“悪童”という面ばかりが強調されるが、少なくとも欧米でのネームバリューという点では、ルイス・ネリ(メキシコ)は井上尚弥(大橋)のこれまでの対戦相手でもトップクラスだろう。2019年以降、8試合中6戦をアメリカのリングで行い、2020年には2階級制覇も達成した。

 人気ボクサーとまでは言えないものの、一定の知名度はある。昨年2月、カリフォルニアで行ったアザト・ホバニシャン(アルメニア)戦がリングマガジンが選定する年間最高試合に選ばれ、エキサイティングなスタイルを改めて印象付けることにもなった。

「リングマガジンの“年間最優秀選手”を獲得したボクサーと“年間最高試合”を受賞した選手の激突なんて滅多にあることではない」

 リングマガジンのダグラス・フィッシャー編集長のそんな言葉通り、5月6日に東京ドームで挙行される井上対ネリは期せずしてリングマガジンが選定する昨年度の“年間最優秀選手”対“年間最高試合の勝者”の激突になった。だとすれば、試合内容に大きな期待がかかるのは当然である。

ネリのボクサーとしての実力は?

 こうしてエキサイティングなスタイルこそ知られていても、ネリのボクサーとしての実力がどの程度なのかはあまり語られていない印象もある。

 過去に山中慎介(帝拳)、マクジョー・アローヨ(プエルトリコ )、ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)、ブランドン・フィゲロア(アメリカ)といった元世界王者たちとも対戦し、前述通り、バンタム級、スーパーバンタム級の2階級を制した。通称パンテラ(豹)は29歳になった今でも世界トップレベルのボクサーなのか。いったいどの程度の力の持ち主なのか。

「ネリは才能のあるボクサーであることは間違いない。井上が対戦してきた中でも最高級に才能に恵まれた選手だろう。身体能力、スピードがあり、多くのアメリカ人選手同様、 相手の距離でまずパンチを出させた上で自身のパンチを打ち込むいわゆる“プル・カウンター”の使い手でもある。軽量級ではパンチ力も強打者と呼べるレベルだ。また、試合開始直後から尻込みしていた他の何人かの井上の対戦相手とは一線を画し、横暴なまでの自信を持って“モンスター”に挑んでくるはずだ」

 Fighthype.comのショーン・ジッテル記者がそう述べている通り、ネリを形容する際に頻繁に使われるのが“talented(才能がある)”という言葉だ。

 軽量級選手としては非常にダイナミックであり、中間距離で振り回すコンビネーションの連打は自由奔放に飛翔する。平均以上のバネがあり、ジッテル記者の指摘通り、カウンターも打てる。試合運びが上手なタイプではないが、ボクサーとしてナチュラルな能力を持っていることは間違いない。

ジッテル記者が付け加えたこと

 ただ……こうして天性のタレントを備えているのを認めた上で、ジッテル記者がこう付け加えていたことは記しておきたい。

「少なくともこれまでのところ、ネリはその才能ほどの実績をリング上で残せていないボクサーだと思う」

 前述通り、2階級を制しはしたものの、どちらの階級でも防衛回数はゼロ。WBC世界スーパーバンタム級王座を保持していた2021年5月、フィゲロアとの統一戦ではボディブローで7回にKOされ、初黒星を喫した。これまでで最大のステージといえる一戦で完璧な形でストップされたことで、その評価は頭打ちになった感は否めない。

 フィゲロア戦以降もネリは4戦全勝(3KO)だが、連戦連勝を続けていた頃ほどの存在感は取り戻せていない。このようにネリがいわゆる“underachiever (実績が能力以下に止まる選手)”として燻っている背景には、日本のファンならご存知の規律、集中力不足があるのではないか。

「フィゲロアに敗れるまでのネリなら、井上が前々戦で対戦したスティーブン・フルトン(アメリカ)よりも一段上にランクしたかもしれない。ただ、現在のネリはフルトンよりも下だろう。フルトンほどの技術はないが、より優れたパンチャーではある。そのパワーゆえに危険な選手ではあるが、井上を相手にいわゆる“パンチャーズチャンス”があるとも思わない。昨年、悪くない選手ではあっても、世界王者レベルではないホバニシャンとネリは生きるか死ぬかの試合をやったばかり。現状ではエリートレベルに近い選手ではあるまい」

 Boxingscene.comの元シニアライターで、現在はBoxing Newsなどで健筆を振るうキース・アイデック記者のそういった指摘がネリの立ち位置を適切に示している。危険な選手ではあるが、おそらくエリートボクサーではない。

 昨年7月、井上とスーパーバンタム級の統一戦を行い、8回TKOで討ち取られた前WBC、WBO王者のフルトンよりも格的には一段下の元チャンピオンと見るべきか。だとすれば、ネームバリューはあっても、“井上にとって最高級の難敵”と称されるべきではないのは確かに違いない。

 個人的な意見を言えば、今戦に向けてのネリは最高級のコンディションを作ってくると仮定した上で、序盤は井上にも多少の危険があると見ている。怖いのは開始早々、ネリの風車のような連打を見極める前に数発を避け損ね、少なからず戦力を損なった場合。わかりやすく言えば、2019年のノニト・ドネア(比国)との第1戦、2回に左フックを浴びて右目を痛めたような展開だ。

 もっとも、バンタム級ではまだトップレベルの力を残していたドネアほどの深みがネリにあるとは思えないのも事実ではある。だとすれば、序盤の懸念も結局は杞憂に終わる可能性が高い。モチベーションは最高潮であることが予想される井上が技術、スピード、パワーなどすべての面で力の差を見せつけ、支配していく流れが容易に想像できる。それらを踏まえた上で、最後にアイデック記者の展開、結果予想を記し、本項の締めくくりとしたい。

「ネリは“優れたボクサー(a good fighter)”だが、井上は“偉大なボクサー(a great fighter)”だ。ネリには井上に勝つ現実的なチャンスがあるとは考えていない。ネリは開始直後から積極的に攻めるはずで、序盤は井上を少してこずらせるかもしれないとは思う。ただ、井上がネリを崩し、KOすると見る。井上が7、8回までにネリをストップしなかったら私は驚くだろう」

 “偉大なボクサー”と“優れたボクサー”。その差が東京ドームで満天下に晒されるであろう夜はもう間近に迫っている。

文=杉浦大介

photograph by Takuya Sugiyama