蔡英文政権でデジタル担当大臣を務め、近隣店舗のマスク在庫を把握できる「マスクマップ」の開発を主導したことで知られるオードリー・タン氏。同氏が本格的に政治に参画したのは、2014年の「ひまわり学生運動」がきっかけである。シビックハッカーだったタン氏はなぜ、台湾の民主主義の旗手となったのか。日本と台湾における市民のうねりはどう違うのか――。

※本稿は『Voice』2021年1⽉号より⼀部抜粋・編集したものです。

取材・構成・写真:栖来ひかり(台湾在住ライター)


ひまわり運動は反対のための抗議ではなかった

――あなたは2014年3月に学生たちが立法院(国会に相当)を占拠した「ひまわり学生運動」への参加を契機に、台湾の民主主義の舵取りに本格的に関わるようになりました。

ひまわり運動は、現政権における大きな社会的原動力として作用しています。一方で日本では、反政府デモというとイデオロギー色の強いものというイメージがあり、国民の広範な支持へと拡がりにくいのが現状です。社会運動について日台にはどういった違いがあるでしょうか。

【タン】ひまわり運動の特色は、反対のために抗議するデモンストレーションではなかった点です。どちらかといえば、「モデルケース」「手本を見せる」ためのデモンストレーションでした。

英語のdemonstrationには、二つの意味があります。一つは「威力を見せる」ことで、もう一つが「手本を見せる」こと。後者はたとえば、泳げない人にコーチが泳ぎ方を見せて教えることが挙げられます。

ひまわり運動が示した「デモンストレーション」は、コンセンサス(合意)を導き出すプロセスでした。20ものNGO(非政府組織)が、当時物議を醸していた「海峡両岸サービス貿易協定」に関する個々の問題を受けもちました。

立法院を占領した学生や街に出た50万人、オンラインの参加者と話し合うことで、皆のコンセンサスを「4つの要求」としてまとめました。最終的には、王金平立法院長(国会議長に相当)が出てきて、私たちの要求を受け入れたのです。ひまわり運動は、互いの信頼のなかに生まれる一つのコミュニケーションを基礎としたデモンストレーションでした。

――それ以前も台湾では多くの民主運動が行なわれてきましたが、ひまわり運動は何が違ったのでしょう。

【タン】最も大きな変化は、参加者自身が多様な役割を担うようになったことでしょう。以前は皆が二次的な報道を見ていましたが、ソーシャルメディアの進展により、スマホを開ければ自分自身がテレビ局の中継者になれるし、中継を見て現場を応援することもできる。

リアルタイムの発信は、誰もが参加者であるという意識をもたらします。現にひまわり運動では、私たちのメッセージが世界中に広がり、多くの言語に翻訳され、ついには『ニューヨーク・タイムズ』紙に意見広告を載せるまでに展開しました。

――誰もが情報の受信だけではなく発信もできる。画期的な変化ですね。

【タン】このように個人の役割が多様化するなかで、私たちが重視していたのは、人びとのメディア・リテラシーを高めることです。インターネット空間は事実上、誰もが創作者になれる世界です。

創作者のコンピテンシー(行動特性)は、他者と密に影響し合うことで高まります。そのため、最初は皆が別の関心をもっているようにみえても、いざ可視化されれば共通の関心に気づき、創造がどんどん加速していきます。


日本にも見られるシビックテックの機運

――社会運動に取り組む創造力が、日本と台湾との決定的な違いでしょうか。

【タン】日本のコロナ対策においても、クリエイティブな動きはみられましたよ。たとえば一般社団法人コードフォージャパンはシビックテック(市民自身がテクノロジーを活用して社会課題を解決する取り組み)の働きをみせており、同社代表理事のハル・セキさん(関治之氏)は、2020年11月に日本政府CIO補佐官に着任しています。

時を遡れば、メッセージアプリのLINEだって、2011年3月の東日本大震災をきっかけに生まれたツールです。日本は、大災害時の社会的な連帯のなかで新たな仕組みをつくってきました。台湾のひまわり運動はまさしく「大災害級のうねり」だったために、あらゆる社会的な紐帯を連結させたといえます。

日本では、これまで社会が連帯してクリエイティビティを発揮してきたのが、政治的な民主システムという場所ではなかっただけでしょう。もし民主主義という箱を皆で叩いて開け、力を合わせてより良くできるものがあれば、日本も台湾も違いはないのです。

ハル・セキさんのように市民社会と政府のあいだに立つ人が増えるほど、「民主システムは一つの密室ではない、自分たちで変えられるものなのだ」と皆が思えるでしょう。