アメリカ現地時間、6月15日の試合前。

 MLBに挑戦して14試合目の先発となるこの日、ロサンゼルス・ドジャースの山本由伸は、いつものように塁間の軽いキャッチボールを5分ほど行っていた。その後、80〜90mの大遠投を10分、そして20mほどの距離で低く速いボールを10球ほど投げ込み、ブルペンに向かった。

 異変はすでに起こっていたのかもしれない。

 ブルペンで捕手を座らせた後、山本は数球投げるごとに右腕を揺らし、腕と肩の状態を確かめる仕草を何度も繰り返した。身体の動きをしきりに確認しながらウォーミングアップ。その表情には笑顔はなく、違和感を抱いてることはこの時点で窺えた。

大谷にひと言告げてベンチを後に

 前回のヤンキース戦の登板では7回を球数106球、被安打2、7奪三振、無失点、最速98.4マイル(約158km/h)のストレートとキレのある変化球で零封。白星こそつかなかったが、圧巻のピッチングだった。

 そこから中7日。予定より2日遅らせての登板となったロイヤルズ戦は2回球数28球を投げ終えたところで緊急降板した。

 オリックス時代は独特のクイック投法を取り入れる中で脇腹の張りと常に向き合ってきたが、上腕の張りを訴えての降板は日本時代にはなかったと記憶している。突然のアクシデントにデーブ・ロバーツ監督の表情は曇り、ベンチ内も慌ただしく動いた。山本は大谷翔平にひと言告げた後、ベンチを後にした。

 この日はストレートの平均速度は4km/hほど落ちていたという数字的な部分に加え、プルペン同様に、打者を打ち取るごとに何度も右腕を頭の上にあげて腕と肩の動きを確認する姿があった。

 試合後、軽傷であることを訴えた山本だが、ロバーツ監督は故障者リスト入りを決断。登板翌日の17日、精密検査を受け、右肩腱板の損傷の診断が下った。上腕から肩へとつながる腱板が部分的に損傷し、上腕に張りを感じるようになっていたのだ。

原因はスライダーが増えたから?

 日本では唸りを上げるストレートと独特の縦の変化を見せるカーブ、そして速く鋭く落ちるスプリットであらゆる投手タイトルを手にしてきた。アメリカに来てからの大きな変化を挙げれば、オリックス時代にはあまり投げていなかったスライダーの割合がかなり増えたことだ。

 デビューしてからの1カ月間は全く投げていなかったスライダーを5月から投げ始め、白星がつくようになった。その割合はというと、5月最初のダイヤモンドバックス戦は全投球の3.2%(3球)だったが、ヤンキース戦では12.3%(13球)にまで増えていた。

 日本の統一球よりも滑りやすくボールを握る力と研ぎ澄まされた指先の感覚が必要と言われているメジャー球。オリックス時代よりも短い登板間隔の中でローテーションを回していくという条件もクリアしなければいけない。初めての経験が続く中での新たなトライとなるスライダーを交えた打者への配球。今回の症状の原因としては手首から上腕の捻りを使いながら投じるスライダーの割合が増えたことによる影響、そして短い間隔の中での登板数による肩の酷使が考えられる。

 先輩である大谷は16日の試合が終わった後、「自分と向き合いながら必死に努力する姿を見てきているので、僕の経験からできる限りのサポートをしたい」と慮った。

 完全無欠を誇った“4冠投手”が初めてぶつかったMLBの壁。ロバーツ監督は数週間のノースローを発表し、これで前半戦の登板はほぼなくなった。このニュースは17日に死球を受けて骨折したムーキー・ベッツ内野手の離脱ともに大きなニュースとして扱われている。

 常勝軍団ドジャースのエースとなるために訪れた最初の試練を、山本は如何にして乗り越えるか。

 高校時代、内野手から投手に転向し、様々な工夫を凝らしながら自らの感性で作り上げ、上り詰めてきた「山本由伸」という珠玉の作品。大谷がスイーパーという魔球にたどり着き、打者と投手をこなすペースに順応してきたように、山本も彼にしか投げられないスライダーを作り上げ、それに耐えうる肉体とメカニズムを生み出していくしかない。

 山本由伸だからこそ、期待できる部分は大いにあるのではないだろうか。

文=田中大貴

photograph by JIJI PRESS