。

長谷部「選手とメディアの関係はとても難しいものがあります。でもお互いにいつもリスペクトをもって向き合うことができたと思っています。改めて感謝の思いを伝えたくて」

 こみあげてくるものがある。周りを見るとみんな神妙だったり、穏やかに言葉を噛みしめたり。初老の記者が「みんなで拍手を送るべきじゃないか?」と声をかけ、みんなで大きな、大きな拍手を送った。いつでも礼儀正しく、オープンで、正直で、そして情熱的。みんな長谷部の言葉を聞くのが好きだった。だからだろう。この日の会見で地元メディアが質問を始める前に、何度も何度も長谷部に対して感謝とねぎらいの言葉をかけていた。

長谷部「最終節で6位を勝ち取って、みんなでお祝いしましょう」

 長谷部はそういって最後を締めくくった。5月18日、ドイツへ渡った1人のサムライがプロ選手として最後の試合を迎える。今シーズンがどんな結末を迎えても、ファンは長谷部に対してあふれんばかりの感謝とリスペクトをもって、限りない拍手と声援を送るだろう。レジェンドは永遠だ。世代を超えて、長谷部の功績は未来永劫に語り継がれていくのだ。

文=中野吉之伴

photograph by Eintracht Frankfurt e. V.