人間とは本来「一人」であることが自然なこと。孤独とは善し悪しの問題などではなく、人間にとって至極当たり前のことなのです――。こう語るのは、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さん。

誰もが一度は経験がある"ふとした瞬間に訪れる寂しさ"は、一体どこからくるのでしょうか。その原因と上手く付き合うコツについてお話しいただきました。

※本稿は、枡野俊明著『ひとり時間が、いちばん心地いい』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです。


寂しさを生むもの

寂しいという感情は誰もがもつものです。特に大きな理由などなくても、どこかに寂しさを感じることはよくあるものです。寂しさを生み出す原因は数知れずあります。

部屋の中に一人でいることが寂しい。遠く離れた両親に会えないことが寂しい。別れた恋人を思い出しては寂しさが募ってくる。抱えきれないほど大きな寂しさから、すぐに通り過ぎてしまうような小さな寂しさまで、私たちが感じている寂しさのほとんどは、実は自分の心が生み出しているものなのです。

たとえば田舎の両親のことを思い出して寂しくなることがあるでしょう。これは言ってみれば、両親のことを思い出すから寂しくなるわけです。あるいは別れた恋人のことを思い出して寂しさが募るのは、恋人のことを思い出すからです。極端なことを言えば、思い出さなければ寂しくはなりません。

寂しくなる理由は、自分の心が生み出しているに過ぎないということです。しかし、そんなふうに書けば、あまりにも非情に思われるでしょう。確かに恋人のことをさっぱりと忘れることができたら、もう寂しくはないかもしれません。そんなことはよく分かっていることでしょう。

しかし、実際にはなかなか忘れることはできない、それが実情ではないでしょうか。まして、遠く離れた両親に会いたいという気持ちはとても大切なものです。その気持ちを否定することなど誰もできるものではありません。


「襲ってくる寂しさ」の追い出し方

では、どうすれば、襲ってくる寂しさから逃れることができるのでしょうか。その答えの一つは、実は身体を動かすことなのです。日々の中にはやるべきことがたくさんあります。そこに心を集中させて、一生懸命に取り組んでいくこと、それが寂しさから逃れることのできる一番の方法です。

少なくとも何かに夢中になって身体を動かしている時に、寂しさという感情が襲ってくることはないでしょう。一人前の禅僧になるために修行をする「雲水(うんすい)」たち。一昔前の時代には、まだ幼い雲水もたくさんいました。かつては、自分が望まなくても、親が寺に預けることもありました。

まだ幼い子供ですから、親元を離れることは不安でいっぱいだったでしょう。母親の下に走って帰りたいと思うこともあったと思います。しかしほとんどの場合、雲水たちは寂しさを克服し、厳しい修行を全うしました。

雲水の修行生活は、朝の四時くらいから始まります。雪が降る真冬でも、坐禅、朝のお勤め、そして夜明け前から境内の掃除をします。冷たい水で雑巾を絞り、寺の廊下をぴかぴかに磨き上げます。その後、やっと朝ごはんをいただき、昼間はそれぞれの与えられた仕事を行い、午後には晩課(ばんか)というお勤めを行い、時には托鉢(たくはつ)に出かけたりもします。

夜には夜坐(やざ)という坐禅を行います。そのような一日を過ごすと、就寝時間になると、もう雲水たちはヘトヘトです。一日中休むことなく身体を動かしているからです。どの作業も修行の一環ですから、手を抜くことはできません。すべての神経を集中させて、1日のやるべきことと向き合う。そのような生活の中に、寂しさなどという感情が入り込む隙間はないのです。

夜に床に就けば、ふと田舎の母親を思い出し、早く会いたいと寂しさが襲ってくることもあるでしょう。しかし、疲れた身体は眠ることを要求しています。寂しさに包まれる前に、雲水たちは深い眠りに落ちていくのです。

どうしようもない寂しさに襲われた時には、その寂しさと真正面から向き合わないほうがいいのではないかと思います。その寂しさを少しだけ脇に置き、目の前にあるやるべきことに集中することです。

仕事が忙しい時に、人は寂しさなど感じることはないでしょう。それは仕事に心が真っ直ぐに向かっているからです。家の中でじっとしていると、向こうのほうから寂しさが近づいてきます。

寂しさが近づく前に、家を飛び出してみることです。近所の公園に散歩に行くのもいいでしょう。シューズを履きかえて、軽いジョギングに出かけるのもいいでしょう。

人間は、身体を動かしながら深く考えるという作業はできないのです。全速力で走りながら、算数の計算をすることはできません。プールのコースを全力で泳ぎながら、何かについて悩むことなどできないのです。 

身体を動かすことを止めて、襲ってくる寂しさを正面から受け止めてしまうと、その寂しさはどんどん心の中で大きくなっていきます。どうしようもないくらいそれは膨らんでいくことになります。そうなる前に、自分の身体を使って寂しさを追い出してしまうことです。