日々目まぐるしく変化するビジネスの世界で、長きにわたって事業を続けている企業は、どのような考え方で仕事をしているのか。

本記事では、「KISSME」ブランドを展開する化粧品メーカー・伊勢半を取材した。(取材・構成:杉山直隆)


江戸から続く「最後の紅屋」。生き残った理由とは?

江戸時代から続く日本伝統の口紅「小町紅」。紅花の花びらにわずか1%しか含まれていない赤色色素から伝統製法で仕上げた、玉虫色の輝きを放つ口紅です。

その抽出から販売までを行なう紅屋「伊勢屋半右衛門」を、1825年に江戸日本橋で創業したのが伊勢半グループの歴史の始まりです。

現在は江戸時代から続く最後の紅屋として、当時と変わらぬ製法で小町紅を作り続ける一方、現在も続く日本最古の女性用化粧品メーカーとして、「革新的老舗」を掲げて様々な商品を開発しています。

創業から196年の間、厳しい時期もありました。明治初期には欧米からもたらされた化学染料が強勢を誇り、多くの紅屋が廃業に追い込まれましたし、戦時中は東京大空襲で罹災して多くの従業員と社屋を失いました。

そうした困難に遭いながらも、当社が何とか生き残れたのは、代々受け継がれている教えを守ってきたからだと、私は考えています。


時代の先を行く大胆な広告と販売方式

教えの一つは、原料に妥協を許さないことです。その代表的な例が、戦後間もない1946年に発売した「キスミー特殊口紅」。6代目の澤田亀之助が「焼野原で逞しく生きる女性を綺麗にしたい」と開発し、大ヒットした商品です。

当時はあらゆる物資が不足していましたが、亀之助は、「粗悪な原料を使って口唇が荒れてしまったら、将来、必ず淘汰される」と、調達先を駆けずり回って良質な原料を掻き集めたといいます。その頑張りがヒットの要因になったのは確かでしょう。

「商品は置いただけでは売れない。しっかり伝えなければならない」という教えもあります。

前述のキスミー特殊口紅は、戦後の食糧不足を背景に、「口唇に栄養を与える」というキャッチコピーの広告を出したことで注目を集めました。

さらに、1955年に発売した「キスミースーパー口紅」では、「キッスしても落ちない」という、当時としては大胆なコピーの広告を出しました。

「恥ずかしい」「堂々と言うのはどうか」とお叱りをいただくこともあったようですが、時代の先を行ったことで、大ヒット商品となりました。

また、1966年には、業界で初めてPSP(パーフェクト・セルフ・パッケージ)システムを導入しました。これは、販売員が介在することなく、お客様が陳列された商品を自分で選ぶセルフ販売方式。

今では当たり前ですが、当時の化粧品業界では、1人のお客様につき1人の販売員が対応し、商品を裏から出してくるという対面販売が主流でした。しかし、亀之助が米国で、お客様が自由に商品を選んでいる姿を見て、いち早く業界に導入したのです。

セルフで商品を売るには、商品が販売員の代わりに自ら語ってくれることが必要です。そこで、キャッチコピーはもちろん、商品パッケージや説明書きにもこだわってきました。商品を陳列して魅せる技術は非常に高いものがあると自負しています。