言わずと知れた日本の大学の最高峰である東京大学。その野球部は強豪ぞろいの六大学リーグで奮闘が話題になることもしばしばだ。そんな野球部のとあるOBがこの4月、激戦区で名高い神奈川の野球強豪校の校長に就任したという。銀行マンとして30年以上活躍してきた“超エリート”は、なぜこのタイミングで教育の世界へ足を踏み入れたのだろうか。<NumberWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む>

 今年3月「横浜隼人高・校長に朝木秀樹氏が就任」という記事に、アッと思った。

 東京大学野球部のOBだというのも、胸にひっかかった。「朝木秀樹」という名前に聞き覚えがあった。

 私の高校時代の1年先輩に、東大野球部のOBがいる。その方が「大学野球部に自慢の後輩がいる」と、何度か話してくれたのが、この朝木氏だった。

 愛知県立千種高校、東大経済学部で捕手として野球を続け、現在はテレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスターをつとめる大越健介氏とバッテリーを組んだ。当時、4年間のリーグ戦で通算24勝は、六大学リーグでの東大野球部の立ち位置を考えれば快挙といって差し支えないだろう。

東大野球部卒業後は、銀行マンとして約30年勤務

 大学卒業後は三和銀行(現・三菱UFJ銀行)でおよそ30年勤務されたのち、出向からの転籍という形で麻布学園(東京)の事務長をつとめていた朝木氏。別の東大野球部OBと、横浜隼人高・水谷哲也野球部監督が旧知だった縁で、夢にも思っていなかった「教育者」の道が目の前に広がったのは、昨年2023年の春ごろだった。

 9月に副校長として迎えられると、この春、4月からは横浜隼人中学・高校およそ2000人の生徒をあずかる校長先生に就任された。

「実はまだ先生と呼ばれることに、ぜんぜん慣れないんです。違和感があるんですね。私、教員免許も持ってないし、教育の現場に立つなんて考えてもいなかったので、なんか変ですね……やっぱりまだ」

 ならばここでは、ご本人の希望でもあるし、「朝木さん」と呼ばせていただこう。

 一昨年、還暦を迎えられた人生の大ベテランではあるが、先生としては「1年生」。当たり前だが、ぜんぜん先生くさくない。

 淡々と、おだやかに、フラットに……張った言い方もしない代わりに、おっしゃりたい事だけはピシャッとおっしゃるあたりは、生き馬の目を抜くともいわれる「金融」という社会で長く渡り歩いてきた銀行マンの「刃」のようなものが見え隠れする。

「先生、先生ってお互いを呼び合う職業って、学校もそうですけど、お医者さん、弁護士さんもそうですよね。医療サービスとか、教育サービスって言葉があるわりに、考えてみるとお金を払う側が受け取る側に対して『ありがとうございます』って言うでしょ。普通は逆ですよね、お金を受け取る側が、ありがとうって言うわけで。

 だから、お互いの立ち位置をカン違いしやすい職業だと思うんですよ、先生って。そこのところ、間違えないでほしいし、『カン違いしないように』って、機会があると話すようにしてるんです」

 先生たちの先生……校長という職分には、そうした役回りもあるようだ。

「銀行員の場合、あらゆる業種の、いろいろな哲学を持った人たちとのお付き合いの中で、日常的にすごくもまれるわけですが、先生の場合はそういう幅がちょっと狭いのかな。学校って、ある意味、閉鎖的な環境でもありますし『学校の常識』みたいなものが出来やすいかもしれないですね」

ビジネス界で体感した「信頼される人間」とは…?

 副校長という立場から教育の現場に入って、およそ半年。

 日常に出会うさまざまな事象が、とてもフレッシュに感じるという。

「長いことビジネスの世界にいて感じたのは、横浜隼人の校訓でもある『必要で信頼される人』っていうのは、自分で考えて、自分で決断して行動できる主体性を持っている人だと思うんです。隼人の生徒たちにも、ここに通う3年間・6年間で、少しずつそういう若者になってほしいんです」

 校長という立場で、初めてメッセージを発信したこの春の入学式でも、朝木さんは、1年生たちにそう呼びかけた。

「隼人は、以前は、やんちゃな学校って言われた時期もあったようですから、その頃を知っているベテランの先生たちからは、『ウチの生徒はこうしないとダメなんです』という声も出ます。でも、私、やってみないとわからないでしょ……って思うんです。当時と今とでは、生徒たちの気質も変わってきています。『やってみましょうよ』って言うんです」

 先生は何かを教えなければならない。確かにそうなのだが、そこを、ちょっと変えてみたらと、朝木さんは考える。

「まずやらせてみて、その結果が出てから、それが間違いだったら、そこで初めて手を差し伸べる。もちろん、取り返しのつく範囲の間違いですけど。そこで、どうすれば失敗しなかったのかを、一緒に考えてみる」

 生徒たちが間違えないように先に指導してしまうのは、一見親切なようで、実は、生徒たちの貴重な学びの機会を失わせることになるのではと、朝木さんは心を砕く。あるたとえ話をしてくださった。

「野球部は指示されたことを一生懸命やる。ラグビー部は…」

「社会に出て、運動部出身の社員というのは一般的に重宝されます。でも、よく言われたのが『野球部出身者は指示されたことだけ一生懸命やるのに対して、ラグビー部の出身者は自分で考えて、判断して、能動的に動ける』ということです」

 監督が試合中でも逐一指示を出す野球という競技と、フィールド上ではある程度、選手の判断で動かなければならないラグビー。その競技性の違いを揶揄した言説なのだろうが、朝木さんは笑い話で終わらせず、そこにも一定の理解を示す。

「もちろん個人差はあるし、一概に競技で括るのも変な話ではあると思うんですが、ある程度の“傾向”が出るということは現実がそうなんでしょう。やっぱり主体性のある人間の方が必要にされるし、頼りにもされるのは事実ですね」

 だからこそ、朝木さんは生徒に主体性を持たせることが最も大事だと考えている。

イソップ童話の「ウサギとカメ」に思うこと

 この春の入学式、あるイソップ童話を題材に挙げて、こんなふうにも語りかけた。

「ウサギとカメの話は、誰でも知っていると思います。先へ行ったウサギが、途中でいねむりをしている間に、カメに追い抜かれてしまった。『油断しちゃいけませんよ』というのが教訓ってことになってますが、実はこの話はもっと深い。ウサギとカメ、それぞれに目の中に捉えていたものが違っていたんです。

 前に行ったウサギは、後ろにいるカメばかり見ていたから『まだ大丈夫』と油断してしまった。カメのほうはたとえゆっくりでも、ひたすら一心にゴールだけを見て前に進んでいた。自分の定めた目標に向かって、まわりに惑わされることなく、着実に歩みを進めた者が最後には大きな成果を得られるんです。みなさん、ぜひカメになりましょう!」

 学校には、いろいろな生徒がいて、それでいいとも朝木さんは言う。

「勉強ひとつ取っても、できる子もいれば、そうでもない子もいます。できる子は、頑張ってどんどん先に進んでいけばいい。そこまでじゃない子は、少しずつ、少しずつ、時間をかけて自分を伸ばしていけばいい。仮にスタートが30点でも、次はそれが40点になればいい。40点じゃあ……って、親御さんはおっしゃるかもしれないけど、この『10点』が尊いんです。

 80点を90点にするんじゃない。30点を40点にするって、ものすごい意欲と努力が必要なんですよ。わずかな上がり幅かもしれないですけど、この10点を大切にできる学校でありたいなって、思いますよね」

 実は朝木さんがそんなことを思うようになった原点のひとつには、昨年まで勤めていた「日本一の進学校」での野球部監督経験も大きな影響を与えているという。

<次回へつづく>

文=安倍昌彦

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