七夕の府中(東京都)は暑かった。夏の予選取材には、2つの「勇気」が要る。

 家を出る時、一気に押し寄せる熱気を「このやろー!」とばかり撥ね除ける勇気と、取材先の最寄り駅から外に出た時の、2度目の勇気だ。

 この日の府中は、駅を出てたかだか10分ほどの球場への道を、何度引き返そうと思ったか。ムリもない。その翌日の府中、あぶなく40℃に達するほどの最高気温がテレビのニュースになっていた。

 そんな炎熱の球場に、聞けば、日米14球団42人のスカウトたちを集めたのだから、桐朋高・森井翔太郎選手(3年・183cm86kg・右投左打)の魅力もただならぬものがあったはずだ。普段は、北海道や九州でしか出会わないスカウトたちも遠路やって来ていて、こちらも「ええっ!」とビックリしたものだ。

 ここまで高校通算45弾、投げては最速153キロという。

 超進学校から現れた投手、野手両面の才能を持った逸材。誰だって、強く興味を魅かれる存在に違いない。

 以前見た試合は、球場に着いて間もなく終わってしまったので、見たうちに入らない。今日が初見みたいなものだ。

 試合前、グラウンドに入ってきた桐朋高の選手たち。探す必要なし。高校生の中に、たった1人、プロ野球選手が混じっているような圧倒的なユニフォーム姿。シルエットが、彼だけ「オトナ」だ。

 アップをしに外野へ向かって走っていく後ろ姿。全身の筋肉の躍動。足を後方に力強く蹴り上げていくエネルギッシュな動きだけでも、飛び抜けたバネの強さが伝わってくる。

 キャッチボールの距離が伸びて、目測50〜60m。伸びっぱなしのボールが、相手の頭上を軽くオーバーし、後方のフェンスにいくつも直撃している。無理もない……3年生の夏の初戦だ。グラウンドに出た途端、カーッとヒートアップして気負ってしまう。私にだって、覚えがある。

 シートノックが始まって、やはり、普通の高校生の中に1人だけ大人がいるような、良い意味の「違和感」が、そのまま彼の大物感になっている。

 深い位置から力を入れた一塁送球はちょっと「ふかし気味」になっても、塁間程度の軽いスナップスローの伸び感は、ダイヤモンドを小さく見せている。

 試合はまだ始まっていないのに、スタンドがもうザワつく。

 森井翔太郎選手のすばらしい身体能力が、見守る観客たちにも伝わっているのだろう。屋根があるのはネット裏だけ、直射日光を浴びながら、体感50℃近い炎熱のもとで見なければならぬ内野スタンドも、7割方埋まっているのは、おおむね「森井翔太郎」を見に来ているファンたちのおかげだ。

打者か投手か…スカウトは「間違いなくバットマン」

「投手か打者かといわれたら、間違いなく、バットマンでしょう。ただ、どうなんでしょう。桐朋中学・高校……勉強のほうもきびしい学校で野球やってきて、基礎体力はどうなんだろうとか、心配はありますよね。実力うんぬん以前に、まずプロの練習についていけるかな」

 春先に出かけたある練習試合のネット裏。

 居合わせたスカウトの方と、「今年の東京」が話題になった時、私が真っ先に挙げた「桐朋の森井」について、とても冷静なコメントをいただいていた。

 試合が始まって、この日は「3番・遊撃手」でのスタートだ。

 初回、1点を先取した桐朋高がその裏、都立富士森高に、よもやの一挙7失点で逆転されて、球場の空気も落ち着かない中、森井選手が打ち上げた3本のセンターフライ。いずれも打った瞬間、アッと思わせるようないい角度を持った打球だったが、外野上空で失速した。

 3打席のうち2打席は、走者を2人置いた絶好のチャンス。持ち前の長打力でビッグイニングに! そんな心意気が気負いになってしまったように見えた。力んで右肩が入り過ぎていた分、インパクトでバットヘッドが、一瞬出遅れた。

 それでも、青空に高く、高く上がって、なかなか落ちてこない滞空時間は、3本とも6秒台後半に達し、二松学舎大付高当時の鈴木誠也選手(現・カブス)レベルのスイングスピードを表現していた。

「構えた姿なんか、たぶんピッチャーはどこに投げてもやられる……ぐらいの威圧感があったと思いますよ。私には全打席でホームランを狙っていたように見えましたけど、試合展開としてベンチとしてはタイムリーが欲しい場面が2度あった」

 彼のような非強豪校の選手の場合、この大会をオーディションと見なすのか、あくまでもトーナメントの甲子園予選と考えるか、考え方はふた通りある。

「今の私たち(スカウト)はどちらかというと自分の能力を発揮しながら、チームの一員としてどう機能できるのかの方を見てるんじゃないですかね」

 別のスカウトの方は、こんな切り出し方をした。

スカウトが「ちょっとガッカリした」ワケは?

「正直、ちょっとガッカリしたんです」

 エッと思った。

「いやいや、森井君自身のことじゃないんですよ。ほかの選手たちが、ほんとにごく普通の高校生たちじゃないですか。ノック見ても、試合見ても、森井君が刺激を受けそうなレベルの選手が1人もいないわけです。彼の場合、欠点があるとすれば、彼の能力じゃなくて、彼の置かれている野球的な環境。

 投手の場合は、それでもいいんです。野手として見た場合、もしいきなりプロに行って、プレーしているレベルがガラッと変わった時のカルチャーショックっていうんですか。周囲の選手が自分より一気に上手くなり、強くなった時のショックがどうなのか。そういうことが、心配になったりするんです」

 カルチャーショック。私自身に、強く思い当たることがあった。

 都内の弱小高校野球部から、名門・早稲田大学野球部に進んだ1年生の春。そこが、まさに「カルチャーショック」そのものだった。

 プロ野球のドラフト指名を断って入部した選手が2人、甲子園のスター選手に、その地区でのNo.1なんてのが、同期生にゴロゴロいた。練習はアップのランニングのスピードからして次元が違った。私の知っているダッシュの出力が、ウォーミングアップの走りだった。甲子園の強豪、常連で鍛えられてきた同期生たちは、涼しい顔でこなしていた。

 まあ、ひるんだ、ひるんだ。上手くなりたいとか、試合に出たいなんて、一度も思ったことはない。文字通り、練習についていくのが、やっとだった。

「私自身、<田舎のプレスリー>でしたからね」

 そう言って笑ったスカウトの方も、同じような「憂慮」を口にした。

「プロに入ってビックリしたのは、仲間たちの心身の強さですね。体も強いけど、精神的に強い。そうでない者もいましたけど、そういう選手はどんどん消えていく。球団から消えていくんじゃなくて、監督、コーチの視野から消されていくっていう意味。プロは、これがいちばん怖い」

 例にあげたプレーがあった。

 富士森高の猛反撃を受けた初回、森井翔太郎、緊急リリーフ。

 1死一、二塁からマウンド左側(ネット裏から見て)に転がされた送りバント。森井投手の守備範囲にも見えていた。

「動かなかったでしょ、森井君。ああいう場面で、自分からポーンと動けない弱さっていうのかな。少なくとも、高校時代の今宮(健太・現ソフトバンク)なら、サードで刺していた。僕ら、あれで、ショートの適性はどうなのかな……ってなるわけです」

「身体能力と才能は間違いなく一級品。だけど…」

「メジャーでどうなのかまではわかりませんけど、こっちのプロ野球だったら、いずれ間違いなく中心選手として働ける選手です。ただ、今(高卒時点)がプロ入りのタイミングなのか……ですよね。これは私の個人的な願いでもあるんですけど、森井君にはチームメイトも相手チームも、1枚、2枚高いレベルの選手たちの中で、強烈なサバイバルを経験してほしいなと思いますね。

 プロって、やっぱり生存競争です。行った先でポジション用意されてるなんて、これからはもうないですからね。進学できる環境と頭脳があると聞いてます。そうした恵まれた環境にあるんですから、ありがたく使わせていただいたらいい」

 神さまにいただいた才能は大事にしないとね……と、穏やかに笑ったそのスカウトの方が、去り際につぶやいたひと言が胸にきた。

「身体能力と才能は間違いなく超の付く一級品ですけど、彼の<野球>が、まだ高校生になってません」

 報道には、一様に桐朋高・森井翔太郎選手の「ポテンシャル」に対して、これ以上ないほどのスカウトたちの賛辞が並んでいた。

 人生、何が大切といって「タイミング」ほど大切で、また間の測りようの難しいものはないだろう。本音と忖度が交錯する高校野球のネット裏。

 真夏の府中は、やはりこれ以上もなく熱かった。

文=安倍昌彦

photograph by Sankei Shimbun