26歳最後の夜に、私は奄美大島の漆黒の闇に包まれた森の中にいた。ゲロッゲロッと大合唱するカエルの声が天から地から聞こえ、風のせいか、時折ガサガサと不穏な音が響いてきた。無数の視線を感じるような気もする。

 「正直、一番怖いのは幽霊よりハブだな」

 たしかに。私は2人の男性の間にそっと入る。「あっ、おまえ、自分だけ助かろうと!」と言ったのは、当時勤めていた出版社の編集長。「まあまあ」と少し楽しげになだめてくれたのは、私が担当していた作家の斎藤潤さんだ。

 奄美大島に来たのは、斎藤さんの取材に同行していたからで、決して3人で逃避行をしていたわけではない。斎藤さんは、数々の島に関する本を出版しており、日本の全有人離島を踏破している島旅のプロ。取材では、奄美群島や沖縄にいるユタと呼ばれる民間のシャーマン(霊媒師)に話を聞くことになっていた。

 その取材後に、日本の天然記念物で絶滅危惧種に指定されているアマミノクロウサギを探しに行こうと、ナイトツアーに参加した。地元のガイドさんの車に乗り、山深くへと入っていった。ちょうど台風が通過した直後の時期で、道をふさぐように木々が倒れ、そのたびにナタで木を切りながら進んでいった。

 1時間ほどたっただろうか、突然、ガタンッと車が傾いた。車輪が側溝にはさまってしまったらしい。ガイドさんは、「電波が入るところまで歩いて、助けを呼んできます」と、闇の中へ消えてしまった。

 奄美大島には猛毒蛇のハブが生息しており、カエルを好んで捕食する。周りにハブがいる可能性は十分に考えられた。濃い自然の気配とハブへの恐怖に襲われる中、ふと取材したユタさんの話を思い出した。

 「奄美の神は自然そのもの。神に生かされているのだから、人は自然に頭を下げなくてはいけません。奄美では〝神道(かみみち)〟を通ってはいけないし、蛇は神の使いなのです」
 普段、人間主体の考え方、物の見方をしていると、災害があれば自然におびえ、美しい自然を見れば絶賛する。暗闇の中にいるのは神であり、大勢の神の使いがいるだけだ。全身が「怖い」と感じるのは、自然への畏怖に他ならない。そう思うと、手を合わせたくなってくる。

 やがて、ガイドさんが別の車に乗って戻ってきた。長い、長い夜だった。ホテルに戻ると電光があまりにまぶしかった。気づけば日付が既に変わり、私は27歳になっていた。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.20 からの転載】

小林希(KOBAYASHI Nozomi)/1982年生まれ。出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。