スキマ時間を埋めるエンタメとして、老若男女に定着した電子コミック。独自発展をしたジャンルも多く、中でも「異世界転生」はブームを超えた定番ジャンルとなった。また近年、女性読者の間で急激に人気を伸ばしているのが「溺愛系」と呼ばれるもの。読者層に性差はあれど、共通するのは“強烈な現実逃避感”だ。「異世界転生」や「溺愛系」にハマる現代人の心理に潜むものとは? エンタメを用いたカウンセリングも行う、心理カウンセラーの浮世満理子氏に聞いた。

■「オバロ」「このすば」「転スラ」「リゼロ」…名作続々、20年人気衰えぬ「異世界転生」

 今や一大ジャンルを築いている「異世界転生ファンタジー」が登場したのは、2000年代。Web小説投稿サイト『小説家になろう』内の小説を原作としたアニメ・コミカライズ作品(なろう系)がブームとなったのがその始まりだ。火付け役となったライトノベル発作品には、『オーバーロード』、『この素晴らしい世界に祝福を!』、『Re:ゼロから始める異世界生活』、『転生したらスライムだった件』などがある。

 すでに20年近い歴史がありながら人気は衰えることなく、コミック市場でも好調。電子書籍サービス・コミックシーモアの2023年売上は5年前比9.8倍と、新規読者を掴み続けていることが窺える。なお同サイト運営担当者によると、主な読者層は30〜40代の男性と、初期ファンも根強く愛好。また、「男性向けコンテンツではあるものの、女性ユーザーの読者も多く、幅広い層に好まれるジャンルとなっている」という。

 おおまかな内容は「現世ではパッとしなかった主人公が転生先でチートスキルを発揮し、無双する」といったもの。定番のバトルアクション系は相変わらず人気だが、昨今は転生先で積極的に冒険することなく、スローライフを謳歌するまったり系の作風も支持されている。

■学園ものから異世界まで、王道ストーリーにプラスされた「溺愛」要素が女性に人気

 一方、女性向けコンテンツでは、王道の学園ものに「溺愛」要素が多い作品が人気となり、オフィスラブなどへも派生。そこに、男性向けでブームとなっていた異世界ファンタジーの要素が加わった作品が増加、さらに読者層は拡大していく。舞台を変えながらも、「報われない境遇にいる主人公が、ハイスペ男性に打算抜きでイチャラブされる」といった設定は踏襲され、「溺愛系」といった一大ジャンルを形成するまでとなった。

 2023年、2024年と、『電子コミック大賞』大賞を受賞したのも、『鬼の花嫁』『ホタルの嫁入り』という「溺愛系」だ。最近でも、『東郷家へ嫁いだ話』など人気作が続々登場。コミックシーモアの2023年売上では5年前比で実に26倍と、「溺愛系」のここ数年の盛り上がりは数字にも表れている。

 「異世界転生」と「溺愛系」に共通するのが、何かを手に入れるための努力や人間関係の苦悩といったプロセスをすっ飛ばし、たちまちハイステイタスに至るチート展開だ。エンタメにも詳しい心理カウンセラーの浮世満理子氏は、これらのジャンルが好まれる背景に男性と女性それぞれが抱える現代の生きづらさを指摘する。

 「どちらも現実逃避の願望が見て取れますが、そこにも性差はあります。特に男性は社会的枠組みに縛られがちで、就活に成功するか失敗するかで人生が決まってしまうという風潮も。さらに同窓会に行けば企業マウントが繰り広げられ、社会に出てから本当の仲間に出会える機会は極めて少ない。努力がしたくないわけではないと思うんですよ。異世界転生の主人公だって、転生先である種の努力はしていますから。しかし、現世では努力のチャンスすら与えられない。そのことに失望している男性は多いのではないでしょうか。転生という形での“生き直し”は、自分を認めてくれる仲間たちとともに本来生きたかった自分の姿を投影する、癒しや憧れになっているのだと思います」

 一方、「溺愛系」需要の背景として浮世氏が指摘するのは、疲れ切った現代女性の姿だ。

 「溺愛系コミックに見て取れるのは、『幸せな結婚をして家庭に収まる』といった保守的な価値観への憧れです。それも1つの生き方として尊重されるべきなのに、現代はすべての女性に社会活躍や経済的自立が求められる。さらに婚活も妊活も家事も子育ても…と、女性にのしかかるプレッシャーは重くなるばかり。女性が“受け身で生きられない”現代において、『溺愛系』は浸かっているだけで心地良い気分にしてくれる、ジャグジーのような存在になっているのではないでしょうか」

■ハイスペ求められる現代に必要不可欠な現実逃避、コミックが“心の非常駐車帯”に

 ネガティブなイメージのある“現実逃避”というワードだが、浮世氏は「現代を生きるためには必要不可欠だ」という。

 「誰もがハイスペを求められる現代社会は、あたかも高速道路のようです。のろのろ走っていると後ろから追突されたり、煽られたりと常に気を張っていなければならない。だけど高速道路にも非常駐車帯があります。エンストしたりガソリン切れを起こしたりする前に、一時的に路肩でリカバリーをする。そうした“心の非常駐車帯”のようなものを誰もが1つは持っておいたほうがいいと思います。電子コミックのメリットは、ゆるっと読めて、いい意味でパワーを使いすぎないところ。眠れぬ夜のお供にお酒や睡眠剤に頼るよりはずっと健全だと思いますね」

 コミックはあくまでフィクション。どんなにのめり込んでも、(否が応でも)現実に引き戻される大人にはそれでいいだろう。だが、長らく未成年のLINE相談にあたってきた浮世氏が注意喚起するのは、子どもたちへの影響だ。

 「近年子どもたちにとても影響を及ぼしたのではないかと思うのがコロナ下での学校イベントの中止と東京五輪の開催です。人生で一度の大切なイベント──運動会や文化祭、修学旅行を奪われた自分たちは『(アスリートとは違う)ザコキャラだ』という思いが拭えなくなっていると感じます」

 異世界転生ジャンルは、死からスタートする作品が多い。もちろん、子どもたちが本気で転生を信じているわけではないだろうが、現実に絶望するあまり「ワンチャンあるんじゃないか」という発想に飛躍するリスクを浮世氏は懸念する。かつて、社会現象を呼んだ某人気コミックが、子どもたちの“自殺ごっこ”を引き起こした可能性を指摘されたこともあった。

 「溺愛系も、コミックでは都合が悪いことは描写されません。でも現実では往々にして、溺愛と束縛・モラハラは紙一重。現在、デートDVやホスト狂いの問題が言われていますが、刷り込みにより『これは愛なんだ』と勘違いすることに繋がる可能性もあります。現実を捉える感覚をバグらせやすい要素を含むコミックには、フィクションであるということを伝えていく必要がありますね」

 浮世氏は通信制高校の代表も務めているが、一概にこうしたジャンルが子どもたちに有害だと言っているわけではない。

 「不登校やひきこもりの子たちの中には、自己紹介はできないけれど“推し紹介”はイキイキとしてくれる子がたくさんいます。ストレスフルな現代において、自己完結できるエンタメは大人にとっても子どもにとっても最良の癒しであり、メンタルヘルスにもなっています。フィクションで楽しませつつ、現実にもきちんと戻れるような循環を作ってくれればより良いと思いますね」

 一定のセオリーがある「異世界転生」や「溺愛系」だが、それゆえにジャンルファンも掴んでいるようで、コミックシーモアによると「同ジャンルをはしご読みする読者が多い」とのこと。また「ストーリーに拡張性が高く、各出版社も力を入れているジャンルだけに今後も人気は継続するだろう」と見ている。エンタメは時代の写し鏡。そこには現代の生きづらさが投影されているとは言えど、適切な用法・容量を守れば、現実と上手に折り合うために欠かせないものとなっているのかもしれない。

【プロフィール】
浮世満理子(うきよ・まりこ)
アイディア高等学院学院長、全心連公認上級プロフェッショナルカウンセラー/メンタルトレーナー。大阪府出身。『全国心理業連合会』代表理事。『全国SNSカウンセリング協議会』常務理事。トップアスリート、芸能人、企業経営者などのメンタルトレーニングを手掛けるほか、メディア出演も多数。『カウンセラーが悩み解決!SNSコミュニケーション』、『本当にしんどい時に読む メンタルの整え方』、『子どもの可能性を120%引き出す! メンタル強化メソッド 50』、『LINE上手 ビジネス・私生活で相手の心理をつかむ!』など、著書多数。

(文:児玉澄子)