5月24日の阪神戦、8回まで2つのエラーだけで、ノーヒットで快調に投げ進めてきた戸郷翔征投手が、9回、先頭の8番木浪聖也遊撃手に四球を与えてしまった。

 代打・小幡竜平内野手(延岡学園高)は、同じ宮崎県高校球界の同期生としてしのぎを削ってきたライバルだ。バントで送って、さあ、1番・近本光司中堅手、2番・中野拓夢二塁手。タイガースが誇る「山椒は小粒でもピリリと辛いコンビ」の登場。快挙の夢ついえるとすれば、ここか。ありがちなストーリーである。

 近本光司の一塁ライナーにはハッとさせられたが、続く中野拓夢を、フォークで空振りの三振に切って取ったのには驚いた。

 同点のランナーが、二塁にいた。俊足の代走・植田海。2死だからセカンドリードも大胆で、もしフォークが沈み過ぎてパスボールにでもなったら、バックネットまで距離のある甲子園だ。一気にホームへ突入、ノーヒットノーランどころか、同点という可能性もあった。

 状況は確かにそうだったが、映像で見ている戸郷投手のマウンドさばきからは、そんな危うい気配など全く伝わってこない。

 平然と、淡々と、飄々と。ただでさえ、巨人戦の甲子園球場である。画面からは聞こえてこないが、おそらく現場では「阪神命」の大観衆からの絶叫や念力……戸郷投手への「圧」は、ピークに達していたはずだ。

最後まで落ち着いていたマウンド上の戸郷

 なのに、マウンド上の戸郷投手だけが、一切の外圧を遮断した「カプセル」に入って打者と向き合っているような異次元ぶり。

 最後は「どうせやるな」と、妙に安心して見ていられたのだから、巨人・戸郷翔征投手というのは、果てしなく凄い投手になったものだと、あらためて驚いた。

 戸郷翔征投手が、昨シーズンのセ・リーグ覇者・阪神タイガース戦で、ノーヒットノーランの快挙を成し遂げたことは、2018年の高校日本代表のメンバーたちが誰よりも「そうだろう、そうだろう!」と納得しているのではないか。

 大阪桐蔭高・根尾昂(現・中日、投手)、同・藤原恭大(現・千葉ロッテ、外野手)、報徳学園高・小園海斗(現・広島、内野手)、浦和学院高・蛭間拓哉(→早稲田大、現・西武、外野手)、常葉大菊川高・奈良間大己(→立正大、現・日本ハム、内野手)……その年、2018年の「高校ジャパン」は「歴代最強打線では」の評価もあったほど、甲子園の俊英たちが居並んでいた。

 実際に、少し前の「大学日本代表」との交流試合では、早稲田大・小島和哉(現・千葉ロッテ)、日本体育大・松本航(現・西武)、明治大・森下暢仁(現・広島)、東北福祉大・津森宥紀(現・ソフトバンク)らのちにプロ球界に進み、投手陣の一角として奮投する快腕たちを相手に、その投球を結構、バットの芯で捉えていた逸材たち。

 そのチームと、サンマリンスタジアム宮崎での練習試合で、真っ向勝負をいどんだのが「宮崎県選抜」のエース・戸郷翔征、その人であった。

「宮崎県選抜」が「日本代表」を圧倒

 サイドハンドにも、スリークォーターにも見える独特の角度から、豪快に腕を振って投げ込むフォームは、基本、今の戸郷投手と変わらない。だが、当時のほうがかなり暴れている印象のフォームだったから、打席で立ち向かうバットマンたちも、ちょっと腰が退けぎみだったのは確かだった。

 そこに145キロ前後の速球と曲がりの大きなスライダーで真っ向全力投球の勝負をかけてくるのだから、全国有数の選手たちも面食らってばかり。さらに速い動きのチェンジアップを交えてくるから、なかなかバットに当たらない。

 初回2死三塁、予定外のリリーフのマウンドに上がり、そこから6回までのロングリリーフ。アウト16のうち9つの三振を奪ってみせたから驚いた。

 たまたま取材で現場にいたので、戸郷翔征のマウンドさばきやダグアウトに戻って来る時の表情を、間近で見ていた。

 ちょっとアゴを上げめにして、別に意識してそうしているわけじゃなかったのだろうが、相手からすれば、挑発されているように見えたのでは? 強烈な目力で、打席に入ってくる打者をにらみつけるように迎え入れる。いい根性してるなぁ。いつのまにか、私のほうがファンになっていた。

 投げるボールにも、打者と向き合う内面にも「キバ」があった。このピッチャーが使えなくて、誰が使えるのか。自信があったから、事あるごとに、スカウトの方たちに評価を訊いていた。

「面白いタイプですけど、アーム投げ(※腕を曲げずに投げる投げ方の俗称。一般的には故障のリスクが大きいと言われてきた)でしょ……あずかった人(コーチ)が苦労するだけ」

「うーん……ブン投げですからねぇ。コントロールがねぇ」

 その宮崎では、「ブン投げ」のわりには、両サイドにふた通りのラインが作れて、「大丈夫かな」と思っていた右打者の頭方向へ抜けるボールも1つか2つ。それでもプロで前例のないタイプだったせいか、スカウトたちの反応は煮え切らなかった。

 ちなみに私は、毎年独自に行っているドラフトシミュレーション『ひとりドラフト』で、聖心ウルスラ高・戸郷翔征投手を「巨人3位」で指名したことを内心、自慢に思っている。

独特のフォームゆえか…ドラフトでは高評価ならず

 その秋、本番のドラフトで、その巨人から6位に指名された戸郷翔征。

「私、見たことないんですけど、戸郷って、どうなんですか?」

 大学野球の取材に出かけた地方の球場で、巨人のあるスカウトの方から、そう問われたことがある。やはり、心配されていたのは、その「ブン投げフォーム」だった。

「今年の高校生でいちばん打ちにくい投手だと思います」

 そんな答え方をしたと思う。腕の振りの角度は違うが、戸郷投手のボールの怖さ、打ちにくさには「中日・浅尾拓也投手(※現・中日コーチ)」のそれが重なっていた。

 一瞬遅れる腕の振り、勝手に激しく動くクセの強い球質、迫って来る怖さとスピード。大学時代の浅尾拓也投手の全力投球を何度も受けていた私には、戸郷投手の「威力」が疑似実感として伝わっていた。

 延岡市の郊外、聖心ウルスラ高の野球部グラウンドは、山間の小高い場所にある。そこへ向かう長い山道……ここを走り込んで鍛えた下半身だから、あの「ブン投げフォーム」でもバランスを作れた。現場に行って、納得したことがある。

 プロに進んで、ほどよくフォームの枝葉をそぎ落とし、新たな「戸郷スタイル」を構築した戸郷翔征投手。もう「ブン投げ」という人は、誰もいないだろう。

 オリジナリティの中にある合理性。

 大きなテークバックというのは、コントロール不安や肩・ヒジに負担をかけると、悪者扱いされる傾向がある。だが、戸郷投手の場合はテークバックの軌道が大きいので打者の間合いの取り方が難しい上に、肝心のリリースのタイミングがピタリ合っている。だから、そこまで制球破綻もない。(※5月27日現在、58イニング3分の2で14四死球)

 なによりマウンド上でいかにも気分よく投げているのがわかる戸郷投手の淡々とした表情が一見独特に見える投球フォームのフィット感を表している。

 戸郷投手のフォームは「どこかで誰かに改善されたのか?」いろいろ訊いてみたのだが、

「誰かが直したとは、聞いたことないですね。徐々に長いイニング投げるようになった中で、球数が増えても体の負担にならないように、自然とアクションロスやパワーロスが減ってきた。本人が気づいて、少しずつマイナーチェンジしてきた結果ではないですか」

 返ってきた答えを総合すると、こんな感じになる。

 中には、「あんなフォーム、怖くていじれないですよ!」という本音に笑いをまぶしたような答えもあった。

戸郷が生み出した新しい「野球の法則」

 一般論では「いかがなものか」となっても、本人の感覚の中にピタリとフィットすれば、それはそれで、本人にとっては最良の方法論となる。「戸郷翔征」という存在が、新しい「野球の法則」を1つ、生み出したようだ。

 そもそもが、非常に打ちにくい球質と、タイミングを合わせにくい投球フォームのメカニズムがあって、そこにアベレージ140キロ台後半のパワーと魔球のようなフォークという強力な武器もある。左打者の外のボールゾーンから入ってくる新しい軌道も身につけて、こういう存在を「無双」と称するのか。

 巨人という球団の枠を超えて、「投手・戸郷翔征」がプロ野球界全体のトッププレイヤーに台頭する日が、もうすぐそこまで、やって来ているようだ。

文=安倍昌彦

photograph by JIJI PRESS