【写真多数】奥武山球場の観客記録を作った長嶋茂雄さん ミスター来島に熱狂した沖縄

沖縄タイムス6/3(火)19:52

【写真多数】奥武山球場の観客記録を作った長嶋茂雄さん ミスター来島に熱狂した沖縄

オープン戦でインタビューに答える長嶋茂雄選手(左から2人目)。左端は王貞治選手、右端は広島の安仁屋宗八選手=1968年12月1日、那覇市の奥武山球場

 6月3日に89歳で亡くなった長嶋茂雄さんは「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれ、戦後のスーパースターでした。沖縄には日本復帰前の1968年、巨人と広島のオープン戦「沖縄シリーズ」で訪れています。長嶋さんや王貞治さんらを擁する当時の巨人は、1965年から9年連続で日本一を成し遂げた黄金時代。県民から熱狂的な歓迎を受けました。ミスターと沖縄との関わりを、沖縄タイムスの写真で振り返ります。(デジタル編集部・大門雅子)

1968年の巨人ー広島は奥武山の最多観客数 

  プロ野球オープン戦「沖縄シリーズ」が開かれたのは1968年11月30日と12月1日。日本シリーズが終わった後でした。同年11月29日付の沖縄タイムスは、千人が詰めかけた那覇空港で、長嶋選手がファンに囲まれている様子を伝えています。

  当時の沖縄は米軍統治下。選手たちが入国手続きをする間にファンに取り囲まれて汗だくなったエピソードも載っていました。会場となった奥武山球場の写真をよく見ると、外野フェンスまでの距離の表記が「F(フィート)」になっています。

 長嶋さんは「日本シリーズ後、疲れが出てしまって2週間も風邪をひいてしまった。今は体調もよくなっている。いいプレーをしたい」とコメントしています。

 オープン戦は奥武山球場で行われ、広島は2試合とも那覇市出身で「巨人キラー」の安仁屋宗八さんが先発しました。凱旋(がいせん)した安仁屋さんは沖縄シリーズ前日の11月29日、那覇市の国際通りでオープンカーに乗ってパレードしました。

 試合はいずれも巨人が勝ちました。4番サードで先発出場した長嶋さんは2戦目に先制の二塁打を放つなど、2試合で4打数2安打1打点の成績でした。

 2戦目は2万5千人の観客が詰めかけ、奥武山球場の最多入場者数を記録しました。「外野のトイレの上にも鈴なりの人」だったそうで、巨人人気の高さが伝わります。12月1日に琉球政府行政主席に就任したばかりの屋良朝苗さんが始球式を行いました。

引退後も人気 野球教室も全力

 長嶋さんは「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して1974年に現役を引退。翌年から1980年まで巨人の監督を務めました。沖縄タイムスの1983年2月5日付紙面には、浦添市民会館で講演した話題が載っています。

 「野球に生きる」とのタイトルで、少年の頃から立教大時代の猛練習を振り返り、プロになってからの生き方を説きました。「生意気だったかもしれないが、私は『絶対にプロになる。プロに入って改革する』という気持ちを常に抱いてきた。これが私を支えてきた」と語りました。

 1983年3月に那覇市で開かれたイベントではゲストに招かれました。野球教室では、最初はマイク片手に基本技術の説明に当たっていましたが、熱を帯びてくると、身ぶりも激しくなったとか。「バットは腰を入れて鋭く振り抜く。いいねー」。この時指導受けた子どもたちにとって、忘れられない思い出になったのではないでしょうか。

宮古との縁 キャンプ誘致の呼び水に

 1993年シーズンから巨人の監督に復帰し、2001年を最後に勇退。その後、2003年にはプロのトップ選手で固めた日本代表の監督を務め、アテネオリンピックの出場権を獲得しました。

 長嶋さんはオリンピック出場を決める前、日本代表監督として2003年2月に宮古島入りし、オリックス・ブルーウェーブのキャンプを訪れました。まだ球場がなかった1987年2月に、講演会の講師として招かれて来島。球場建設を呼びかけ、プロ野球キャンプ誘致の呼び水になった経緯があります。

 当時の関係者に再会した長嶋さんは「宮古の皆さんは熱意がすごいですね」と笑顔で話しました。16年ぶりのミスターの来島に、球場の内外はサインをもらおうと、色紙や硬球を手にした多くの島民であふれ返りました。

 数々の「メークドラマ」を残し、多くのファンに愛された長嶋さん。訃報に県内でも追悼の声が相次ぎました。

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6/17(火) 8:58更新