「長嶋さんは、あのときがいちばん苦しかったんじゃないかな」長嶋茂雄に松井秀喜が“現役引退”の電話…その時、何を言ったか?「巨人広報が泣いた日」
Number Web6/5(木)6:01

「長嶋さんは、あのときがいちばん苦しかったんじゃないかな」長嶋茂雄に松井秀喜が“現役引退”の電話…その時、何を言ったか?「巨人広報が泣いた日」 photograph by JIJI PRESS
長嶋茂雄の訃報を聞き、アメリカから緊急帰国した松井秀喜。松井が現役引退時、20年間で最も印象深いシーンに挙げた「長嶋監督と2人で素振りをした時間」。その真意とは。【全2回の2回目/初回から読む】
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また長嶋は時折、試合で活躍した選手に20〜30万円の入った封筒を監督賞として手渡すことがあったが、松井がもらったことは一度もないという。内田(順三)が振り返る。
「松井は活躍して当たり前だ、という態度を貫き通していましたね。長嶋さんはけっこう選手に冗談を言うんですけど、松井にはそういうことも言わなかった」
小声で松井に「凜としてろ」
内田は何かの拍子に長嶋が松井に「凜としてろ」と小声で言ったことだけは覚えている。
「満塁で三振したりしたら、ベンチに戻ってもテレビに映るじゃないですか。そういうときでも4番は下を向くな、凜としてろ、っていう意味だったんだと思います」
だが、長嶋の松井への眼差しは遠くからでも常に熱かった。巨人の元打撃投手で、オフには松井の練習パートナーを買って出ていたこともある、北野明仁が明かす。
「長嶋さんなりに松井の調子をはかるチェックポイントがいくつかあったんだと思う。それでバッティングケージの後ろとか両サイドでじーっと見てて、練習が終わると『今日の松井いいだろ』とか『今日は打てそうにないな』とかおっしゃるのですが、試合でもだいたいその通りになるんですよ」
2人きりのときは差し向かいで熱血指導し、チームの中にいるときはそうして距離を置いて熱心に観察する。そんな態度は松井にどれだけ成長の跡が見られても、変わることはなかった。
松井を心配していた長嶋
今年(編注:2012年)、駒澤大学の後輩でもある白崎浩之をドラフト1位で獲得した中畑は、今の自分の立場と、当時の長嶋と松井の関係をこうダブらせる。
「自分で獲った選手って、そういう風になるもんなんだよ。誰よりも気になるだけに、みんなが見ているところでは遠慮してしまう。結果を出しても喜びはあんまり顔に出せない。俺が今、白崎に対してそうだから。他の選手に特別扱いしてるって思われたくないじゃない。でも、長嶋さんは陰ですごい松井に気は遣ってたよ。俺とか人をうまく使いながらね」
香坂(英典/当時広報)もことあるたびに、長嶋に「大丈夫か、あいつ?」と聞かれた口だ。
「松井は元気に『おはようございます!』って言えるタイプじゃない。言葉少なで、ぶっきらぼう。監督へのあいさつの仕方も最初の頃は冷や冷やさせられました。そういう意味では巨人の中では劣等生と言っていい。そのあたりも心配だったんだと思います」
長嶋が松井に託したもの
そこまで長嶋が松井に執心していた理由を、小俣(進/長嶋の当時専属広報)は松井より1つ年下の高橋由伸を引き合いに出してこう忖度する。
「長嶋さんは、由伸が入団したときから『あいつは天才だ』って言ってましたから。触っちゃいけない、と。でも松井は不器用だからね。心配でしょうがなかったんじゃないかな」
そんな松井に長嶋が託したもの。それは何よりも飛距離だったと内田は言う。
「清原はポイントを中に入れて右中間へ、由伸は広角に打ち分けるのが持ち味だった。松井にそれを求めても無理。でも彼はケタ外れのパワーがある。『グシャ』っていう詰まったような音であれだけ飛ばせるのは彼しか見たことがない。だから長嶋さんも清原や由伸と違って常に引っ張ることを意識させていた」
「長嶋さんだってメジャーでやりたかった人」
巨人時代に松井が記録した332本の本塁打のうち、内田がもっとも印象に残っているのは最終年、02年にレフト方向へ放った50号のメモリアルアーチだ。長嶋が退いた翌年のことでもあった。
「長嶋さんがいなくなって松井のバッティングが変わったんですよ。プルヒッターだったのが広角に打つようになった。メジャーに行ったら外のストライクゾーンが広くなるでしょう。それを考えてやってたんじゃないかな」
そして同年オフ、松井は3度目の二冠王(本塁打、打点)と日本一を置き土産にメジャー行きを表明する。小俣は「長嶋さんは、あのときがいちばん苦しかったんじゃないかな」と振り返る。
「個人的には行かせてあげたいだろうけど、立場的には苦しいですよね……。ただ、長嶋さんだって向こうでやりたかった人だからね。物にはまったく執着しない人だけど、ヤンキースのジョー・ディマジオのサイン入りユニフォームだけは家に飾ってたぐらいだから。そのニューヨークに自分の魂の入った選手が行くわけだから。最終的にいちばん喜んでたのは長嶋さんだったんじゃないかな」
長嶋は松井のメジャー1年目にニューヨークを訪ねた。翌年も渡米する予定だったが脳梗塞で倒れ、かなわなかった。結局、長嶋が憧れのヤンキースのユニフォームを着た松井を生で見られたのは最初の年だけだった。
松井の言葉に涙が止まらなかった広報
松井の引退を本人からの電話で知った長嶋は、安堵した様子で小俣にこう言ったという。
「辞め方があいつらしくていいな。潔いよ」
その松井は引退会見で「20年間で最も印象深いシーンは」と問われ、真っ先に「長嶋監督と2人で素振りをした時間」を挙げた。それをテレビで見ていた香坂は、涙が止まらなかった。
「彼は、本音を言わない、考えてることがわからない、ってよく言われる。でも、すっとあの言葉が出たからね。彼は本当は孤独だったと思うんですよ。人に頼らない、誰よりも自立した選手でしたから。でも名誉監督の愛情はしっかり受け止めていたんだな、と」
プロの世界に飛び込んでから20年――。頑固で、ぶきっちょで、誰よりも誇り高い松井が少しだけ素直になった瞬間だった。
香坂が続ける。
「彼は監督と自分のことを畏れ多くて師弟だなんて思ってないんじゃないかな。もっとシンプルに『感謝しています』ということだけを伝えたかったんだと思う」
そして、心の中でこう続けたのではないか。これからもよろしくお願いします、と。
文=中村計
photograph by JIJI PRESS












