1970年代から50年近くにわたり、音楽業界の第一線で活躍してきた作詞家の森雪之丞氏。ロックからアニソン、ミュージカルまで、ジャンルを問わない柔軟性も魅力の一つだ。だが森氏によれば、どんな詞を書くときも変わらない「軸」や「価値観」が確かにあるという。森氏の活動の原動力も含め、詳しいお話をうかがった。 (取材・構成:山岸裕一)

※本稿は、『THE21』2024年5月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。


「まずやってみる」精神でヤケドしつつ成長してきた

昔から、何かに対して「すごい」「かっこいい」と感じたら、多くの人が最初に考えるだろう「やれるか、やれないか」をすっ飛ばして「やってみよう」と考えるタイプでした。それは年を重ねた今も変わりません。

そんな性格なので、これまで失敗も山ほどしています。デヴィッド・ボウイやプリンスに憧れて、特段歌がうまいわけでもないのにバンドを結成し、そこでボーカルをやっていたのもその一つ。だけど、その経験のおかげで「歌う側の気持ち」が少しわかるようになりました。

他にも「失敗だと思っていたけど、いざ振り返ってみると自分の人生にプラスになっているな」と思えることが、数え切れないほどあるんです。

近年取り組んでいるミュージカルも、そういう行動原理を持っていたからこそ出会えたジャンルだと思っています。最初はどんな詞が求められるか、まったくわからなかった。でも、トライして初めて学べることが多いことを知っていたから「まずやってみよう」と挑戦することができたんです。

その他、今や当たり前になった「VOCALOID」にも、10年以上前から触れています。きっかけは、2013年に発表されたボカロ「ZOLA PRO JECT」で公式デモソングの作詞を手がけたこと。特に最近登場した「シンセサイザーV」という、従来以上に人間らしい音声を出力できる技術には驚かされました。こういうスゴい技術に出合うと、やはり今でもワクワクします。

とにかく「通用するか」じゃなくて「楽しいから」やってみるんですよ。するといつの間にか、僕に仕事を頼んでくれる方や、支えてくれる方への理解が積み上がっていく。ずっとその連続だったと思います。

僕の場合、誰か特定の師匠がいるわけでもないですし、この「いいな、すごいな、かっこいいな」と思ったものに自ら飛び込むことの繰り返しで、成長してきたんですね。たまにヤケドもしながら......ちょうど、電灯に飛び込んでいく蛾みたいなイメージだと思います(笑)。

今年で70歳になりましたが、今もその生き方は変わっていません。身体のことも考えつつ、次は新しくどんなことをしようかとずっと考えています。なので、明確な目標は決まっていないのですが......少なくとも「おじいちゃん」にはなりたくない。

この定義は難しいですが、新たな出会いに対して「面倒だ」と思うようになってしまったら、おじいちゃんかな。だって、新しい楽しみは、いつも新しい人との出会いから始まるものですから。


作詞家を続けられたのは「転機」があったおかげ

作詞家になって、今年で48年目。インタビューではよく「第一線で長期間にわたって活躍できる理由」を聞かれますが、ずっと同じ場所で同じことをしてきたとは思っていません。むしろ、色んなジャンルやアーティストとの出会いや様々な巡り合わせがあって、それが要所要所で「転機」を生んでくれたからこそ、今日まで作詞家を続けてこられたんだと思います。

特に大きかったのは、それまで女性アイドル曲やアニメソングなど、幅広いジャンルで作詞家をしていた時期に舞い込んだ布袋(寅泰)くんとの出会い。

アイドルのようにプロデューサーの権限が強い世界だと、その曲を歌う当人とひたすら議論を重ねて曲を作る、というのが難しいことも多かったので、布袋や氷室(京介)と「セッション」を重ねて詞を生み出していくのは本当に楽しくてね。僕の原点でもある「ロック」の、その中でもアーティスティックな領域で詞を書けたことも含め、あれは僕にとって大きな転機だったと思います。

それと、先ほどから話に出ていますが、今世紀に入ってから演出家の鴻上(尚史)さんのお誘いで舞台の仕事を始めたのも大きな転機です。一度取り組んでからはミュージカルにも夢中になって、かなり力を入れているんです。

こうした転機が、僕の人生のにおける「チャプター」を切り替えてくれるおかげで、こうして長年、モチベーション高く作詞家を続けてこられたのかなと思います。自分の軸は変えず、けれども外に対して見せるキャラクターは変化させながら、チャプターごとに説得力あるスタンスを心がけているんです。


歌手が心から歌い上げられる言葉か

僕の「人生の軸」であり原点でもあるのが、グラムロックとプログレッシブ・ロック(プログレ)です。

ステージに歌舞伎の要素を取り入れ、山本寛斎氏が手がけた「出火吐暴威」の文字入りステージ衣装を身にまとうなど、非常にケレン味のある音楽世界を生み出したデヴィッド・ボウイを筆頭格にするのがグラムロック。対するプログレは、ピンク・フロイドやキング・クリムゾンなどに代表されるジャンルで、哲学的でどこか予言めいた詞の世界を持っています。

これらのアーティストの音楽は、ただ心地良いだけではありません。ときにはシンフォニックで、またあるときはシアトリカル(劇場的)。詞や曲だけではなく、広いメッセージや世界観を届けられる「音楽の力」の面白さが詰まっていました。

かつて夢中になったこれらの音楽体験は、僕の中でとても大きな存在です。ロックを書くときはもちろん、アイドル曲の作詞にしろアニメソングの作詞にしろ、これらの作品に強く影響を受けていると思います。

そのうえで、どんなジャンルの音楽に詞をつける場合も意識しているのが「その歌手が歌うことで、本当に意味を成す歌詞」をつけることです。

布袋が歌うなら布袋に、氷室なら氷室にマッチする詞を心がけますし、アニメソングでも例えば「CHA-LA HEAD- CHA-LA」というフレーズは、孫悟空が主人公でなければ生まれなかったでしょう。 キン肉マンのキャラと世界観から着想した「心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ」という詞も同様です。

作詞をするときは文字で書くんだけれども、歌詞は文字ではなく「声」で届きます。だから歌詞を託す相手、つまり歌手が心から歌い上げられる言葉かどうかが一番大切。これこそ「詩人」と「作詞家」の最大の違いだと思います。

文字で届くか声で届くかは、似ているようでだいぶ違う。作詞にはメロディという縛りがありますが、そのメロディを逆に利用することで、ずっとパワーのある詞を作るこことができるんです。

ちなみに、作詞をするときに資料やデータを読み込むようなことはしません。やっぱり、自分がかっこいいと思うことをやりたいんですよ。例えば布袋くんと作るなら、「布袋と出会ったからこそ作れたもの」が一番光を放つんです。資料や数字からは、物語は生まれません。

そもそも、時代や流行を読もうとすることには、あまり意味がないと思うんです。だって、時代ごとに「その時代で元気のある人たち」が、自然と出てくるわけですからね。であれば僕は、自分の感性を信じて取り組んで、結果が出るのを都度楽しみに待つのがベストだろうと思います。


才能ある歌手との対話が最高の作品を生み出す

先ほども言いましたが、ロックはアーティストと直接話しながら作詞を進められる。これがいいんです。一緒に作品をクリエイトできる関係性が一番大事だと思っています。演者と対話しながら練り上げていくという意味では、舞台やミュージカルで詞を書く場合も同じですね。

特に布袋や氷室などのアーティストの場合、僕が彼らからもらえるものも大きいんです。やはり偉大なアーティストは、アウトプットにも積極的。そのうえ普段から言動がスタイリッシュで、プライベートまでかっこいいんですから脱帽です。

そして何より、そういう関係性があると、詞を書くときもいい意味での緊張が走ります。輝いている彼らに、僕がどういう光を返せるのか。石を投げ返すのか、それともナイフを投げるのか......この緊張感が、僕の中にある種火を「本物の火」に変えてくれるんです。いわば「特別な燃料」という感じ。それによって、ただの種火が銀色や虹色の炎になったりします。

やはりそういう、一方通行ではない双方向のキャッチボールの存在が、クリエイトのためのセッションには必須なんです。それはそれは、楽しいですよ。

【森雪之丞(もり・ゆきのじょう)】
1954年生まれ、東京都出身。大学在学中から音楽活動に取り組み、76年に作詞家デビュー。90年代以降は、布袋寅泰ら多くのロックアーティストとの共作でも注目を集め、これまでリリースされた楽曲は約2,700曲。作詞を手がけた楽曲に「スリル」「POISON」「バンビーナ」(歌手:布袋寅泰)、「CHA-LA HEAD-CHA-LA」(歌手:影山ヒロノブ)などがある。近年は舞台・ミュージカルの世界でも活躍。24年1月には、初の自選詩集『感情の配線』を発売した。