人生で大切なことは、母から繰り返し言われた「この一言」だった──『人は話し方が9割』の著者・永松茂久氏はユニークな人材育成法を多くの人に伝えてきた。

その背景には、自身の人生を支えてくれた母からの言葉があったと語る。本稿では、その母の言葉とエピソードを綴ったドキュメンタリーエッセイ『喜ばれる人になりなさい』から、母から学んだエピソードを紹介する。

※本稿は、永松茂久著『喜ばれる人になりなさい 母が残してくれた、たった1つの大切なこと』(すばる舎)から一部抜粋・編集したものです。


運は買える?

「茂久、知ってる? 運って買えるのよ」

僕の母、永松たつみはこうした一見おかしなことを、大真面目に言うタイプだった。

「あのね、この世には目に見えないお金があるの。そのお金はね、徳っていうのよ」

――俺は目に見えるお金がいい。

「目に見えるお金も買えるお金。それをね、徳っていうの」

いつものように右から左に話を聞いている僕に、かまわず母は続けた。毎度同じ話なので、次にどんな内容がくるかはすでにわかっている。この人は前回も同じ話をしたことを覚えていないんだろうか? それが僕には不思議でしかたなかった。

「その徳はね、喜ばれることをしたら1個たまるの。そしてね、人に気づかれないように喜ばれることをしたら、さらにボーナスがついて10倍たまるのよ」

何を基準に10倍ポイントがつくのかまったく意味がわからない。しかし母は、それをさも10倍ポイントをもらって喜んだことがある人かのように、迷いなく楽しそうに話す。ある意味、特技といってもいいくらいに。

「そしてね、親の積んだ徳は子どもに流れるの。だから私は喜ばれることをたくさんして、あなたたちに徳を流すからね」

――母さん、俺、だから目に見えない徳より、目に見えるお金がいいって

「ふぅ。あなたもまだまだ子どもね。まあいいわ。いつかわかる。だから私は喜ばれる人になるために今日も仕事をしてくるから、自分で何かをつくって食べてね」

――いや、今もう夜の8時だよ。腹減った

そう言う僕と弟を無視して母は階段を下り、自らが経営するギフト屋に行った。僕たちの毎日はこんな感じだった。

「あなたたちのために徳を積む」

これが母の口癖だったが、幼い頃、この「徳」という言葉は僕たちにとっては、母が自分の仕事をやりたいための方便だと思っていた。


告白

僕の生まれた実家は昭和初期、曽祖父の経営する下駄の卸問屋として、多くの丁稚や番頭さんを抱えていた名残からか、とにかく家が広かった。

家の真ん中には、ふだんは何にも使われていなかった大きな仏間があった。中学校にあがったある日、母と同い年くらいの男性と女性が月に1回ほどやってきて、その仏間で何やら話をするようになった。

話を聞くと、母のお店の取引先メーカーの社長さんと、同業者の女性らしい。最初の頃は話を聞いているのは母1人だったが、数を重ねるにつれ、その話を聞く人の数が増えていった。そんなある日、2人でご飯を食べているときに、母が申し訳なさそうに、そして何か言いたげにモジモジしていた。

「あのね、茂久。ちょっと相談があって……」

――さっきからなに? 早く言ってよ

「そうね。んじゃ言うね。びっくりしないでね」

――しないよ

「私、お坊さんになっていい?」

僕は思わず味噌汁を吹き出した。まったく予期せぬところからカウンターパンチを喰らった気分だった。

――お、お坊さんって、店はどうするんだよ!

「あ、それなんだけどね、お坊さんっていってもね、家にいてできるお坊さんなの」

――なんだよそれ、そんなお坊さんってありなの? なんかよくわからないけど俺は嫌だ

「お願い、あんたたちに迷惑はかけないから!」

まるでどっちが親だかわからないような会話だったが、飲み会から帰ってきた父にそのことを言うと、諦め顔で「どうせすぐ飽きる。ほっとけ」と意に介さない。仏間に来ていたおじさんとおばさんは、どうやらそのお寺の人だったということが後になってわかった。