「未来の医療」と聞くと、画期的な手術法の発明や特効薬の開発などがイメージされるもの。だが、東京大学大学院在学中に「ゲノム解析」の活用を掲げて起業した高橋祥子氏によると、これからの驚異的な医療の進歩をリードするのは「遺伝子」を読み解き、それを書き換える技術だという。(取材・構成:塚田有香)

※本稿は、『THE21』2023年6月号特集「いま50歳の人の10年後・20年後」より、内容を一部抜粋・編集したものです。

ゲノム解析のコストが100億円から数万円に低下

生命科学は20世紀後半に誕生した比較的新しい学問領域ですが、近年の発展スピードには目を見張るものがあります。その背景にあるのが、ゲノム解析技術の飛躍的な進歩です。

ゲノムとは、その生物が保有する遺伝情報(遺伝子)の全体を指すもので、他に「生命の設計図」とも呼ばれます。遺伝情報はDNAという物質に記録されており、この遺伝情報を解析することで、様々な情報を洗い出すことができるのです。

私が2013年に創業したジーンクエストでも、唾液からゲノムを抽出し、遺伝情報を解析するサービスを提供しています。現在、すでに病気リスクや体質、性格など300項目以上の遺伝的傾向を知ることが可能です。例えば高血圧、糖尿病などの生活習慣病やがんなどについて、「あなたと同じ遺伝子型の人のリスクは平均の1.45倍です」といった情報が得られます。

人間のゲノム、すなわちヒトゲノムは、2003年にすべての解読が完了しました。そこから今日までにイノベーションは大きく進み、01年時点では一人当たり約100億円もかかっていたゲノム解析のコストも劇的に低下。

今では一人当たり数万円でゲノム解析ができるようになっています。それにより、当社のサービスのように「個人が自分の遺伝情報を手軽に解析」することも可能になりました。

こうしたデータを大量に集めることが可能になれば、生命に共通する「法則性」を解き明かし、様々な場面で活かせるようになるでしょう。

例えば、ゲノムのどの部分がどの病気に関与しているか、という法則性がわかれば、その場所にある遺伝子をターゲットにした治療薬や予防薬が開発できるかもしれません。

アルツハイマー型認知症のように根本的な治療法が確立していない疾患でも、「遺伝的にリスクが高い人には早めの診察を促し、症状の進行を遅らせる薬を超初期の段階から投与する」といったアプローチが可能になると思います。

細胞の老化を反映したエピジェネティクス的年齢

研究が進めば「年齢」の概念も変わると予想しています。一般に年齢といえば「暦年齢」を指しますが、生命科学の領域では、今「エピジェネティクス的年齢」がホットなテーマです。

エピジェネティクスとは、DNAのスイッチのオン・オフを切り替えて遺伝子の働きを調節する制御機構で、その状態を調べれば、細胞や組織の老化の程度がわかります。

同じ50代でも、エピジェネティクス的年齢が若い人もいれば、老けている人もいるわけです。現在は病気の発症率や健康寿命などの統計も暦年齢別に集計されていますが、2040年にはエピジェネティクス的年齢で語られるようになるのではないでしょうか。

ただし、いかに研究が進んでも、その人が「実際に何歳まで生きるか」を予測できるわけではありません。ほとんどの病気は遺伝子要因だけで発症が確定するわけではなく、環境要因も大いに寄与するからです。

逆に、もし今後ウェアラブル端末や簡易な測定ツールが普及し、血圧や運動、食事など環境要因についての日常的なデータを取得しやすくなれば、それらをゲノム解析結果と組み合わせることで「自分はどんな病気になりやすいか」を、より高精度で個別具体的に予測する技術が生まれるかもしれません。

個々人のリスクに応じた病気予防が可能になれば、健康寿命は大きく延伸することでしょう。

遺伝情報は「確定的な未来」を示すものではないのです。トランプでいえば、遺伝子は「最初の手札」のようなもの。それだけでゲームが決まるわけではなく、そこからどうプレイするか(どう生きるのか)のほうがずっと大切だと考えましょう。