東京五輪・パラリンピックに出場する選手に対し、新型コロナウイルスのワクチンが提供されることを5月6日、国際オリンピック委員会(IOC)が発表しました。米ファイザー社などがワクチンを無償提供し、日本代表選手も対象となる見込みです。

 東京五輪の日本代表選手へのワクチン優先接種を巡っては、4月上旬に「政府内で検討している」と報道され、丸川珠代五輪相らは否定していましたが、菅義偉首相は5月7日の記者会見で「(4月中旬に訪米した際)ファイザー社との協議で、各国の選手団にワクチンを無償で供与したいとの申し出があった」と説明しています。

 現在、ワクチンの優先接種の順番は、医療従事者、高齢者、基礎疾患のある人や高齢者施設などの従事者の順となっていますが、高齢者の接種が完了しないうちに選手への接種が始まることになりそうで、五輪代表選手からは戸惑いの声も上がっています。五輪のための医師・看護師の募集を含め、東京五輪の進め方に法的問題はないのか、佐藤みのり法律事務所の佐藤みのり弁護士に聞きました。

優先順位は「公平性」重視

Q.ワクチン接種の優先順位の一部変更、特に「五輪選手だから」と特別扱いされる点について、国民の生命を守るという観点や、「法の下の平等」という観点から、どのような問題があるか、改めて教えてください。

佐藤さん「今回、五輪・パラリンピックに出場する選手に対し、米ファイザー社が無償提供するワクチンは、日本政府が国民のために契約しているものとは『別枠』であることが強調されており、国民の生命を守りながら、選手への優先接種もかなうかのようなメッセージが発信されています。しかし、ワクチンの打ち手(医師や看護師)は限られており、選手への優先接種を実施すれば、高齢者などへの接種が遅れたり、医療従事者の活動に影響が出たりする可能性を否定できないでしょう。

ワクチン接種の優先順位は『なるべく多くの国民の生命を守る』という観点から、『公平性』を重視して決めるべき問題だと思います。国民の生命は憲法が保障するさまざまな人権の大前提であり、何より重要なものです。そのため、特に公平性の確保が重要になります。『法の下の平等』の理念は『合理的理由のない差別を許さない』というものであり、選手への優先接種に必要性や合理性がどこまであるのかが問われるでしょう。

丸川珠代五輪相によると『5月末から五輪開幕までに選手1000人程度、監督やコーチ1500人程度への2回接種』が予定されているようですが、この計画を実行することで、医療従事者にどれだけの負担を与えるのか、本当にこれら全員に行き渡らせることは可能なのか、また、そもそも、選手についても接種は義務付けられているわけではなく、接種対象になっていない大会関係者もいることを考えると、果たして、この計画を実行することで大会の安全性を確保できるのか不透明です。

こうした不確定要素が多い中、それでも、選手への優先接種を行う必要性や合理性があるといえるのか、国民へ十分な説明をしない限り、多くの国民の納得は得られないと思います」

Q.4月に五輪選手への優先接種が話題となったときは、政府内での検討ということでしたが、今回は「IOCからの提案」「ファイザー社からの無償提供申し出」ということになっています。相手からの申し出ということで、優先接種を政府が決めた場合でも、責任は免れる、もしくは責任の度合いは減るのでしょうか。

佐藤さん「先述したように、結局は『国民の生命を守りながら、選手への優先接種もかなうのか』という問題だと思います。

例えば、医療の状況などを踏まえ、選手への優先接種の実施が国民へのワクチン接種を大幅に遅らせたり、医療従事者の活動に影響を与えたりする可能性があるのに、楽観的な見通しで突き進んだような場合、政府の政治責任は重く、たとえ相手側の申し出であっても、責任の度合いが減るとは考えられないでしょう。きちんとした根拠に基づき、合理的な判断がなされたかどうかが重要になると思います」

Q.五輪代表選手からも「ワクチン接種は平等にすべきでは?」「五輪選手だけ優先はおかしい」といった声が上がる一方、選手個人への批判も懸念されます。ワクチン接種について、選手個人を誹謗(ひぼう)中傷した場合の法的問題を教えてください。

佐藤さん「選手を誹謗中傷した場合、内容や態様によっては、民事上、損害賠償責任を負ったり、刑事上、侮辱罪などの罪に問われたりする可能性があります。コロナ禍は社会の分断を招き、自分とは異なる価値判断をした人に対して厳しい感情を抱きやすくなっています。選手個人は何も悪くないこと、誹謗中傷は相手を傷つけるだけでマイナスしか生み出さないことを心に留めておく必要があります」

最悪の事態も想定を

Q.大阪府では、入院療養が必要な感染者が入院できないケースが増えています。そうした中、五輪用に看護師約500人、スポーツドクター約200人の募集が行われているとの報道がありました。菅義偉首相は看護師募集について、「休んでいる方(看護師)も多いと聞いている。可能と思う」と発言しました。五輪が開催された場合、医療従事者不足で入院できないまま亡くなった人の遺族などが国や大会組織委員会を訴えることはできないのでしょうか。

佐藤さん「五輪が開催され、医療従事者の不足で入院することができず、不幸にも亡くなった場合であっても、五輪開催の決定権はIOCにあるため、国や大会組織委を訴えることはできないでしょう。また、開催を拒否しなかった日本の判断を違法と主張し、『五輪開催のせいで亡くなった』と因果関係を証明することも困難だろうと思います」

Q.では、ワクチン優先接種や、医療が逼迫(ひっぱく)する中での五輪用医療従事者の募集について、法的措置は何も取れないのでしょうか。法的措置が無理であれば、何らか声を上げる方法はないのでしょうか。

佐藤さん「ワクチン接種の優先順位や五輪用医療従事者の募集について、裁判などの法的措置を取ることは難しいです。裁判などの法的措置を取るためには、個人としての具体的な権利侵害を主張する必要がありますが、『五輪の選手を優先接種の対象にしたことにより、または五輪用医療従事者を募集したことにより、私の権利が侵害された』と主張することは困難だからです。

こうした問題は政治が責任をもって判断すべき事柄であり、有権者に対して直接、政治責任を負うことのない司法府が判断することは適切ではないとも考えられます。多くの国民の声を政治に届けるためには、署名活動に参加するといった方法も有効でしょう。実際、『五輪開催中止』の呼び掛けをしたオンライン署名が今、注目を集めています」

Q.今回の件で、東京五輪への反対の声がさらに強まっており、読売新聞の世論調査でも「中止」を求める声が過半数となっています。そうした点も含め、ワクチンの優先接種や医療従事者の募集について、言及したいことはありますか。

佐藤さん「五輪選手にワクチンを優先接種する問題も、五輪用に医療従事者を募集する問題も、日本の医療を守りながら実施することが現実的なのか、根拠を示して、具体的に議論すべきだと思います。『安心、安全』という抽象的な言葉だけでは国民の不安は消えず、五輪開催を受け入れることは困難でしょう。

医療の状況によっては、まさに国民の生命がかかっています。甘い見通しを捨て、最悪の事態を想定した上で『安心、安全』といえるのかどうか、十分な検討が求められていると思います」