3連覇の偉業達成後でも、そこに弾ける笑顔はなかった。

 新潟で行われている陸上競技の日本選手権。女子走高跳で優勝したのは高橋渚(センコー)だ。1m75cm、1m78cm、1m81cmの試技を1発クリアし、この時点で日本一を決めた。1m84cm、1m87cmもノーミスで、目標に掲げていた1m90cmの大台へ挑戦。だが、この高さは3回とも失敗となった。

 2位に入った津田シェリアイ(築地銀だこ)の記録が1m78cmということを考えれば、中盤以降の跳躍は一人旅となる圧勝劇だった。

 だが、試合後に目を潤ませた高橋の口を衝いたのは、悔しさばかりだった。

「絶対に1m90cmを跳びたかったんですけど……やっぱり跳びたい気持ちが大きすぎて。それがなくならない限りは、まだダメなんでしょうね。跳びたい気持ちが強すぎると突っ込んじゃうんで、そのために助走も調整したりはしたんですけど」

 現在、日本の女子走高跳という競技は停滞期にあると言っていい。

 日本記録は20年以上前の2001年に記録された1m96cmのまま凍り付き、女子陸上競技の主要種目では日本最古の記録となっている。最後に日本人選手が1m90cmの大台を跳んだのも、実に11年前まで遡る。それだけに、高橋は日本の第一人者として忸怩たる思いを抱えていた。

パリに必要だった「1m90cmを跳んで優勝」

 加えて今回は、パリ五輪への世界ランキングでの出場もかかっていた。

 獲得ポイントの関係で、今回の日本選手権で「1m90cmを跳んで優勝」できれば、出場圏内となる32位以内のランキング順位まで上がることができる計算だった。

「今年は(世界ランキングのためのポイントが獲得できる)海外の大会にもたくさん挑戦させてもらって、パリ五輪を意識しての取り組みを続けてきました。それだけに、ここで跳べなかったのは悔しいです。そこまで一度もミスなく跳べてきていて、しかも『ハマる』ほどではなかっただけに、『1m90cmでいけるんじゃないか』という気持ちだったんですけど……力にできなかったです」

 一方で、今季ここまで高橋の安定感は日本のトップジャンパーの中でも群を抜いていた。

 2月に自己ベストとなる1m87cmを成功させると、その後の大会でも安定して1m80cm台の後半をマーク。5月の静岡国際では自己記録をさらに更新する1m88cmの跳躍にも成功していた。特筆すべきは、その安定感を慣れない環境の海外大会でも崩れることなく発揮し続けていたことだ。

 今季、海外の大会への参加を増やした背景にあったのは、同世代の選手たちの活躍だ。本人は昨年、こんな風に語っていた。

「ブダペスト世界陸上で金メダルを獲ったやり投げの北口(榛花)さんや、アジア選手権で優勝した走幅跳の秦(澄美鈴)さんとか、日本の女子選手から世界でもトップクラスの記録が出てきている。やっぱりダイヤモンドリーグとか世界最高峰の舞台で戦う経験値をどんどん貯めていることが大きい。走高跳でも海外の大会に出られれば、ハイレベルな記録で競える機会もどんどん増えると思うので」

「この選手が跳べて、なんで自分が跳べないんだろう」

 そもそも近年は、海外にコンスタントに参戦している女子の走高跳選手はいなかった。そのため、当初はエントリーの仕方もわからず「やり投げの選手に交ぜてもらって、単身で」参加するなど、手探りの状況だったという。それでも年明けには心機一転、所属先も移籍し、有言実行で世界転戦を実行してみせていた。

「日本だけでやってるのとはちょっと違って、メンタル面は大きく変わったと思います。欲も出ました。海外勢にとっては1m90cmなんて跳んで当たり前。『この選手が跳べて、なんで自分が跳べないんだろう』とか、いろんなことを考えるシーズンになりました。

(自己ベストと)ほんの数cmしか差がないのに、大台になると自分にとっては心理的な壁がありました。でも、そういう意識がなくなって1m90cmが『跳べる』と思える高さになったのは大きいと思います」

 また、海外勢と戦い続ける中でフィジカル面の進化も目を引いた。

 メディア等ではその173cmの長身と、跳躍選手らしいスラッとした長い手足から「モデル体型」と評されることも多い。昨年はフジテレビ系列で放送された『27時間テレビ』内の企画「さんまのラブメイト」で、明石家さんまの注目として名前が挙がったこともあった。だが、高橋が現在師事する飛田奈緒美コーチは以前、こんな風に語っていた。

「海外勢と戦おうと思ったら走高跳で173cmの身長って全然、小さいんです。190cmあればいいですけど、高橋のサイズで戦おうと思うなら“モデル体型”じゃダメ。七種競技の選手みたいなフィジカルが必要なんです」

 その言葉通り、今季は東海大を舞台に男子選手と一緒になって、走り込みやウエイトトレーニングで体づくりをしてきたという。昨年よりも一回り逞しくなったフィジカルは、他の選手と比べても一層、際立っていた。今年、一段階上の記録水準をキープできていたのは、基本となる身体の出力が上がったことと無関係ではないだろう。

「今日の日本選手権を一番、思い出に残る大会にしたかったんですけど……悔しいですね。でも、やりたいことや気持ちの面では(3度の優勝の中でも)一番、準備がしっかりできた大会でもありました。パリ五輪への挑戦は一区切りになりましたが、来年の東京世界陸上には絶対に出たい。そのためには、今季のうちに必ず1m90cmをクリアしたいと思います」

「絶対に自分が、世界の舞台に立ちたい」

 今大会で世界ランキングの五輪出場圏内への浮上はできなかったものの、仮に上位選手に欠場者が出るようなことがあれば、パリへの可能性もわずかながらまだ残す。

「もし出場できるなら、自分の跳躍をしっかりしてアピールしたいですね。女子の走高跳は世界から遠いと言われている種目。だからこそ絶対に自分が、世界の舞台に立ちたいんです」

 孤高の第一人者は、そう言って前を見つめた。

文=山崎ダイ

photograph by Yuki Suenaga