互いに東アジアの隣国として、日本と韓国が手を結ぶ可能性はあるのだろうか? あるとすれば、それはどういう形なのか? 戦後最悪ともいわれる近年の日韓関係――将来のあるべき姿を考える。

※本稿は、小倉紀蔵著『韓国の行動原理』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。


日韓関係は「擬似同盟関係」

著名な国際政治学者であるヴィクター・D・チャ氏は、新鮮なモデルによって日米韓の関係を説いて見せた(『米日韓 反目を超えた提携』、船橋洋一監訳・倉田秀也訳、有斐閣、2003)。

彼は日本と韓国の関係を「擬似同盟」関係と規定した。これは「同盟関係にはないが、共通の第三国を同盟国として共有する」関係である。「共通の第三国」とはいうまでもなく米国である。

擬似同盟関係にある両国は「見捨てられ」と「巻き込まれ」という二つの懸念によって政策的決定を行うとチャ氏はいう。

「見捨てられ」とは「同盟国(米国:小倉注)が同盟関係から離脱するのではないか、あるいは支援が期待される有事に実際には支援を提供しないのではないかという懸念」であり、「巻き込まれ」とは「同盟国(米国:小倉注)へのコミットメントが最終的には安全保障上の利害を損なうのではないかという懸念」である。

そして「見捨てられ」懸念が日韓の間で対称的である場合、歴史的反目が存在していても日韓関係は協力的なものになる、という。これに対して「見捨てられ」/「巻き込まれ」の懸念が日韓間で非対称の場合には、日韓関係は軋轢を生じる、という。

2003年時点の日韓関係は、あきらかに「見捨てられ」/「巻き込まれ」双方の懸念が対称的になっていた。イラクに深く関与しないかぎり、北朝鮮問題に関して米国からの支援が期待できないのではないかという懸念を、日韓が共有していた。

また同時に、イラク戦争へのコミットメントが最終的に安全保障上の利害を損なうのではないかという強い懸念も、日韓が強く共有していたわけだ。盧武鉉政権は当初、このような「擬似同盟関係」を嫌って「大陸国家」への道を歩もうとした。しかしその試みは早々に修正を余儀なくされた。

逆に小泉政権は米国との同盟関係強化にのみ熱心で、日韓の「擬似同盟関係」にはさしたる関心を払っていなかった。しかし米国との関係のみに執着すれば、それだけ自らの活路を狭めるだけだということに、早く気づくべきであったろう。

皮肉ともいえるが、両国首脳のまなざしの方向とは逆に、イラク戦争時の日韓はかつてないほど国益を接近させていたのである。


日本と韓国の国益が接近した

この当時、自衛隊のイラク派遣に関する日本国内の議論を見ていて、わたしが不満に思うことがひとつあった。それらの議論がすべて日本の「一国」の枠内でのみ進行していたことであり、他国との連帯あるいは連携という視座が皆無だった点である。

たしかに政治的決断は一国単位でなすものだ。国によって法体系も異なれば大義も国益も能力もすべて異なる。アーミテージ米国務副長官(当時)のいったように、イラクはお友達どうしの「お茶会」の場所ではなかった。

それは対テロリストだけでなく、それぞれ異なる国益を追求してリスクを背負いに来ていた「有志連合」の間でもいえることである。しかし、連帯ないし連携という視座を忘れてしまえば、米国の思う壺となるだけであった。

特にアジアにおいては、米国の戦略のひとつが「各国の連帯を妨げる」ことにあったわけで、その戦略に乗ったまま米国追随路線だけを追求することは、米国の利益のみに奉仕するだけでなく、アジアの良き関係にとっても傷となるということに早く気づくべきだったのだ。

たとえば「国際的枠組みの構築」という大きな視野においては、日本がフランスやドイツなどを説得し、連携を強化するという方向性は、米国を支援する上でも牽制する上でも重要だったはずだ。

その意味で、日本外交の多角的・重層的な戦略性がいつになく厳しく問われる局面になってきたのがこのイラク戦争の時期だったのだ。それと同時に、アジアに対しても、連携と連帯を模索する道があったはずだ。そこに出てくるのが、韓国である。

前述したように、これほど日本と韓国が互いに国益を接近させたことは、過去に例がなかった。それにもかかわらず、日本の論者の中には、韓国との連帯ないし連携を唱えるひとがまったくいなかった。客観的な韓国の立場の参照、という程度の言及にとどまっていた。

日韓の連帯ないし連携といっても、それは全面的なものでは無論ない。また「仲良しクラブ」のようなものでないのも言を俟たない。韓国が「日本に先を越されてはならない」と競争意識をあからさまにしていたのを見てもそれは明らかだ。

自衛隊のイラク派遣決定を受けた韓国の反応は「国益確保の面で日本に遅れをとってはならない」というものが大きな部分を占めたのである。