「K-1 WORLD GP3階級制覇」、「10年間無敗」世界の格闘技界にその名を轟かせた武尊が、紆余曲折の半生を語った『ユメノチカラ』(徳間書店刊)。武尊は同書で「心折れそうなとき、道を逸れてしまいそうになったとき、自分を支えてくれたのは『夢』の力だった」、「幼いころに誓った『K−1のチャンピオンになる』『格闘技で成功する』その夢を持ち続けたから、今がある」、「格闘技には、人の心を動かし人生まで変えてしまうとてつもないパワーがあると僕は信じている」などと語る。リアルな心境がつづられた同書から、居酒屋とクレープ屋でのアルバイト時代を振り返ったエピソードを、一部抜粋して紹介する。

■チャンピオンがバイト生活者でいいのか

 お金のことに関しては、18歳で東京に出てきたころ、お金に困っていた時代のことを抜きには語れない。

 格闘家としての第一歩、東京都町田市にあるチームドラゴンに入門した僕は、練習とアルバイトの日々を送ることになった。

 働いていたのは、居酒屋さんとクレープ屋さんだった。K-1のチャンピオンになるぐらいまでは2つを掛け持ちで、途中で居酒屋さんを辞めた。

 居酒屋さんは、しっかりと料理をつくる店だった。料理も覚えられてよかったけど、その分、他にも覚えることが多かった。でも、試合前は何かと忙しくなってバイトも休まなくてはいけなくなるし、減量の最中に目の前で料理が行き交う様子を空腹で見ていることは、やはりキツかった。

 この店ではメニューが定期的に変わるので、試合を終えてアルバイトに復帰すると、知らないメニューが続々出ていることがよくあった。試合数が増えるたびに、そういうことが多くなってくると、メニューを覚えきれなくなってしまう。店の人たちもとても忙しいので、僕のためだけに教えてもらう時間もなかった。店の進化みたいなことについて行けなくなっていた。

 料理長がとてもいい人で、「全然気にしなくていいよ」と言ってくれたけど、周りのスタッフに迷惑をかけてしまうのが、僕には心苦しかった。

 試合前には休みを取らせてもらえるし、僕だけに融通(ゆうづう)を利かしてくれることもあった。そんな厚待遇だったのに、店のみんなについて行けないのが申し訳なくて、居酒屋さんのバイトは辞めた。

 クレープ屋さんは、チームドラゴンの先輩たちがずっと通っていた店で、僕も通っていた。店のスタッフともめちゃくちゃ仲良くなっていたので、人が足りないと聞いて、じゃあ僕がアルバイトします、と手を挙げたのがきっかけ。

 クレープ屋さんでは、お客さんと喋(しゃべ)って、楽しくコミュニケーションを取るのが僕の役目だった。

 この店の場所がキャバクラの多い通りで、キャバクラからの注文も多かった。クレープ屋さんのスタッフは女性ばかりで、男は僕一人。クレープの店らしい可愛いエプロンをして、キャバクラに配達に行く。

 薄暗いキャバクラの中へ、クレープを届けに行くと、だいたい、店のお客さんがキャバ嬢への差し入れにしていて、僕を見るとがっかりした顔で、こんなふうに言われることが多かった。

 「なんだ、男かよ」

 笑顔でやりすごしたけれど、これが当時の僕には結構、屈辱だった。

 なぜか。

 Krushで活躍し始めたころから、僕がアルバイトをしていることを知ったファンの人が、クレープ屋さんに来てくれるようになった。それはとてもうれしいことだった。でも、僕はそれからすぐにチャンピオンになっていた。

 「チャンピオンになっても、まだアルバイトしないといけない業界なんだ」

 これは僕が勝手に思っていたことではあるけど、そんなふうに思われてしまうんじゃないかと考えるたびに、悔しくてならなかった。

 それで、なるべく外に出ない厨房(ちゅうぼう)の仕事にしてもらったり、バイトの日数を減らしてもらったりした。

 いくら悔しくても、そのころの僕はファイトマネーだけで食べていける状況じゃなかった。生活費を稼ぐためにも、バイトは必要だった。

 メジャースポーツなら、こういう苦労もないんだろうな……。

 そんな気持ちが今も僕の中には残っていて、だから、格闘技をメジャーなものに上げていきたいと強く思っている。