「野村克也がここまで言うとは…」菅野智之の“意外な評価”…入団拒否、巨人で無双、メジャーで活躍「じつは大学時代157キロ投げていた」菅野の半生
Number Web6/20(金)6:00

「野村克也がここまで言うとは…」菅野智之の“意外な評価”…入団拒否、巨人で無双、メジャーで活躍「じつは大学時代157キロ投げていた」菅野の半生 photograph by JIJI PRESS
球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。江夏豊、江川卓、尾崎行雄、山本由伸らに続く第20回は、35歳にして海を渡り、いまや「オールドルーキー」としてオリオールズでエース級の活躍を見せる菅野智之だ。
菅野智之は巨人ひとすじに12年。その間、最優秀選手賞3回(投手としては史上最多タイ)、沢村賞2回(連続年受賞は史上5人目)、最優秀防御率4回(セ・リーグ最多記録)、最多勝利4回、最高勝率2回、最多奪三振2回など、球史に燦然と輝く好成績をあげているが、なぜか同年代のダルビッシュ有や田中将大に比べて“抜きんでた力を持つ絶対エース”という印象が薄かったし、メジャーから熱視線を浴びることもなかった。
それは、菅野の強みが、ダルビッシュの「剛速球+多彩な変化球」、田中の「剛速球+切れ味鋭いスプリット」といった一目瞭然のものでなく、「投球の巧みさ」という伝わりにくいものだったからだろう。データ全盛のいま、ストレートや変化球の威力は、球速、回転数、縦横の変化量などのデータによって可視化され、メジャーの投手との比較から「メジャーでも十分通用する」といった評価につながりやすい。ところが、「投球の巧みさ」というのは、打者との駆け引きという相対的なものなので、果たしてメジャーの打者に通用するのか、想像しがたい部分があった。
甲子園出場ゼロ、大学で“覚醒”
菅野は神奈川県相模原市に生まれ、東海大相模の高名な監督だった原貢を祖父に、巨人軍の監督を務めた原辰徳を伯父に持つというサラブレッドだった。東海大相模時代は、肩の故障などもあって甲子園に出場できず、東海大学に進学して才能が開花した。
大学3年時の第59回全日本大学野球選手権。準々決勝の同志社大戦で、7回無安打無失点10奪三振で7回コールドの参考記録ながらノーヒットノーランを達成。続く準決勝の慶応大戦は9回完封17奪三振と圧倒的な力を見せた。
同じ年に開催された第5回世界大学野球選手権大会のキューバ戦で、自己最速の157キロを記録。185センチという恵まれた体格もあって、大学屈指の本格派としてプロからも注目される存在にまで成長した。
入団拒否→浪人を経て…
2011年のドラフト会議で巨人と日本ハムが菅野を1位指名。くじ引きの結果、日本ハムが交渉権を獲得したが、菅野はこれを拒否。結局、就職浪人という形で東海大に1年残る決断をした。
練習には参加できるが、公式戦には出場できない。翌年のドラフトで巨人に入団できる保証もない。そんな不安定な状況にも関わらず、「何がなんでも巨人!」と菅野は憧れのチームに入って伯父とともに戦うという初志を貫いた。こうした頑固さや忍耐強さが、その後の菅野の成長に大きな役割を果たしたのは間違いない。
2012年のドラフトで巨人の単独1位指名を受けた菅野は、順調に巨人の大エースへの階段を登っていく。
新人年の開幕から先発ローテーションに定着して、オールスターにも出場。13勝6敗、防御率3.12という好成績でチームのリーグ制覇に貢献し、日本シリーズではシーズン24勝無敗の絶対エース田中のいる楽天に敗れたものの、シリーズ第6戦で、田中にこの年のシーズン、ポストシーズンを通じて唯一の黒星をつけたのが菅野だった。
敵なし状態…ベスト年はいつ?
菅野の巨人時代のベストシーズンに、2年連続して沢村賞を受賞した2017年(17勝5敗、防御率1.59)と2018年(15勝8敗、防御率2.14)が挙げられる。特に18年は、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の「投手3冠」を達成。登板数、完投数、投球回を含めた沢村賞の選考基準7項目をすべて満たしたのは、この年の菅野が最後。シーズン200回投球、シーズン8完封も、この年の菅野が最後になっている。投手の分業化が進んだいま、菅野はNPB最後の先発完投型投手と言えるかもしれない。
大学時代に157キロを記録した菅野は、160キロを夢見たこともあるというが、プロになって意識が変わった。「良いボールを投げる品評会ではないので。抑えたピッチャーが偉いと思うし、どんなに良いボールを投げても打たれたら元も子もない。野球ってそういう競技」(「中日スポーツ」2020年10月7日)。球速にこだわることなく、制球と配球で打者を抑える投球を目指したのだ。
そんな菅野を解説ブースから見ることが多かったという野村克也は、著書『巨人軍非常事態宣言』(宝島社新書)でこう評している。
野村克也の意外な評価
〈普段は辛口評論の私も、文句のつけようのないのが巨人の菅野智之だ。毎回“これぞエース”と唸るような投球を見せられる。(中略)自分有利のカウントに持ち込み、バッターを自在に料理する。ピッチングのお手本といえる〉
野村にここまで言わせた菅野は、投球術を極めた完成された投手として海を渡っていき、その投球術がメジャーでも通用することを証明した。
さて、当企画の現チャンピオン尾崎行雄とのベストシーズン対決である。菅野のベストシーズンは、タイトル数では翌18年に劣るも、投手成績の各項目で上回る2017年になる。(赤字はリーグ最高、太字は生涯自己最高)
「昭和の剛腕」vs「令和の精密機械」
【1965年の尾崎】登板61、完投26、完封6、勝敗27-12、勝率.692、投球回378.0、被安打261、奪三振259、与四球63、防御率1.88、WHIP0.86
【2017年の菅野】登板25、完投6、完封4、勝敗17-5、勝率.773、投球回187.1、被安打129、奪三振171、与四球31、防御率1.59、WHIP0.86
沢村賞の選考基準になっている登板数、完投数、投球回は、尾崎が圧倒的にリードしているが、これは時代の違いによるものなので、ここでは重視しない。
当企画で重視している“打者圧倒度”を比較してみよう。1試合(9イニング、以下同)当たりの被安打数は、尾崎の6.21に対して菅野は6.20とほぼ互角。1試合当たりの奪三振数は、尾崎の6.17に対して菅野が8.22と、菅野リード。
防御率も、尾崎1.88に対して、菅野1.59と菅野リード。WHIP(1イニングあたりに投手が出塁を許した平均数)はともに0.86。1試合当たりの与四球は、尾崎が1.50という驚異的な数字だが、菅野も1.49でほぼ互角……。
日本プロ野球史上最も球が速かったと言われる昭和の剛腕と、令和の精密機械が、各項目でほぼ互角というのも不思議な気がするが、奪三振率と防御率で上回った菅野に軍配を上げたい。連載2回続けて新チャンピオンの誕生である。
菅野の2017年が、これまで見てきた偉大な投手の中で最高というのもやや意外に感じるが、この年の菅野は、あの田中将大の24勝無敗の奇跡の1年の数字と比較しても、1試合当たりの被安打数、奪三振数、WHIPで勝っている。野村の言う「ピッチングのお手本」を示した1年と言えるだろう。
文=太田俊明
photograph by JIJI PRESS












