世界一豪華な寝台列車「ななつ星」

JR九州の社長に就任した2009年6月。2年後の11年春には、九州新幹線の全線開業が控えていました。その準備もいよいよ詰めの段階に入り、本社の鉄道事業本部の各部をはじめ駅や運転区所などの現場も大忙しとなっていった時期です。

社長就任から1週間経ったとき、鉄道事業本部の主だった部長を集めて以前から密かに温めていた思いを語りました。

「みんな、九州に世界一豪華な寝台列車を走らせようじゃないか」

きょとん――みんな、何を言いだすやらというような怪訝な顔で私を見ています。新幹線開業まで2年もないというこの時期に、よくもまあ社長は悠長なことを話しているなあ、というようなあきれた表情でした。しかしみんなの反応を無視して話を続けました。

「九州新幹線の開業は、JR九州にとって会社発足以来の悲願である」
「開業により私たちの夢がようやく叶う。このことはとても喜ばしいことだ」
「しかし、夢が叶うということは、夢がなくなるということなのだ。新幹線の次の夢をみようではないか。世界一の列車を走らせよう」

夢が叶うことは、夢がなくなる。おそらくこの言葉は真理でしょう。夢が実現したときは、達成したという充実感が湧き上がってきます。しかし、しばらくすると、めざすべき夢がなくなったことに気づきます。

これから何をめざせばいいのかわからないという虚脱状態に陥るかもしれません。そこで、次なる夢をみようと呼びかけたわけです。それも「世界一」という、大風呂敷ともとれるような、でかい夢をぶち上げました。そして部長たちに宿題を与えました。

「各部で勉強してもらいたいことがあります」

九州に豪華な寝台列車を走らせるために考えられる課題や問題をすべて残らず調べ上げよ。そう指示を出すことも心に決めていました。


本気の熱はいずれ伝わる

寝台列車を牽引するための機関車は、当時九州を走っていた電車や気動車よりもかなり重量があり、線路にかかる負荷が大きいことが予想されます。はたして山間部のローカル線区の線路設備や橋梁がその過大な負荷に耐えられるのか。構造物の強度の点から調査する必要があります。

耐えられない負荷ということになれば、その問題を技術的にどう解決するのかという勉強をする必要があります。水の問題もあります。これまで、当社も他のJRも1泊の寝台列車しか運行したことがなく、「ななつ星」のような3泊4日というような“長期間”の寝台列車の経験がありません。

しかも豪華列車とぶち上げる以上、客室ごとにシャワー、トイレ、洗面台といった生活できるような設備が必要となります。はたして、どれくらいの水を使用することになるのか。経験がありませんから勉強しなければいけません。

線路への負荷や水の問題以外にも多くの課題が出てくることが予想されました。それらを一つひとつ解決していかなければいけません。そうしないと、世界一豪華な寝台列車を走らせることはできません。

そのときはまだ、みんなピンと来ていませんでした。私が本気だとは思いませんでした。しかし、リーダーたる私は本気も本気でしたから。彼らはその後すぐにななつ星のプロジェクトチームを編成し、本格的な勉強に取りかかることになります。

そして、全員で実行計画を打ち立て、実現に向けて動き出しました。このときにはもうすでに、みんなが「世界一」という夢に酔っていました。


「世界一」が人を動かす

ななつ星のデザイナー、水戸岡鋭治さんは、「世界一」と聞いて一瞬目を輝かせましたが、すぐに真剣な表情になりました。水戸岡さんは、「世界一」となるためには、今までの倍も3倍も勉強しないといけないなと、「世界一」の難しさを直感することのできる人です。

なにしろ、豪華列車のライバルは世界にたくさんありました。世に名高い「オリエント・エクスプレス」をはじめ、ヨーロッパには10本ほどの豪華列車が走っています。

南アフリカの「ザ・ブルートレイン」や、シンガポール、マレーシアとタイの間を結んでいる「イースタン&オリエンタル・エクスプレス」も強力すぎるライバルです。それらを超えなければ「世界一」とはいえません。

ほどなく猛烈に勉強を開始し、必死で考えとことん悩み、「世界一」に向けての戦いに挑んでくれました。「世界一」は、実際に車両づくりに携わる日立製作所と当社の車両の職人たちの心も大きく動かしました。車両づくりに取りかかった初日に、JR九州の社長である私は、職人たちを集めて夢を語りました。

「私たちの手で世界一の列車をつくりましょう」

職人たちの顔を見渡すと、みんなの目に、自分たちが世界一の列車づくりに関わることができるのだ、という興奮が湧き上がってくるのが見てとれました。彼らは「自分たちの持っている最高の技術をななつ星に投入しよう」と燃えてくれました。これも、「世界一」を謳った夢の効果でしょう。

ななつ星の接客を担う客室乗務員たちの士気も高揚しました。彼らは、一般公募により採用となったサービスのプロたちです。新聞に小さなベタ記事で、「世界一の豪華列車の客室乗務員募集」と載せると、たちまち約400名の応募がありました。

その中から選ばれた25名がななつ星の客室乗務員として働いてくれるのです。海外の複数のホテルで働いていた語学堪能のホテルマン、国内の一流ホテルのコンシェルジュ、航空会社の国際便に乗務していたキャビンアテンダント、豪華客船のサービス担当者といった豪華な顔触れが集まってくれました。

ななつ星の運行が始まって少しあとに、キャビンアテンダントから転じた客室乗務員に尋ねました。「あなたは、どうして航空会社の職を捨ててななつ星に来てくれたのか」彼女は胸を張って答えてくれました。

「世界一に自分を賭けてみたくなったんです」 

大きな夢は人を動かす。これは真理だと思います。