サラダを食べるという習慣や、冷凍食品などの便利アイテム。私たちの身近にある、さまざまなコトやモノが、実は1964年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに、誕生、発展、普及したということをご存じだろうか。東京2020大会真っ只中の今だからこそ知っておきたい、私たちの暮らしを変えた過去のオリパラレガシーをご紹介しよう。

サラダや冷凍食品もオリンピック・パラリンピックがきっかけで普及


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スーパーやコンビニで簡単に買うことができるサラダや冷凍食品も、日本人の暮らしに浸透しはじめたのは1964年の東京大会がきっかけだ。

まずはサラダだ。それまで日本では野菜を栽培する際、肥料として人糞を使っていたため、生食には適さなかった。しかし、世界中から来日する選手を迎えるため、選手村の食堂では各国の料理を準備する必要があった。そこで、安全に食べられる生野菜を提供するため、徐々に化学肥料や農薬を使った衛生的な栽培へ転換。それ以降もこうした農法が普及して、野菜の生食が定着したと言われている。

次に冷凍食品。選手村では世界各国の選手やスタッフ、約1万人分の食事を提供するため、膨大な量の食材が必要だった。その量はなんと当時の東京都民が1日に消費する量の5%に相当したという。そんな量の食材を管理するのは大変な上、一気に購入してしまうと市場価格が高騰して、一般市民の食卓に影響が出てしまう。そこで、選手村給食準備委員会のひとりだった、のちの帝国ホテル料理長・村上信夫シェフが、日本冷蔵株式会社(現ニチレイ)の協力の下、冷凍食品を開発。これによって、食材を長期保存できるようになり、食材の価格高騰を防ぎ、また食堂を効率よく運営することが可能になったのだ。

ホテルラッシュでユニットバスが普及


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現在の日本の集合住宅では普及率ほぼ100%と言われるユニットバス。それまで主流だった、床や壁をタイルで貼る設計の自由度が高い在来工法と比べ、予め工場で床・壁・浴槽など必要なパーツを作っておき、あとはそれを現場で組み立てるだけのバスルームのことだが、これもまた1964年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに急速に普及したもののひとつだ。観戦のため多くの外国人観光客が来日することが予想され、当時の日本ではホテルの建設ラッシュが起こっていた。そのため短期間で大量のバスルームを客室に設置する必要があり、TOTOはオリジナルのユニットバスを開発。そしてなんと、通常では3年ほどかかると言われていたところを2カ月間という早さで、1044室のホテル客室にユニットバスを設置したというから驚きだ。これを機に、戸建て用、マンション用とユニットバスの開発が進み、現在に至っている。

トイレマークは1964年の五輪が発祥?


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トイレの場所を示す男女のシルエットを象ったマークは、日本のみならず、言葉の通じない海外にいても、トイレの場所が一目でわかるのでとても便利だ。このように、文字ではなく単純なイラストなどで情報を伝える視覚記号のことを「ピクトグラム」と言う。トイレの他にも非常口やエレベーター、タクシー乗り場など、私たちの暮らしの中にはさまざまなピクトグラムが使われている。

この便利なマークが世界に広まるきっかけとなったのは、実は1964年の東京オリンピックだった。オリンピックともなれば英語圏だけでなく、世界中からさまざまな言葉を使う多くの人がやってくる。そこで、「誰が見てもわかるマークを作ろう」と、11人の若手デザイナーを集め考案されたのが、ピクトグラムだったのだ。たとえばトイレマークは当初、男性はズボン、女性はスカートをはいたマークを考案。しかし国によっては男性もスカートをはく習慣があるため赤と青に色分けをするなどの微調整が行われた。このようにして作られた日本発祥のトイレマークは「社会に還元しよう」という主旨から著作権が申請されなかったため、世界に広まることになったという。そのおかげで私たちは世界のあらゆる場所で、言葉が通じなくてもトイレを見つけることができる。


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最近ではLGBTQの人々への配慮から、男女のマークだけでなく、トイレに「ALL GENDER」のピクトグラムを掲げる大学や企業もあるそうだ。普段何気なく見ていたピクトグラムに注目してみると、新たな発見があるかもしれない。

バリアフリーの普及はパラリンピックがきっかけ


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街中のスロープや昇降口に段差のないバスなど、今では珍しくなくなったバリアフリーも、日本では1964年の東京パラリンピックを機に普及がスタートした。

たとえば車いすの選手が空港から選手村に移動する際には、専用のリフト付きバスが用意された。選手村の中ではパラリンピック用に造られたリフト付きの巡回バスが走っていて、車いすの選手は自力で乗り降りできたそうだ。また直前までオリンピック選手が使っていた選手村の宿舎は、入り口にスロープを設け、車いすで出入りするのが難しい場所は、ドアを外してカーテンを付けるなどして、車いすの選手が過ごしやすいように改良されたという。

それまでの日本は障がい者が外で活発に活動する機会が少なかった。パラリンピックによって、初めて海外のバリアフリーが取り入れられたことで、たとえ障がいがあっても環境を整えればもっと自由に活動ができる、という気づきに選手たちも驚きを隠せなかったそうだ。このことは、日本のバリアフリーを普及させる大きな一歩となったのだった。

テレビ中継技術も発展させた五輪


(写真は東京1964オリンピック)ⓒGetty Images Sport

1964年の東京オリンピックは、「テレビオリンピック」と言われるほど、テレビを通じて多くの人が選手たちの活躍をリアルタイムで観戦した。その中継技術の発展にも、オリンピックが大きく貢献してきたことをご存じだろうか。

はじまりは1964年の東京大会よりもさらに前。戦争のため結局開催されなかったが、1940年のオリンピック開催地が東京と決まったとき、日本は前回のベルリン大会を超えるテレビ中継をしようと研究を開始。当時としては最高レベルのテレビ方式を開発した。その後、戦禍によって研究は中断するが、戦後に再開。1964年の東京大会でのカラー中継を目標に急ピッチで技術の開発が進められた。オリンピック史上初の衛星中継も、初めてマラソンの完全生中継が行われたのも、スローモーション映像が初めて披露されたのもこの大会だ。その後も、オリンピックの度に中継技術は進化し続けた。その代表的な例をいくつかご紹介しよう。

・1972年札幌冬季大会:オリンピック史上初の全競技カラー中継
・1972年ミュンヘン大会:ワイヤレス・カメラの導入
・1984年ロサンゼルス大会:1秒間に通常のビデオの3倍、90コマを撮影できるスローモーションカメラが初めて使われ、鮮明なスローモーション再生が可能に ・1988年ソウル大会:ハイビジョン放送開始
・1994年リレハンメル冬季大会:スピードスケートで選手と併走する無人カメラが使用された
・1996年アトランタ大会:陸上競技場の無人移動カメラが、選手と同じ速さで移動することによって、走る選手の横からの映像を中継できるようになった
・2008年北京大会:オリンピック放送サービス(OBS)がハイビジョンカメラ方式を標準採用

このように、今では当たり前となった中継技術は、オリンピックのおかげで発展したとも言える。今回の東京2020オリンピック・パラリンピックでは、どんな技術革新を見ることができるのか楽しみだ。

オリンピック・パラリンピックは、その時代に合わせた技術の革新に大きな影響を与えてきた。それによって、私たちの暮らしは豊かで便利になってきたとも言える。そしてSDGsの重要性が注目される現在では、優先されるのは便利さだけではない。今回の東京大会では「Be better, together /より良い未来へ、ともに進もう。」をコンセプトに、環境や世界中の人々に優しい持続可能なさまざまな技術が採用されている。こうした試みは、きっと新たなレガシーを生み出すことになるだろう。

text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)