5月は名人戦(藤井聡太名人−豊島将之九段)と叡王戦(藤井叡王−伊藤匠七段)の対局が並行して行われている。両タイトル戦の方式を比較すると、7番勝負と5番勝負、2日制と1日制、持ち時間は各9時間と各4時間の違いがある(いずれも前者が名人戦)。消費時間を計測する手段も違っていて、勝負に微妙に影響しているようだ。それに関連して「秒読み」にまつわる公式戦の対局でのエピソードを田丸昇九段が紹介する。【棋士の肩書は当時】

消費時間を「加算」する方が秒読みになりやすい

 8タイトル戦のうち、竜王戦、名人戦などは59秒以下の消費時間を「切り捨て」(ストップウォッチ方式)にする。叡王戦、王座戦などはすべての消費時間を「加算」(チェスクロック方式)する。

 前者の場合、消費時間を20分20秒、10分30秒、5分40秒、1分50秒、0分59秒と使うと、秒を切り捨てにするので実際の消費時間は「36分」となる。後者の場合、前記の消費時間をすべて加算するので「39分19秒」となる。3分ほどの差だが、指し手が進むにつれて消費時間は前者より増えていく。終盤では持ち時間は使い切って「秒読み」になりやすい。

 叡王戦の第2局と第3局で藤井叡王が同学年で21歳の伊藤七段に連敗したのは、伊藤の研究の成果、藤井の不調説などが取りざたされているが、秒読みも一因になったかもしれない。

 第2局で藤井は66手目に8分を使い、1手60秒の秒読みに入った。伊藤も69手目に秒読みに入り、両者の秒読みでの寄せ合いが繰り広げられた。そして、伊藤は87手目の王手で藤井の玉を即詰みに討ち取った。どちらにも勝機があった形勢不明の難局だった。

 第3局で藤井は91手目に12分を使い、秒読みに入った。伊藤も96手目に秒読みに入った。それから秒読みでのぎりぎりの攻防が続いた末、伊藤が146手で難解な戦いを制した。

藤井を上回った伊藤と、思い出す5年前の広瀬−藤井

 藤井は今年1月から王将戦、棋王戦、名人戦、叡王戦でタイトル防衛戦に臨んでいて、4月中旬の名人戦第1局までタイトル戦の対局で通算16連勝していた。

 そのうち今年の10局分(棋王戦の持将棋を含む)の残り時間は、13分以上の2桁が6局、3分以上の1桁が4局だった。全体的に押し気味の将棋が多く、持ち時間に余裕を持たせていた。しかし、叡王戦第2局と第3局は秒読みになって連敗し、名人戦第2局は逆転勝ちしたが、残り時間は2分と切迫した。

 藤井は類まれな才能と詰将棋で鍛えた深い読みによって、秒読みに追い込まれてもミスは少ない。叡王戦では伊藤の卓越した終盤力が藤井より勝ったといえる。

 思い出されるのは2019年11月の王将戦リーグ(広瀬章人竜王ー藤井七段)最終戦である。

 両者はともに4勝1敗で勝った方が渡辺明王将への挑戦権を得る。藤井は中盤で苦戦を跳ね返したものの、終盤で秒読みが10手以上も続いた。そして、広瀬が△6九飛成と王手した土壇場の局面で、▲6八歩と合駒したことで長手順の即詰みが生じた。▲5七玉と逃げれば藤井の勝ちだった。

 藤井(当時17歳4カ月)は最年少タイトル挑戦の記録を逃した。さすがに落胆したようで、棋士人生で初めての挫折経験となった。将棋も不調に陥り、師匠の杉本昌隆八段に「手が見えない」と弱音を吐くこともあったという。

実は羽生が“3手詰め”でポカしたことも

 藤井はその後、広瀬戦の苦い経験を教訓にして、持ち時間を多く使っても最後は少し残すことを心がけている。3分ぐらいの残り時間で勝ち切る実戦例が多くなった。消費時間が切り捨ての対局では、1手を59秒以下で指し続ければ持ち時間は減らない。しかし叡王戦は消費時間をすべて加算するので、その手は不可能である。

 過去の対局においても、秒読みをめぐって様々な出来事が起きている。

 1図は1963年に行われたA級順位戦(大野源一八段−塚田正夫九段)の終盤の局面の部分図(外部サイトでご覧の方は、関連記事から見ることができます)。なんと両者の玉に王手がかかっている。

 敗勢の塚田が形作りに△2八飛の王手をかけると、大野は▲3九玉と逃げて△2七飛成▲3一角の王手で勝ちと読んでいたが、秒読みに追われて読み筋と指し手を混同してしまい、先に▲3一角と打ったのだ。すると塚田は「これ、もらっておくね」と言って、△4八飛成で玉を取り上げた。王手を見落とした大野の反則負けとなった。

 これは極端な例だが、一流棋士でも秒読みになると、信じられないような大ポカや悪手を指すことがある。

 2図は1991年に行われた竜王戦(羽生善治棋王−南芳一王将)の終盤の局面の部分図。羽生は敵陣に入玉すると、安全を期して飛車取りに△2七桂と打った。しかし、実戦は▲2九銀△1九玉▲2八銀引(3図)と進み、簡単な3手詰めで羽生は敗れた。羽生の数少ない大ポカだったが、秒読みが続いていて読みが混乱したようだ。なお、2図では南の玉に詰み手順があった。

加藤一二三の「秒読み」エピソードの数々

 秒読みという観点で逸話を持つのは、「ひふみん」の愛称でお馴染みの加藤一二三・九段である。

 加藤は現役時代、長考派の棋士として知られていた。

 序盤から惜しみなく持ち時間を使って長考を重ね、中盤で秒読みになることも珍しくなかった。自身をわざと苦境に追い込むような持ち時間の使い方は「将棋界の七不思議」といわれた。当の加藤は、こう語ったものだ。

「読み切るために時間をかけて考えます。将棋は限りなく深いので実際は不可能ですが、そうした努力は棋士の使命だと思います。時間に追われて大魚を逃したこともありますが、秒読みでもリズムにうまく乗ると調子よく指せます。だから、いつまでたってもやめられない(笑)」

 加藤は持ち時間を使い切っても、記録係に「あと何分?」と繰り返して聞き、「1分将棋です」の返事を聞いてから読みに集中した。そのやりとりを読みのリズムにしていたようだ。

 加藤はNHK杯戦で優勝が7回、民放の早指し棋戦で決勝に6回進出した(そのうち3回優勝)。普段の対局で秒読みになることが多いので、短時間のテレビ棋戦を苦にしていなかった。そんな加藤は「秒読みの神様」と呼ばれたが、敬虔なクリスチャンとして違和感を覚えた。大山康晴十五世名人に命名された「早指しの大家」が気に入っているという。

「大山−升田」の名人戦で起きた時間切れ負け

 秒読みでは直感的に浮かぶ「勘」が大事で、大棋士や強者ほど正しいという。NHK杯戦を例に挙げると、最多優勝は羽生九段の11回。次いで大山十五世名人の8回、中原誠十六世名人の6回と続く。ちなみに勘の字は「はなはだしい力」と読める。

 1手60秒の秒読みの場合、記録係は「30秒、40秒、50秒、1、2、3……8、9」と読み上げ、対局者は10を読まれたら時間切れ負けとなる。

 1954年の名人戦(大山名人−升田幸三八段)第2局では、実際にそんな事態となった。秒読みだった升田は記録係に「10」と読まれたのだ。新聞の観戦記によれば、大山は「あっ」と声を上げ、升田は「時間が切れたのか」と記録係に聞くと、「はい、少し」の返事に「それじゃ、負けだ」と投了したという。升田は盤面に集中するあまり、秒読みの声を失念したようだ。なお、終了局面は升田の勝ち筋だった。タイトル戦で時間切れ負けは、本局が唯一の例である。

 ある作家が書いた将棋小説の秒読みの場面で、最後を「10、9、8……2、1」と逆に読んだが、それはロケット発射や大晦日の新年へのカウントダウンである。

 対局者にとって、秒読みになるのは辛い状況だが、形勢が不利なときはあえて秒読みにすることもある。相手の対局者に対して自分の指し手を考えさせまいと仕向け、早く指させることで疑問手を誘発させるのだ。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬あれ」の謀といえる。

文=田丸昇

photograph by NumberWeb