ビジネスと仏教。一見遠い存在に思える両者であるが、仏教の考えはビジネスにおいて活用することができる、と説く人物がいる。

現在、正覚寺で副住職を務める鵜飼秀徳氏は、かつて新聞や雑誌の記者として働いた経歴をもつ。仏教は現代社会に生きる我々に何をもたらしてくれるのか。詳しい話を伺った。

※本稿は月刊誌『Voice』2020年3月号、鵜飼秀徳氏の「仏教から学ぶ幸せな定年生活」より一部抜粋・編集したものです。

聞き手:Voice編集部(中西史也)


「成果主義疲れ」の処方箋

――著書『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)は、ビジネスとは遠い存在に思える仏教を仕事に活用する方法が書かれています。

副住職を務める鵜飼さん自身も、かつて新聞や雑誌の記者として働いた経験があるとのことですが、いまの日本企業の様子をどうご覧になりますか。

【鵜飼】「成果主義疲れ」に陥っているように思います。私のような団塊ジュニア(1971〜74年に生まれた世代)は、バブル崩壊後の就職難に直面しました。派遣社員や非正規雇用者が多く、正社員で就職しても、厳しいノルマや数字を強いられてきた。

とくに2008年のリーマン・ショック以降、この傾向が強くなったと感じます。企業は目先の利益の確保を迫られ、社員はどんどん疲弊していく。現在、働き方改革がしきりに言われていますが、まず意識すべきは成果主義の負の側面を払拭することでしょう。

――そこで、いまこそ仏教の活用を、と説かれています。仕事のなかでどう役立つのでしょう。

【鵜飼】 仏教の考えに拠ることで、働く意義や幸せとは何かを見つめ直すことができます。日本では昭和の高度経済成長期から物質主義が進行し、社員は会社のために働くことが是とされてきました。

しかし、組織は絶対的な存在ではない。「諸行無常」という言葉があるように、すべては移ろいゆく存在であり、未来永劫続く会社などありません。起業して100周年を迎えられる企業は全体の1%ほど、というデータもあります。

近年はとくに SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及もあり、思わぬかたちで不正が暴かれて一瞬で拡散され、不幸な結末を迎えることもあるでしょう。

――デジタル化への対応に追われる一方、仕事へのやりがいを見出せず、虚無感を覚える人は増えているかもしれません。

【鵜飼】 日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏は、会社の利益を追求して多額の報酬を得ていました。しかしいまの彼を見て、幸せな人生だったと言えるでしょうか。

仏教を一つの切り口にすることで、働くとはどういうことなのか、自分にとっての幸せとは何かについて、あらためて考えることができるはずです。

――たとえば、鵜飼さんは会社員時代に仏教の教えが活きた経験はありましたか?

【鵜飼】「つながり」を意識できたことは、日々の仕事の糧になりました。私は寺の家に生まれ、学生時代に僧侶の資格をとっていたので、会社ではよく「君はどうせお寺に戻るんでしょ」と言われてきました。

でも、私は会社の仕事を軽視していたわけではない、と断言できる。それは、33代続く寺の家で育てばこそ、人びとが伝承する「つながり」に思いを馳せることができたからです。

会社では、社内の先輩・後輩といった縦のつながり、部署や社外の人たちとの横のつながりがありますよね。そうした周囲の方々の助けによって自分は仕事ができているのだ、と自然に「縁起」を意識してきました。

「縁起」というと、偶然の産物といったイメージをもたれるかもしれません。しかし本来の意味は逆なんです。すなわち、この世のすべての現象は原因と結果(因果)で生じている、ということ。

良い行ないをすれば、良い結果がもたらされる。つねにそう考えることで、自分を律することができました。

――まさしく、因果応報ですね。

【鵜飼】 さらにいえば、「つながり」を意識することで、仕事に不可欠となる想像力が養われた気がします。思いを巡らすことは、仏教でとても重視される行為です。

営業では取引先の気持ちを推し量る必要があるし、何かを製造するには消費者のニーズを捉えなければならない。先祖に思いを馳せることは、最終的には目の前の人たちを大切にすることにもつながってくるのです。


定年後に活きる「利他」の精神

――会社員時代にバリバリ働いていても、定年後は抜け殻のようになってしまう人もいます。

【鵜飼】 組織という実体のないものに拘泥しているからではないでしょうか。会社の利益や内部での出世にしか目が向いていないと、組織の外に出た途端、自らの存在意義を失ってしまう。

大切なのは、他者との向き合い方であり、自分との向き合い方です。たとえば、会社の出世競争に疲れている人には「小欲知足(足るを知る)」という言葉を贈りたい。

欲張らず、自らの置かれた環境を素直に受け入れるという意味です。競争や数字に過度にこだわると、心の余裕がなくなり、他人への思いやりも希薄になります。

一方、「足る」を知っている人は心にゆとりをもてるので他人にも優しくなれるし、自分にも誠実に向き合える。人との関係性を大事にする人は、定年後もイキイキと過ごせているはずです。

――とはいえ、現役時代は家族を養う一心で懸命に働き、定年を迎えた人も多いと思います。こうした人に対し、いきなり仏教を活かせといっても戸惑うと思うのですが……。

【鵜飼】 そう思うのも無理はありません。とはいえ、老後は時間ができますから、まずは自分がお世話になった人に思いを致して、自己反省をしてほしい。仏教でいう懺悔です。

懺悔といっても、決してネガティブな意味ではなく、これからポジティブに生きるために自らの人生を見つめ直すのです。

会社員時代、部下に厳しく当たってしまった。仕事に没頭するあまり、家族との時間を蔑ろにしてしまった。自分の本当にやりたいことを我慢してきた……。

これまで生きてきた道を振り返ることで、久しぶりに後輩に連絡を取ってみたり、妻に優しい言葉をかけたりするきっかけになるのではないでしょうか。

――定年後にぎくしゃくすることがある夫婦関係の再構築にもつながってくるかもしれない。

【鵜飼】 いまの50代以上は、家族よりも仕事を優先してきた世代でしょう。だから定年後に急に妻と過ごす時間が増えると、どう接していいのかわからなくなってしまう。

夫婦は最も身近にコミュニケーションをとる存在であり、つまりは自分よりも相手を優先する「利他」の精神を活かすべき関係です。私の実感としては、夫婦関係が良い人は社内の人間関係も良好であり、その逆も然りです。

基本的な人とのつながりや思いやりを実践することで、定年後の夫婦関係も自ずと改善してくるでしょう。