鹿島アントラーズや日本代表で尽力したジーコが、ブラジル代表での輝かしいキャリアや日本サッカーへの率直な提言を口にした70歳時のインタビューの一部を再公開します。(初公開:2023年9月23日)

 ジーコは当初、監督としてのキャリアには全く興味を示さなかった。ところが、2002年ワールドカップ(W杯)終了後、日本サッカー協会から日本代表監督就任を要請されると、意外にも承諾した。

日本への恩返しのつもりで代表監督就任への要請を

――2002年W杯終了後、川淵三郎会長(キャプテン)の強い意向もあって日本代表監督へのオファーを受け、承諾します。

「日本に長く住むうち、日本が大好きになり、自分にとって第二の故郷となった。2002年の自国開催のW杯では日本代表を応援していた。ベスト16入りしたとはいえ、『もっと上に行けたはず』という思いが拭い切れなかった。そこで、日本への恩返しのつもりで日本代表監督就任への要請を引き受けた」

――兄エドゥーをテクニカル・アドバイザーに迎え、2004年に中国で行なわれたアジアカップで優勝します。準々決勝のヨルダン戦では延長戦の末のPK戦で、準決勝のバーレーン戦でも延長前半にようやく勝ち越すなど、苦しい試合が多かった。

「欧州でプレーする数人の主力が欠けていた状況で、選手たちが結束して苦しい試合を勝ち切ってくれた。大きな手応えを感じた大会だった」

――そして、2006年W杯アジア予選は2次予選の6試合、3次予選の6試合のほとんどが接戦でしたが、結果的に11勝1敗で突破します。

「アジアは広大で、国によって試合環境が大きく異なる。厳しい試合もあったが、チームは確かな技術と戦術、強い精神力を発揮して勝ち切ってくれた。予選を通じて、チームが大きく成長していった」

審判の判定にも泣かされた

――ただし、肝心の2006年W杯ではグループステージ(GS)最初のオーストラリア戦で先制しながら、後半39分以降に3失点。痛恨の逆転負けを喫します。

「(前半26分、中村俊輔の右からのクロスが直接ゴールに飛び込んで)先制した後、追加点を奪うチャンスが何度もあったが、シュートが精度を欠いた。

 審判の判定にも泣かされた。後半、同点にされた直後(後半41分)、コマノ(駒野友一)が右サイドを突破してペナルティエリアへ侵入し、(ティム・)ケーヒルに倒された。明らかなPKで、ケーヒルはすでにイエローカードをもらっていたから退場処分を受けるべきだった。ところが、審判はまるで何事もなかったかのように流した。

 そして、そのケーヒルに逆転ゴールを決められた(後半44分)。この失点で、選手たちはショックを受けてしまった(注:後半アディショナルタイムには、ジョン・アロイージに3点目を奪われた」

チームがバラバラになったとは思っていない

――後半39分の最初の失点は、オーストラリアの左からのスローインがゴール前に入り、GK川口能活が飛び出したがボールを大きく跳ね返すことができず、こぼれ球をケーヒルに決められた。2点目のケーヒルのゴール正面からのミドルシュートは、守備陣全体のマークが甘かった。3点目は、アロイージのドリブルを駒野が阻止できなかった――。

「失点を個々の選手の責任にしたくない。攻守両面でミスがあったのは事実だが、チーム全員で戦ってチーム全員で敗れた。これがフットボールだ」

――次の試合は、クロアチアとスコアレスドロー。GS最終戦はブラジルと対戦し、2点差以上で勝たなければGSを突破できないという過酷な状況でした。

 前半34分、左SB三都主アレサンドロの縦パスを玉田圭司が左足でニアサイドの上隅に叩き込む見事なゴールで先制しましたが、前半のうちに追いつかれた。そして、後半、3点を奪われて1−4の大敗を喫しました。

「クロアチア戦は、ピンチもあったがチャンスもあった。最後のブラジル戦も、前半をリードしたままで終えていたらまた違って結果になっていたと思う」

――この大会に出場した日本代表の一部の選手が、後に「2002年のチームと比べてまとまりが足りなかった」、「オーストラリア戦の後半途中、FW柳沢敦に代えてMF小野伸二を起用した場面では、相手のロングボール戦法に対抗するため守備の選手を入れてほしかった」、「オーストラリアに敗れて、チームがバラバラになった」という意味のことを語っています。

「オノを投入したのは、中盤でボールをキープして試合を落ち着かせてほしかったからだ。私は、オーストラリアに敗れてチームがバラバラになったとは思っていない。出場機会が少なかった選手も含めて、選手全員が最後まで諦めることなく戦ってくれたと思う」

「最大の課題はフィジカル」の真意

――大会後、監督を退任します。その記者会見の席上、「日本選手の最大の課題は、フィジカル」と語ったことが物議を醸しました。

「フットボールでは、CB、GKなど一部のポジションで大柄な選手が必要とされるのは当然のことだ。しかし、私が言いたかったのは体のサイズだけではない。もっと体力をつけるべきこと、骨折、筋肉系の故障をしない強い体を作ること、そして故障から回復するまでの時間を短縮することの重要性を指摘したのだ。

 その後の日本代表を見ると、これらの課題は着実に克服されている。元々、日本選手の技術と戦術理解能力は高いレベルにあるから、フィジカルが向上すれば個人能力は著しく高まる。それゆえ、近年、欧州の多くの強豪クラブが日本人選手と契約し、活躍の場を与えている。そして、彼らが日本代表の主力となり、最近のW杯における好成績を実現している」

――日本代表監督を退任した後、トルコ、ロシア、ウズベキスタン、ギリシャ、イラク、カタール、インドのクラブや代表チームで監督を歴任。2018年から再び鹿島で強化に携わっています。リーグ30年の歴史をどう眺めていますか?

「私がJリーグ発足前夜に日本へ渡った当時、日本のフットボール全体にアマチュアの雰囲気がまだ色濃く残っていた。しかし、その後、Jリーグが誕生し、各クラブがプロとしての体裁を整え、アカデミーで優秀な選手を育成し、今では日本代表選手の大半が欧州でプレーしている。これほど順調な発展を遂げているリーグは、世界でもあまり例がない」

ミトマのドリブル、クボの技術、カマダの…

――今後、日本のフットボール関係者はJリーグのさらなる発展のために何をするべきでしょうか?

「リーグの運営面は、文句の付けようがない。各クラブにおける練習環境も、ほぼ十分だろう。後は、もっと優れた選手、監督、審判員をもっと多く育むこと。これに尽きると思う」

――日本代表については、どう考えていますか?

「アジアでは常に最強レベルにあり、W杯の常連となり、のみならず2010年、2018年、2022年のW杯で好成績を残した。とりわけ、2022年大会でドイツ、スペインという世界トップレベルの強豪を倒したことは世界を驚かせた。

 しかし、今後も地に足をつけて選手を育成し、Jリーグの競争力を高め、選手たちが国際経験を積んでさらに成長しなければならない。それができれば、W杯ベスト8と言わず、もっと高いポジションに到達できる」

――FW三笘薫はブライトン、FW久保建英がレアル・ソシエダで活躍しており、さらにMF鎌田大地がフランクフルトからラツィオ、MF遠藤航がシュトゥットガルトからリバプールへと移籍しました。

「ミトマの破壊的なドリブル、クボの柔らかいテクニック、カマダのアタッカーとしての総合的な能力、エンドウの守備力は素晴らしい。彼ら以外にも、日本には優れたタレントが大勢いる。Jリーグで、そして欧州でさらに成長を遂げてほしい」

 ◇ ◇ ◇

 残念ながら、日本代表を率いて臨んだ2006年W杯では期待されたような成績を残すことはできなかった。しかし、もしこの男が32年前に日本へ来ていなかったら、そして長年に渡って鹿島アントラーズと日本代表の強化に貢献してくれていなければ、日本のフットボールの進化のスピードは全く違っていたのではないか。

 彼に対し、我々フットボールを愛する日本人はいくら感謝してもしきれないのではないだろうか。

<つづく>

文=沢田啓明