38歳で大阪府知事、42歳で大阪市長に就任し、大阪府の財政再建や都構想住民投票実施など、絶対に実現不可能だと言われた難題を実行してきた橋下徹氏。

その理由を、「どんなに正解がわからない問題であっても、組織やチームが納得できる結論を導いてきたからだ」と言い、今の日本のリーダーにはそれが足りないと語る。

そんな「橋下流・意思決定術」をあますところなく解説した著書『決断力』から、今回は「決断時に絶対に守るべき"あるルール"」について紹介する。

※本稿は橋下徹 著『決断力』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。


「すぐに決断しなければならない時」に覚えておきたいこと

リーダーは、時間がない中での判断を迫られる場合があります。ただし、時間がないからといって締切を軽視してはダメです。どんなに緊急事態であっても期限を定め、その中で決断のきちんとプロセスを踏んでいくことが欠かせません。

たとえば、「今日中に決めなければいけない」という案件であれば、今日中と言ってもまだ何時間か残されているわけですから、その時間内で精一杯議論をした上で、決めるのです。

ここで「あと2時間しかないから、もうこちらで決める」と言って、議論を尽くさずにリーダーの一存で決めてしまうと、決まったことに対して必ず後から不満が出てきます。

2時間後に決断しなければいけないのであれば、お尻の時間を設定し「あと1時間半話し合う」と決めて、賛成派、反対派にお互いに主張をしあってもらいます。

その上で判断権者がどちらかに決めれば、「時間は短かったけれど、許された時間の中で精一杯言い合った」とメンバーに思ってもらえて、決定したことに対して、組織は納得してくれます。

新型コロナウイルスの問題で、2020年2月に安倍総理(当時)が全国一斉休校を決断したときには、大きな批判が巻き起こりました。「寝耳に水」と発言する政府メンバーや学校関係者たちもいました。

緊急事態ですから、結論を出すまでの時間は限られていました。それでも、その時間の中で、「一斉休校について意見を言ってくれ」と言って、賛成派と反対派に意見をぶつけ合わせてもらってから決定すれば、あそこまでの批判は起こらなかったと思います。

たとえ安倍総理の頭の中で「一斉休校をする」と決めていたとしても、意見をぶつけ合うプロセスを踏むべきだったと思います。一斉休校が正しいか、間違っているか、絶対的な正解は誰にもわかりません。

まさに「賛成51対・反対49」の判断で、どちらが正しいのかわからないからこそ、「総理が決めたことが正しい」とみなされる、みんなに納得されるためのプロセスを踏む必要がありました。


どんなに時間がなくても、"オープンに議論"を交わせ

2009年の新型インフルエンザのとき、僕は知事として大阪府下の学校の一斉休校を決めました。一斉休校の検討に関する情報が広がると、「学校現場が混乱する!」「働く保護者はどうしたらいいんだ!」「感染した子供がいない学校まで休校にしても意味がない!」といった声が府内から多数上がりました。

しかし僕は、大阪の高校生と小学生2名から発症例が出たときに、感染が爆発的に増加する「気配」を感じ取りました。2名は距離の離れた地域での発症例だったからです。そこで、猛批判を受けながらも、一斉休校に踏み切ることにしました。

ただし、反対の声が増えることも予想されたので、判断のプロセス・手続きだけはきちんと踏もうと決めて、賛成派と反対派で議論を重ねました。翌日から一斉休校にするには、前日の夜の11時ごろには結論を出さなければなりません。

僕の頭の中では一斉休校を決めていましたが、「午後11時に結論を出すから、賛成派、反対派、お互いに意見を出してください」と言って、僕の目の前でさらに議論をさせました。担当部局は反対で、教育長、教育委員会幹部たちも学校が混乱するという理由で反対でした。

この場合には、指南役チームに一斉休校賛成の主張をしてもらいます。賛成と反対の意見がぶつかるような議論の枠組みを作るのがリーダー・判断権者の手腕です。そして、どちらの側にも、とことん意見を出してもらい、判断すべき11時が近づいてきました。

当時、僕はまだ知事1年目。僕の決定に対してみんなが納得してくれる自信がありませんでしたので、少々ズルをしました(笑)。事前に当時の厚生労働大臣である舛添要一さんに根回しして、舛添さんを説得し、一斉休校に賛成するという趣旨のファックスを送ってもらいました。

手続的正義に基づいた十分な議論に、舛添大臣からのファックスを加えて、11時に一斉休校を実施すると決定しました。僕が決定した瞬間に、それまで反対の論陣を張っていた教育委員会が、素早く一斉休校に向けて動き始め、翌日から一斉休校が実施されました。

このように、決断するまでの時間が短くても、限られた時間の中で議論をぶつけ合わせなければいけないと僕は考えています。

1年後に医学的、公衆衛生学的に検証してみると、大阪の一斉休校には、感染者の爆発的増加を防いだ効果があったことがわかりました。結果的には実体的正義の面からも正しかったわけです。

ただし、決断する時点では確たるデータもなく意思決定したわけですから、それが正解かどうかはまったくわからなかったのです。ゆえに手続的正義の考え方で、時間の許す限りプロセスを踏んで、正解に近づいていくという思考が必要不可欠です。