「同居していた50〜60代の息子が、亡くなった母親の遺体をそのまま放置していた」「庭に、自分で土葬してしまった」。こうした、「お金がなく、遺体をそのまま放置した」事件は年間を通じて多数あり、たびたび報道されます。「貧困が悪い」などの感情的な文章や、「所持金はわずか◯◯円」「葬儀代なく、やむなく…」といった同情的な見出しの記事で報道されるのがパターンです。

事情あっても、犯罪は犯罪

 こうした事件は、「貧困が原因の悲しい出来事」として取り扱われることが多いですが、遺体の腐敗臭が実際にどんなものか知っていると、腐敗している遺体と何カ月も過ごすのは、通常は不可能だと分かります。

 中には、収入がなく、親の年金が生活の頼りになっていて、「親がいなくなることで年金受給の道が途絶えてしまい、生活ができなくなる」といった不安から、年金を受給し続ける目的で親の死を届け出ず、死を隠蔽(いんぺい)してしまう人もいます。ただ、不正受給が目的の隠蔽でも、人間の遺体が腐敗している中で生活するのは、まともな状況ではなく、本人が社会的不適合を起こしている可能性が高いため、何らかの援助が必要な状況と推察されます。そのほか、何らかの精神的障害を抱えている状況で、適切に親の死を処理できないケースもあるでしょう。

 このように、さまざまな要因で、死亡という事実が明らかにならず、火葬などの適切な処置が行えない・行わない場合があります。本人が悪いケースも確かにありますが、本来は、こうした事態がそもそも起きない、起こさない仕組みづくりが必要でしょう。遺体放置をゼロにすることは難しくても、件数を減らしていくために具体的な努力をしていかねばなりません。

 火葬や土葬をせず、遺体をそのままにしてしまうことは「死体損壊・遺棄罪」にあたります。刑法は、「遺体は慣習や道徳、そして法律にのっとって取り扱われなければいけない」と示しており、「遺体は適切に葬ることが適法で、放置するのは犯罪」と定めているのです。お金がないことを理由に、遺体をそのまま放置するのを仕方ないことだとしてしまうと、「貧困だから窃盗した」「貧困だから殺人を犯した」「貧困だから、家賃不払いで占拠している」といった状況を認めることと同じになってしまいます。

 当たり前のことですが、たとえ貧困でも生活苦でも、犯罪はだめです。「生活に困窮していた」というのは個別の事情であり、情状酌量の要素になったとしても、犯罪は犯罪として扱わざるを得ません。他の犯罪では当たり前に理解できているこの事実が、「葬儀代がなくて…」という見出しのついた報道では、同情的に書かれていることがあります。

 しかし、どんな事情であれ、「犯罪はダメ、絶対」なのです。こうした報道の偏りは、そろそろ誰かが突っ込んだ方がよいと思います。「犯罪性のある事件が起きた」と報道するのが適切であり、「葬儀代がなかった」という供述は、メインで伝えるべきことではないと思うのです。

 遺体を放置してしまったのは、悲しい事実であるとともに、刑法で明確に禁じられた違法行為であり、懲役刑にあたることを、一人でも多くの人に理解してもらうのが、一つの抑止力につながっていくと思います。

「葬儀代がなくて…」という見出しの問題点

「もし、手持ちのお金がなく、親族からの援助も受けられない場合(もしくは受けられないと思い込んでしまった場合)には、公的な援助を受けられる」という情報を提供したり、周知したりすることが、こうした悲しい事件を少しでも防ぐことにつながるのではないでしょうか。

 お金がないときには、斎場を借りて祭壇を飾り、お坊さんを呼んで…という一般的なお葬式をするのはおそらく難しいでしょう。やらなくてもいいとか、必要がないというよりも、「できない」ということです。そこで大切なのは、「遺体を腐敗するままに放っておいてはいけない」「勝手に庭に埋葬してはいけない」と知らせることです。

 生活保護を受けている場合は「葬祭扶助」という制度により、火葬するまでは生活保護の中で面倒をみてくれます。生活保護を受けていない場合でも、「生活福祉資金貸付制度」を利用すれば、冠婚葬祭に必要な経費として50万円まで貸し付けを受けることができます。同様の緊急貸付制度は、各市区町村によってさまざまな形で存在するので、役所や社会福祉協議会などにしっかりと相談して、普段から孤立しないようにせねばなりません。少なくとも、「1人になると生活がままならなくなるから…」という事情から起こる遺体遺棄は、こうした制度を知り、相談することで避けられると思います。

 先述しましたが、こういった遺体遺棄事件の報道では繰り返し、「葬儀代がなくて…」といった見出しがつけられます。これは、記事を見る人たちの注目を得るためにつけられるYouTubeでの“釣り見出し”と同じです。「葬儀代がない」ことが根本的な問題ではなく、「社会的な援助を必要とする人が放置されている」ことが根本的な問題なのです。葬祭業としての立場からは、「葬儀代の問題が本質ではないだろう」と感じるのです。

 親の死という非常にショックが大きい状況では、孤立してしまうケースが多くあります。その事情はさまざまで、複雑です。こうした実情をマスコミが「社会的な貧困の問題」「国の援助が悪い」という社会問題として取り上げるのは大切ですが、社会的側面にばかり注目すると、肝心の「個々の存在」が忘れられ、そうした人たちが救われる情報が、伝わりにくくなってしまうように思います。

「葬儀代がない」「所持金わずか〇〇円」というセンセーショナルな見出しに隠れて、本当に必要な援助が届きにくくなっているのではないか――。このことの方が重大なのではないかと、筆者は思うのです。