2023ー24年の期間内(対象:2023年12月〜2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。箱根駅伝インタビュー部門の第1位は、こちら!(初公開日 2024年1月21日/肩書などはすべて当時)。

 2019年の箱根駅伝で青学大、東洋大を抑え、優勝した東海大。そのゴールテープを切ったのがアンカーの郡司陽大だ。栃木県生まれのランナーは卒業後、実業団入りするも周囲からの期待や大学時代との比較に押しつぶされ、走れなくなっていく。会社を辞め、人生を諦めかけた元選手が明かす復活の物語――。(Number Webノンフィクション全3回の第3回/初回から読む)

ゴン太君だけは尻尾を振って迎えてくれた

 実業団に入社後、1年半で郡司陽大(あきひろ)は退社し、栃木県の実家に戻った。

 だが、実家に帰ると不安定な精神状態がさらに深刻になっていった。ある日、家族と普通に話をしているときに大声で叫び、急に涙が止まらなくなって、意識が遠のいた。頭から前のめりに倒れ、父が「大丈夫か」と叫んで抱きかかえ、母の「ちゃんと診てもらおう。病院に通おうね」という涙声だけが耳に残った。

「本当は、実家に戻ってくる気はなかったです。いつも『もうちょっと頑張りなさい』って言われて、誰もわかってくれないんだなって思っていましたから。それでも戻って来たのは、犬のゴン太君がいたからです。僕が帰った時、ゴン太君だけは僕に尻尾を振って迎えてくれた。もう老犬だったので、最後まで面倒見ようと思い、実家に帰ってきました」

 実家に戻ってはきたが、やることはなく、苦しい日々がつづいた。

箱根があったから、こんな目に…

 両親のことを敵だと思っており、顔を合わせるのがいやだったので会う時は、ずっとフードをかぶっていた。なぜかトイレの水が流せなくなり、訳もなく自分の部屋の壁にパンチして穴をあけた。夜になっても寝られず、ハサミで自分の腕を傷つけた時もあった。自分を傷めつけることで苦しみから逃れようとしたのだ。

「その頃は、何もいいことはなかった。人生を変えてくれた箱根駅伝も優勝しない方が幸せだったなと思っていました。箱根があったからすごい選手みたいに思われて、こんな目にあっているんだ。いっそ、なかったことにしたいと思いました」

箱根には魔力みたいなのがある

 箱根に優勝すれば、翌朝から日本テレビの番組に出演し、いろんな人から「おめでとう」と声をかけられるようになる。一般の学生ならついつい舞い上がってしまうのは当然だ。でも、それは箱根で活躍し、優勝したからであって、特に個人に対して興味があるわけではない。2、3週間もすれば熱が冷め、熱狂的な取り巻きは消えていく。箱根であれだけ注目を集めた郡司だが、うつ病に苦しんだ経験をブログに書いても3人からしかレスポンスがなかった。

「棘のある言い方かもしれないですけど、いろんな人が応援してくれているのは、箱根に出ている君だよっていうことなんです。箱根駅伝という存在の大きさが自分とイコールじゃないことは分かっているんですけど、そう思ってしまうんですよ。その魔力みたいなのが箱根にはあって、あの時の自分と今の自分を比べられて、僕は何も変わらないのにダメだって言われる。それが本当にきつくて、苦しくて、さらに落ち込むんです」

「おもしろいなぁ」部屋に籠もった郡司を救ったのは…

 ひとりで部屋に閉じ籠っている時、救いになったのがゲーム配信や雑談配信だった。郡司は、「おもしろいなぁ」と思いながら聞いていた。

「流れていく時間とゲーム配信や雑談配信が、自分を少し前向きにさせてくれました。僕は、加藤純一さんや恭一郎さんの雑談配信が好きで、よく聞いていました」

 暇つぶしにゲーム配信をしていると、「ところで、おまえ、誰?」と聞かれた。「俺、こんなんだよ」と箱根の時の写真を見せると「おまえ、スゲーな」と言われた。「でも、今は走れないけどね」など、普通に会話が続いていくことに楽しさを感じた。

「そういう、たわいもない会話をすることで僕は救われたんです」

声をかけてくれる人がいるのは、本当に幸せ

 外の世界とも少しずつつながりを持てるようになった。東海大の両角監督から「自分の強みを見つける」というテーマで話してほしいと言われ、短い時間ながら経験談を話す機会をもらった。あるイベントでゲストランナーとして呼ばれ、「箱根を覚えているよ」と、声をかけてもらった。社会に一歩ずつ踏み出していく中で、うつの症状も改善していった。病院にいく回数が減り、抗うつ薬を飲む回数が減った。

「ひとりで家にいる時、他人から声をかけてもらえるのが一番うれしいんです。こんな状況になっても僕のことを覚えていてくれたり、声をかけてくれる人がいるっていうのは、本当に幸せだなって思いました。一人で家にいて、自分の世界に閉じこもっていてもいいこと何もないんで、今後もゲストランナーとして市民ランナーと一緒に走ったり、話す機会をもらえたら全国どこにでも行きたいなと思います。やっぱり走るのは気持ちがいいので」

2つの後悔

 昨年10月、実業団をやめて2年が経過した。

 まだ、うつ病は完治していないが、振り返ると「後悔」ばかりが頭を支配した。

「今、冷静になって考えると実業団をやめたけど、もっとやり方はあったのかもしれないと思いました。走れないのに給料23万円をもらうのは、給料泥棒じゃんって思っていたので、そういう自分が許せなかったんですけど、練習メニューとかもさらっと受け止めて走っていればニューイヤー駅伝とかで貢献できたのかもしれない」

 もうひとつの後悔は、祖母の臨終に立ち会えなかったことだ。

「祖母が危篤だという連絡を受けた時、コロナのせいで会えないって両親に伝えたんです。本当は、普通に行けたんですけど、当時は親のことを敵だと思っていたので、会いたくなかったんです。嘘をついて、祖母の最期に立ち会えなかったのは、めちゃくちゃ後悔しています」

ずいぶん家族に助けられたなぁ

 今は、自宅で両親と普通に会話ができるようになった。あの時は「顔がやばくて、本当に心配だった」と、そんな話が出来るようになった。病院にいって周囲を見まわして、明らかに元気がなさそうな人を見た時、自分もああだったんだと客観視できるようになった。

「ずいぶん家族に助けられたなぁって思います。僕は仕事もしていないし、何か利益を生み出しているわけじゃないですけど、ご飯を食べさせてくれて、心配してくれています。無職なので『家(豚肉の生産、加工販売)を手伝ったら』と言われるんですけど、僕は家畜を育てるのはいいんですよ。でも、食肉として送り出すのがいやなので断っています」

 昨年10月、愛犬のゴンタ君が息を引き取った時、もっと何かできたのではないかと自責の念にとらわれ、ペットロスに苦しんだ。動物への愛情が深い郡司にとって家畜も犬も同じであり、天寿を全うするのではなく、ある時期、「死」へと送り出すのは耐えられないのだろう。

これからは人を笑わせられる人生にしたい

 ただ、いつまでも部屋に閉じこもっているわけにはいかない。

 郡司にとって単純に楽しく、社会との接点であるランニングは、今後も継続していくが、ほかにも挑戦したいことがあるという。

「ゲーム配信や雑談配信に僕は救われたので、そういう配信をもっとやっていきたいです。もうひとつはラジオをやりたいですね。有吉(弘行)さんやハライチさんの番組を聞いているんですけど、楽しいですし、人を笑わせるのっていいなって思うんです。僕も配信中、いきなり前髪を切って笑わせたんですけど、これからは“笑われる”人生にしたいと思います。さんざん暗い時代を過ごしてきたので」

 郡司は、そう言って白い歯を見せた。

甥っ子や姪っ子と遊ぶのが楽しい

 待ち合わせの場所に、郡司は少し離れた駐車場から走ってやって来た。そのフォームは、東海大時代と変わらないものだった。

「本当に恥ずかしいんですが、お腹は多少、脂肪で揺れるんですけど、胸も揺れるんですよ(苦笑)。僕は、昔から胸板が厚くて、筋肉質だったんですけど、脂肪がついてここ(胸)がこんなに揺れるんだって思いました。走っていると、たまに友人から『デブが走っていると思ったら郡司じゃん。けど、太ったなぁ、胸板厚過ぎ』って連絡がくるんです。太っても走り方は、変わらないんだなぁって思いましたね」

 一方で、変化も起きている。

 ゲーム配信や雑談配信を楽しんだり、こうしたいというポジティブな気持ちが生まれてきている。話をしていてもリラックスした表情で、時折、笑顔を見せ、家族への感謝を語り、甥っ子や姪っ子と遊ぶのが楽しいという。ひどくこじらせた“心の風邪”は、間違いなく快方に向かいつつある。走る様もいずれ昔のシルエットに近づいていくだろう。

<「優勝」編とあわせてお読みください>

郡司陽大(ぐんじ・あきひろ)

1997年4月3日、栃木県生まれ。那須拓陽高校を経て、2016年東海大に入学。2019年の箱根駅伝で10区を区間3位で走り、東海大優勝のアンカーに。同年の全日本大学駅伝で6区区間賞。翌年の箱根駅伝では10区を走り、区間3位に。卒業後は小森コーポレーションに入社。2021年10月に退社し、現在はTwitchでゲーム実況配信などを行う。

―2024上半期箱根駅伝インタビュー部門 BEST5


1位:「箱根駅伝を優勝しない方が幸せだった」郡司陽大26歳が苦しんだ「箱根駅伝の魔力」 自傷行為、引きこもり生活…救いとなったのは「加藤純一」だった
https://number.bunshun.jp/articles/-/861407

2位:箱根駅伝“1年生で2区12人抜き”あの天才留学生…オムワンバは今、長崎にいた「後悔がゼロ、は嘘になるけど…」「まだ“見習い”です」
https://number.bunshun.jp/articles/-/861406

3位:「お前らは中大の恥だ」という電話も…箱根駅伝の名門“まさかの予選落ち”、1年生主将&副主将が直面した伝統校の重責「誹謗中傷はかなりありました」
https://number.bunshun.jp/articles/-/861405

4位:箱根駅伝ですべてを出し尽くし…「消えた天才」と呼ばれた“青学大の最強ランナー”出岐雄大の苦悩「陸上以外の道がなくなっていった」
https://number.bunshun.jp/articles/-/861404

5位:「お前はやるべきじゃない」と言われても…800m日本王者は、なぜ箱根駅伝(約20km)に挑んだ? 田母神一喜が語る“異例の転向”の真相
https://number.bunshun.jp/articles/-/861401

文=佐藤俊

photograph by Wataru Sato