女傑たちが牡馬顔負けの活躍を見せる「牝馬の時代」にあって、圧倒的なポテンシャルを示した可憐な芦毛馬がいた。強さと脆さが同居した「ガラスの天才少女」が駆け抜けた、わずか6戦の競走生活とは。長く競馬界を見つめる筆者が、ファンに鮮烈な印象を残した「消えた天才」の蹄跡を振り返る。(全2回の2回目/前編へ)

強さと脆さが同居した「幻の三冠牝馬」の血統背景

 日本ダービーを勝っても不思議ではない能力を見せながら、何らかの事情で出走が叶わなかった馬は、よく「幻のダービー馬」と呼ばれる。クラシック出走権のなかったオグリキャップや、骨折のためクラシックを棒に振ったヤマニングローバルなどが、そうだ。

 ならば、この馬は「幻の桜花賞馬」か。いや、もっとスケールが上の「幻の三冠牝馬」のほうが相応しいかもしれない。

 顔も仕草も愛らしく、穏やかな性格で、どこにこんな力を秘めているのか不思議だった芦毛の牝馬、レーヴディソール(2008年生まれ、父アグネスタキオン、栗東・松田博資厩舎)のことである。

 レーヴディソールは、フランスでGIを勝った母レーヴドスカーの6番仔だ。

 きょうだいには活躍馬が多く、5歳上の兄ナイアガラは3連勝ですみれステークスを勝ち、3歳上の姉レーヴダムールは阪神ジュベナイルフィリーズ2着、2歳上の兄アプレザンレーヴは青葉賞優勝、1歳上の兄レーヴドリアンはきさらぎ賞2着、3歳下の妹レーヴデトワールは紫苑ステークス優勝、4歳下の弟レーヴミストラルは青葉賞と日経新春杯優勝、さらに下の3頭を含め、日本で生まれた仔はみな勝ち鞍を挙げている。

 しかし、姉レーヴダムールは、キャリア2戦目の阪神ジュベナイルフィリーズで僅差の2着となったあと、故障から復帰するための調整中に死亡。兄アプレザンレーヴは屈腱炎のため3歳秋で引退。そのすぐ下の兄レーヴドリアンは菊花賞で4着と好走したあとに腸捻転で予後不良となるなど、強さと脆さが同居したファミリーでもあった。

 レーヴディソールを管理した松田はすぐ上の兄レーヴドリアンも管理していた。また、主戦騎手となる福永祐一も同時期にこれら2頭のレースで乗っており、このファミリーの特性を知悉していた。

単勝支持率は“ディープインパクト超え”の81.4%

 レーヴディソールのデビューは2010年9月11日、札幌芝1500mの2歳新馬戦。中舘英二を背に快勝した。

 2戦目のデイリー杯2歳ステークスから福永が乗るようになり、後方から大外を余裕たっぷりに伸び、2着を1馬身1/4突き放して重賞初制覇を果たした。

 つづく阪神ジュベナイルフィリーズも後方から直線で抜け出して優勝。着差こそ半馬身しかなかったが、直線で進路ができさえすれば勝てるという、福永の自信が伝わってきた。序盤から出して行くことも、手綱を引くこともなかった。道中も急な動きをせず、とにかく大事に、極力負担をかけないよう、水が高いところから低いところへ自然と流れるようなレースを、福永はしてみせた。

 瞬発力があるタイプではなかったが、3戦とも上がり3ハロンはメンバー最速。いったんエンジンがかかるとどこまでも伸びて行くかのような走りで、悠々、2歳女王の座についた。

 なお、この阪神ジュベナイルフィリーズで2着となったホエールキャプチャも、3着のライステラスも芦毛だった。1984年のグレード制導入以降、GIで芦毛馬が1〜3着を占めたのは初めてのことだった。

 3歳になった2011年の初戦は、3月5日の桜花賞トライアル、チューリップ賞。

 2戦目のデイリー杯でマイナス6kg、阪神ジュベナイルでさらにマイナス2kgと体が減っていたが、プラス10kgの460kgでここに出てきた。

 単勝1.1倍の1番人気。しかも、単勝支持率は、2005年菊花賞でディープインパクト(1着)が記録した79.0%を上回る、グレード制導入以降最高の81.4%だった。

 その圧倒的な支持に応え、後方のまま直線に入り、福永が軽く気合をつけると豪快に伸び、ラスト200mを切ってからは流すようにして2着を4馬身切って捨てた。

 3歳牝馬同士のGIII(当時)とはいえ、重賞でこれほどのワンサイドゲームは、そう見られるものではない。

 その4年前の2007年にはウオッカが牝馬として64年ぶりにダービーを制し、ライバルの女傑ダイワスカーレットと翌08年の天皇賞・秋で競馬史に残る名勝負を繰りひろげるなど、「牝馬の時代」が到来しようとしていた。

 さらに、レーヴディソールがデビューした2010年には、同じ厩舎の先輩である名牝ブエナビスタが年度代表馬になっていた。牝馬の時代はつづいており、牝馬同士の重賞だからといって、価値が低く見積もられることはなくなりつつあった。

福永祐一の評価は「完璧に運ばなくても勝てる馬」

 福永はレーヴディソールに関して、「すべて完璧に運ばなければ勝てないというレベルの馬ではない」と話していた。多少、条件が合わなかったり、不利があったりしても、これだけ力が飛び抜けていれば、少なくとも同世代の争いとなる牝馬三冠路線では負けることはないように思われた。

 血に宿る危うさを出さず、無事に成長すれば、ウオッカやダイワスカーレット、ブエナビスタといった名牝と同等か、それらを上回る存在になっても不思議ではない“ガラスの天才少女”。化け物のような強さを発揮しながら、ルックスは愛らしいままだったことが、余計に底知れぬスケールを感じさせた。

 しかし、桜花賞の前に右橈骨遠位端を骨折。春シーズンを治療と休養にあてることになった。

 同年11月のエリザベス女王杯で約8カ月ぶりに復帰し、3番人気で11着。翌月の愛知杯では1番人気に支持されたが、4着に敗れた。

 翌12年の年明け、出走を予定していた京都金杯を右後肢の飛節の不安で回避。その後、右前脚の剥離骨折も判明し、手術を経て復帰を目指したが、断念。現役を退くことになった。

 残念ながら、3歳春までに見せた圧巻のパフォーマンスを取り戻すことはできなかった。

 引退後は故郷のノーザンファームで繁殖牝馬となり、毎年のように元気な仔を産んでいる。

 重賞を勝つような仔は出ていないが、すでに繁殖生活に入っている娘たちもおり、母レーヴドスカーを牝祖とする牝系の枝葉は大きくひろがろうとしている。そこからまたこのレーヴディソールのような大物が出るか。楽しみに待ちたい。

<ヤマニングローバル編もあわせて読む>

文=島田明宏

photograph by Yuji Takahashi