OHKのカメラが収めた岡山・香川の映像で、ふるさとの歴史を振り返ります。今回は四国と本州を結ぶ瀬戸大橋建設の機運が高まるきっかけとなった海難事故です。

映像は1982年5月11日、高松市にある西方寺で営まれた国鉄宇高連絡船(こくてつ・うこうれんらくせん)、紫雲丸(しうんまる)事故の慰霊祭です。事故現場を望む寺の境内には犠牲者を追悼する慰霊碑があり、現在も5月11日には追悼法要が営まれています。

この事故は1955年(昭和30年)5月11日の朝、濃い霧のかかる高松市女木島沖の瀬戸内海で高松港から玉野市の宇野港に向かっていた国鉄宇高連絡船の紫雲丸が連絡船の別の船と衝突し、沈没したものです。

犠牲者168人の多くが島根県、高知県、愛媛県、広島県から修学旅行中だった小・中学生でした。社会に大きな衝撃を与えたこの事故がきっかけとなり、その後、瀬戸大橋の建設を求める運動へとつながっていきます。瀬戸大橋は1988年に開通しました。

高松港と宇野港を結んだ宇高連絡船は瀬戸大橋開通の前日、1988年4月9日に廃止され、現在はJR瀬戸大橋線が香川県の高松駅と岡山県の岡山駅を結んでいます。

1988年4月10日に坂出市で行われた瀬戸大橋開通式で、香川県の平井城一知事(当時)は祝辞の中で「昭和30年の紫雲丸事故を契機に香川、岡山両県民挙げての架橋推進運動が進められ、香川県民はもとより、四国に住む人々すべてにとりまして(瀬戸大橋の開通は)長年の夢であり、悲願でありました。」と述べています。