2021年後期のNHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に登場するキーパーソン・平川唯一。さだまさしさんが演じることでも話題である。

昭和21年(1946)、NHKラジオで「カムカム英語」(俗称)が始まったが、平川はその英会話講師を務めた。この番組は、敗戦によって沈みがちな人々の心に新たな希望をもたらし、瞬く間に人気となった。平川は、NHKラジオと民放のラジオ局時代を合わせ、計9年6カ月にわたって講師を務めたが、聴取者から「カムカム先生」と愛され、一躍、時の人となっていった。

16歳で渡米し、19年間のアメリカ生活を送ったとはいえ、英語教師でもなく、一介の国際放送アナウンサーだった平川が、なぜそのような存在となりえたのか。

平川唯一の次男・平川洌氏が、父がこの番組にかけた思いを語る特別インタビューをお届けする。


さだまさしさんが演じると聞いて「ピッタリな人だな」

父はNHKラジオの「カムカム英語」で講師をつとめたのですが、「この戦後の荒んだ世の中を明るくしたい」という思いがそうとうあったようです。そこで父が着想したのが「カムカムエヴリバディ」、つまり「しょしょしょうじょうじ」の歌を「カムカムエヴリバディ」に翻訳して、テーマソングとして放送したというわけです。

放送内容もアメリカの家庭ではなくて、日本の家庭のそのままを英語にして、そして誰でも覚えられるようにということで、易しい英語を皆さんにお届けしたら、それが一世風靡したのです。

じつは約2年半くらい前に、NHK大阪のプロデューサさんから、「平川唯一を朝ドラに取り上げてみたい」というお話があり、取材をしていただいておりました。そして、いよいよ放送が始まるということになり、いろんな方とのご縁ができたんです。私の著書『「カムカムエヴリバディ」の平川唯一』にも、さだまさしさんに推薦のことばをいただきました。

さださんは、「新型コロナウィルスに苦しんだ日本の未来へ、連続テレビ小説で日本を明るくするお手伝いが出来たら幸せです」とコメントをされていますが、「世の中を明るくしている」ということでは父と同じです。「あ、ピッタリな人だな」と思ったわけです。

そうこうしているうちに、さださんからNHKを通じて、私に会いたいというリクエストをもらいました。それで、1時間半ぐらいお話ししましたかね。もうお互いに盛り上がったんですけれども、私は、「さださんは、父の役にピッタリです。平川家はみんな大喜びです」と申し上げたら、すごく喜んでくださいましてね。「英語はちょっとまずいんですけど、ドラマだからそのへんは許して下さい」と言われました。

さださんは、こんなこともおっしゃっていましたね。「最初、私のところに話が来た時に、あ、やっと主題歌が歌えるぞ、と期待したら大違い。驚きの出演でした」「だけど、平川唯一先生のそういう役をすることはとっても光栄です」と。

父は人気番組で一世を風靡した人ですが、当時、新聞が実施した人気ランキングで皇太子殿下(現在の上皇陛下)の次に出てきているんですよ。

さださんは、「そういう人の役をするなんてもうほんとおこがましい。身が震える思いです」なんて言っておられましたけども、父も天国でさださんが父の役をしてくださるのを、とても喜んでいるんじゃないかと思います。

朝ドラではこれから、さだまさしさんが演じる平川唯一が本格的に登場します。また面白い話がたくさん出てきますし、放送をみるのが楽しみです。


放送期間中に50万通ものファンレターが届く

父が「カムカム」の放送を始める前にも、英語講座の放送は存在していました。ただ、それがハウトゥーものでして、2、3カ月でネタが切れてしまう。そこで、NHKから番組を頼まれた時に、どういう内容にするかをずいぶんと苦心したようです。

たったの15分間の番組で、その中に父はいろんな工夫を入れたわけです。どっちみち英語の放送をするならば、小学生からお年寄りまでを対象にしたいという気持ちがあったようです。ですから、なるべく易しい英語でみんなが覚えられるようにと。やはり幅広い人に聴いてもらうということを、父は目標に持っていたようです。

父はNHK(当時は日本放送協会)で国際放送アナウンサーとして7年間海外の放送をしていましたが、その後、しばらく休んでおりました。そこへNHKからラジオ英会話の講師をしてもらえないかというお話をもらいました。父は国際放送のアナウンサーではありましたが、英語をきちんと教えたという経験がなかったので、ほんとうに考えて考えて、考え抜いたそうです。

そして父が「カムカムエヴリバディ」を始めたのは1946年2月。放送はもちろんですが、父はテキストを作ったり、ファンレターの受け答えをしたりと、貴重な経験をしたわけです。おかげさまで父の放送は瞬く間に人気となり、日本中から50万通ものファンレターをいただきました。

父はいつも「ともかく英語遊びをしなさい」と言っていました。赤ちゃんは3歳から4歳になれば自然にしゃべれるんだから、文法とかそういうものは後回しにして、細かいことを気にせず英語遊びをしなさいと。

ただ、発音に関しては、かなり工夫していましたね。父はカタカナをひじょうに上手く使っておりました。たとえば「イットイズアペン(It is a pen.)」なんて言わない。カタカナで「イリイズアペン」というふうに。「カットイットアウト(Cut it out. やめなさい)」というのも、「カレラウトゥ」というふうに、いわゆる略音って言っていますけれども、カタカナでうまく表現していました。

「r」の発音もそうです。日本人にはなかなか発音が難しいので、「r」の前には「ウ」と言いなさいと。たとえば「ウサギ」だったらば、「ゥラビットゥ」、それから「ラジオ」だったら「ゥレイディオ」というふうに、何とか視聴者の皆さんに、わかりやすく、かんたんにできるようにと、いろいろな工夫をしていました。それが「カムカム英語」の特徴だったと思います。

そして父は「いつもなるべく家の中で英語で話しなさい」とも言っていました。それに、友だち同士で「カムカムクラブ」を作ってみんなで話し合いなさいと。そのために父は「カムカム」のバッジを作ったのですが、このバッジをつけて街の中を歩いていたらバッジをつけている人同士でお話しをしましょうというようになるなど、なかなかのアイデアマンでした。父は、それまでラジオで言われることがなかった「❝皆さん❞のカムカムエヴリバディなんですよ」ということを、いつも頭に入れて放送していたと思います。