南米ブラジルに移住し高齢となった日系人の命と健康を守るため、無料の巡回診療を続ける日本出身の医師が2023年10〜11月に一時帰国し、企業や大学で自らの活動を報告するとともに支援を呼びかけた。この医師は、ブラジル南部にあるリオグランデドスル連邦大医学部の森口エミリオ秀幸教授(65)。巡回は1930年に始めた祖父、それを引き継いだ父に続き3代目で、昨年医師になった長女も4代目として同行する。「苦労してきた日系1世の高齢者が、幸せな最期を迎えられるようお手伝いをしたい」と介護施設建設も計画している森口さんに、活動内容や移住者への思いについて聞いた。

■言葉の壁で〝医療難民〟に

—— 巡回診療とは、どのようなものですか?
「ブラジル南部のリオグランデドスル州とサンタカタリナ州を、医療機器や医薬品を積んだバスで、約3週間かけて回ります。走行距離は約3000キロ。診療の対象は1950、60年代に日本からブラジル南部に移住し、現在60代から80代になっている日系1世約400人が中心です。日本人会館や学校の体育館など15拠点で、日本語での問診、尿検査、心電図や血圧の測定、保健指導などに当たります。重症患者は大学病院に連れ帰ります。時期はブラジルでは冬に当たる7、8月。農閑期で大学も休みになるからです」

—— 90年以上前から続いているとか。
「母方の祖父、細江静男(1901〜75)が日本人移住者の健康管理のため、留学医としてブラジルに渡り、留学期間が終わっても現地に残って、1930年に日本人移住地の巡回診療をしたのが始まりでした。その祖父が60歳を過ぎ糖尿病を患ったため、1967年に女婿で私の父の森口幸雄(1926〜)を『悪いけど来てくれ』と日本から呼び寄せ、2007年からは私が主に担当しています」

—— 今でも巡回が必要なのですか?
「1950、60年代にブラジル南部に渡った人たちは、ドイツやイタリアからの移住者が先に環境の良い場所に入植したため、へき地に住まざるを得ませんでした。山奥の移住地で日本語しか使わずに生活してきたので、公用語のポルトガル語が話せません。医療機関へのアクセスが悪いのに加え、言葉が通じず医師に症状が伝えられないのです。移住者の皆さんは衛星放送で日本の番組を見ているので、健康に対する知識はありますが、医師にかかれない〝医療難民〟なので、巡回は必要なのです」

—— 巡回期間中の一日のスケジュールは?
「午前6時に出発して7時から午後4時まで診療、移動して午後7時から深夜1時まで診療し、2時にホテル着、という日も珍しくありません。新型コロナウイルス感染症の流行で2020、21年は巡回ができず、22年10月に3年ぶりに再開。今年は25日間で計257人を診療しました。新型コロナを恐れ診療会場に来なかった人がいたため少なめでした。病気で多いのは糖尿病、高血圧、脂質異常症ですね。高齢なので慢性疾患があるのは当然で、今はどちらかというと心の健康、心のケアが必要になっています。診療が終わると、人間関係などの悩みを聞いたりもしています」

—— 冬以外でつながりは?
「巡回は年1回ですが、年間を通してオンライン診療も行っています。また、携帯電話を2台持ち、1台は巡回診療用として皆さんに番号を知らせています。今朝も午前4時、現地時間だと午後4時に『おばあさんが苦しいと言っている』と電話が来ました。虚血性心疾患の持病がある患者なので、現地の病院の救急外来に『ポルトガル語が話せない患者が行く。心筋梗塞かもしれないのでよろしく』と連絡し、検査や治療を依頼しました。このようにして何人もの命が助かっています」

■クラウドファンディングで資金調達

—— ブラジルに渡ったとき先生はまだ9歳でした。
「学校の友達に見送られ、家族で横浜から船に乗りました。でも行きたくなかった。友達と別れたくなかった。寂しかった。『日本に帰りたい』と言い続けていました。ブラジルではサンパウロで医療活動をしていた祖父に、土日になると巡回に連れて行かれました。私は4人きょうだいの長男だったので、父の跡を継がせる考えだったのでしょう」

—— 巡回先では何をしていたのですか?
「小さいころは移住地の子どもたちと遊び、中学、高校時代はポルトガル語で紹介状を書く手伝いや受付をしました。祖父は診療が終わると、移住者のみんなを日本人会館に集め、何か話し合ったり講演をしたりしていました。みんなから慕われる姿を見て『おじいちゃん格好いいな。こんなことしたいな』と思うようになり、迷わず医学部に進学しました」

—— 大学卒業後は?
「父から『大学を卒業したら日本に帰っていい』と言われていたので、東海大大学院に進みました。博士課程修了後は大学院生時代に結婚した妻とともに渡米し、HDL(善玉コレステロール)がどこから分泌されるのかの解明や、抗コレステロール薬の研究に携わりました。1994年に日本に一度戻り、新しい研究を始めようとしたところ、父から『ブラジルに戻って巡回診療をしてくれ』と連絡が来ました」

—— それでまたブラジルに?
「でも戻りたくなかったんですよ。私がやっていたのは世界的にも他にない研究だったので『新しいことをやっている』と、父にいったんは断りました。ところが妻の由美が『帰らなくちゃ駄目よ』と言い出して・・・。結婚前に祖父や父のストーリーを勉強していたみたいで『おじいちゃんお父さんの仕事を続けるのが、あなたの使命。私一人でも娘を連れて行きます』。それでブラジルに戻ることになりました」

—— 奥さまの強力な後押しがあったのですね。戻った後は?
「リオグランデドスル州カトリック大でブラジル初の老年医学研究所を立ち上げ、2007年まで臨床や脂質代謝の研究を続けました。その後、医薬品開発受託会社代表を経て、2013年からリオグランデドスル連邦大医学部内科学教授を務めています。この間も父と一緒に巡回し、父が80歳を過ぎた2007年からは私がメインでやっています」

—— 資金調達が大変と聞きました。
「巡回には1回で約300万円の費用がかかり、1970年代までは国際協力事業団(現・国際協力機構=JICA)の全面的な支援がありました。しかしだんだんと先細り、ポケットマネーをつぎ込んだ時期もあります。2014年からは、日本の医療品開発支援企業シミックグループのサポートやクラウドファンディングで支援してもらっています。日本の医学生が毎年5、6人、ボランティアで手伝いに来てくれており、飛行機代は自腹ですが、ブラジルでの滞在費はクラウドファンディングで賄っています」

■スラムでボランティアも

—— ブラジルの医療水準はどうなのでしょう。
「医療技術的には日本と差はありません。しかし政府が国民健康保険にお金をかけていないので、無料の国立病院は診療を受けるのも数カ月から1、2年待ち。救急外来では、その場で費用を払うと検査してくれます。自費だと腹部超音波検査は150レアル(約4500円)、CT検査だと1000レアル(約3万円)程度かかり、薬は全額自己負担です」

—— 大学での業務は?
「大学教員として週40時間勤務する一方、週20時間は自分の診療所でプライベートの診療をすることが法律で認められています。プライベート診療の料金は高めですが、患者は裕福な人たちなので、私が『半分は貧しい人に回すから』と言うと喜んで払ってくれます。また、週末の金曜日午後7時から月曜日の午前7時までは、ボランティア救助隊で活動しています」

—— どのようなボランティアですか?
「『ファベーラ』と呼ばれるスラム街があるのですが、麻薬組織が支配していて治安が悪いため、公共の救急車は入っていけません。そこで、医師や看護師の仲間とともにNPOをつくり、日本の仲間たちのクラウドファンディングで救急車を購入して患者を移送しています。いい人も悪い人もいるけれど医療従事者として命を守ることが私のミッション、というつもりでやっています」

—— くつろぐ時間が取れませんね。
「午前6時に起き、仕事やボランティアをして午後10時過ぎに帰宅、深夜0時に衛星放送でNHKの正午のニュースを見ながら夕飯を食べ、メールチェックをして寝るのは午前2時という毎日です。一番ほっとするのは飛行機に乗っている間。ブラジルから帰国するのに24時間以上かかりますが、フライト中は携帯電話は鳴らず、パソコンも絶対つけません。私一人の空間で、いろいろアイデアが湧いてきます」

—— ブラジルに永住しても、日本には「訪日」ではなく「帰国」ですか?
「『帰ってきた』ですね。羽田空港でも成田空港でも、日本に着いて階段上に掲げられた『おかえりなさい』の字を読むたびに、ほっとするんですよ、帰ってきたって。メールでも『帰国』と書きます」

■日本人として最期を

—— 娘さん2人も医療の道を選択しました。
「長女は医師になり、次女は『お姉ちゃんが医師になるなら、私は患者の痛みを取ってあげる』と言って理学療法士になりました。巡回診療が私にとっても非常に重要であることを理解し、自然と医療の道に入りました。大学に入る前から巡回のサポートをして、私の姿を見てくれていたのでしょう。祖父、父を見ていた私と一緒ですね」

—— ご自身はどんな思いで巡回をしていますか?
「戦後の移住者で成功した人は、残念ながら少ないのが実情です。苦労して育てた子どもたちは成長して都市部に住み着いていますが、日系1世の人たちは『住み慣れたわが家を離れたくない』『子どもに面倒をかけたくない』『お金を送るといって出てきた日本には、なおさら帰れない』と、へき地で暮らし続けています。重症になったり末期になったりして大学病院に来てもらった何人かに、こう言われました。『日本人として、日本語を話しながら、日本食を食べて、最期を迎えたかった』。心が痛かった。その思いを遂げさせてあげるのが私の目標です。『診療のための巡回』から『人生の最期を幸せに過ごすお手伝いの巡回』へ発展させられたら、と考えています」

—— それで介護施設計画を?
「ブラジルには介護保険がなく、介護施設もサンパウロには3カ所ありますが、1200キロ離れたブラジル南部にはありません。行き先のない人たちのために、まずは10人ぐらいが入れる介護施設を建てたい。そのために今回の帰国では、北九州市の介護施設を見学に行きました。苦労した方たちをサポートし、日本人として最期を迎えさせてあげるのが、私の最後のミッションだと思っています。父は90歳まで診療をしていました。私は今65歳なので、あと20〜30年は頑張らないといけないですね」

—— 日本の若者にひと言、お願いします。
「一番大切なのは、一人一人が命を大事にして、幸せに長生きすることです。長寿研究のキークエスチョンに『良き仲間がいて、必要なときに必要なことを頼めますか?』というのがあります。答えがイエスなら幸せに長生きでき、ノーならできない。つまり『尊い自分の命、他人の命を大事にして、良き仲間といいことをやっていこうじゃないか』。それが私からのメッセージです」

もりぐち・ひでゆき リオグランデドスル連邦大医学部内科学教授。専門は脂質代謝(HDL代謝)、動脈硬化、老年医学。1958年、東京都生まれ。ブラジル連邦大医学部卒、東海大大学院博士課程修了。米国で脂質代謝、動脈硬化の研究や新薬開発に携わる。リオグランデドスル州カトリック大老年医学研究所教授、シミックブラジル代表などを歴任し、2013年から現職。ブラジル循環器学会会長、WHO老年病予防国際共同研究センター長、世界動脈学会理事なども務めた。