子どもが委縮しないよう、夫婦で「極力叱らない協定」を結んだという金子恵美さん。
叱るときのケースも決め理性的に子育てをしていたにもかかわらず、ある日息子さんより「いつもママはカリカリしてる」と言われてしまいます。

元衆議院議員の金子恵美さんに、夫婦二人三脚で子育てに向き合った毎日を語っていただきました。

※本稿は『PHPのびのび子育て』2020年8月号から一部抜粋・編集したものです。


空白の1年

国会議員を辞めてから、私は初めて母親になれた気がします。
というのも、議員時代に出産をしたものの、当時は子育てよりも優先せざるを得ないことがたくさんあり、一般的な母親としての役目はあまり果たせていなかったからです。

産後、仕事に復帰してからの子育ては、専ら夫と両親に任せることが必然的に多くなり、私は息子と過ごす時間がほとんどありませんでした。
授乳をする瞬間や、たまに息子を抱く瞬間は、生物学的に「母親」を実感していましたが、人間生活を営む上での「母親」は今ひとつ感じられていなかったのだと思います。

そんな生活が1年間続きましたが、息子も今や4歳になりました。
あの母親としての空白の1年を埋めるように、この3年間は奮闘の日々だったと思います。
毎日が新しい発見の連続であり、息子から多くのことを気づかされています。

子どもと、とことん向き合っていける環境というのは本当に尊いものだと感じています。と同時に、やはり子育てというのは本当に難しいものだと痛感しています。

実際に、息子の考えていることがわからなかったり、なかなか言うことをきいてくれなかったり、将来の進路で悩んだりと、今の私の頭は常に息子のことでいっぱいです。

とくに難しいのは、教育的な指導をするときです。
そもそも、私は子どもの人権を尊重する立場で政治活動をしてきたので、”子どもは親とは別人格であり、子どもの人生は子どものものである”という考えの下に、子どもと接し、尊重するという教育を心がけてきました。


母の教え

こうした教育方針になったのには、私の母の考え方から受けた影響が大きいと思っています。
私は母からの教育に感謝していることがあるのですが、それは様々な経験をさせてもらい、多くの可能性と選択肢を与えてもらったことです。
そうした経験の中で、私なりに考え、悩んだ末に、進路を決めてきました。

今もそのことが私の中で強く残っているので、息子にも同じように広い世界に触れてもらい、できる限りの選択肢を彼に与えたいと考えています。

音楽に興味をもっているなと思ったら、音楽教室をすすめてみたり、海に興味をもったときは、週末に湘南まで車で遊びに行きました。
そのときの彼の幸せそうに笑う顔は、私にとって最高の贅沢です。これからも常に新しい刺激を与えていきたいと思っています。


学習の習慣づけ

再来年には、息子は小学生になります。
のびのびやらせてあげたいと思っているのですが、ママ友の中には受験を意識している人たちもいます。

私はそんな考えはまったくなかったのですが、これも彼への選択肢の1つだと思い、そのための学習を試しにやらせてみることにしました。

年中クラスでは数をかぞえたり、絵を描くというようなレベルですが、意外と彼も学ぶことを楽しんでいるようで、夜になると自分から「お勉強がしたい」と言ってきます。

そのような流れで、我が家では昼に遊び、夜に「お勉強」をするのがルーティンになりつつあります。受験をするかどうかは今のところ未定なのですが、幼児期から学習をするという習慣づけは、とても良いことだと気づくきっかけになりました。

ただ、ここにきて困ったことが起きました。
こう毎日「お勉強」につきあい出すと、私の思うようにできない息子に、ついつい”イラッ”としてしまうのです。

理解ができないというレベルのものであれば根気よく教えてあげられるのですが、繰り返しふざけたり、拗ねたりすると、私の負の感情はピークに達し、ついつい”怒って”しまうのです。そして、毎回反省……。


怒っているのか、叱っているのか

そもそも私は、教育上、「叱る」ことは必要不可欠だと思っているのですが、それはあくまでも教育的な意味合いで叱るのであって、自分の感情が勝ってしまって、感情の赴くままに「怒る」のとは大きく意味が違います。

「怒る」という言葉は、「起こる」という言葉と同じ語源であって、感情が起こって抑えられなくなっている状態のことを言います。

今の自分の言動は息子のために「怒って」いるのか、「叱って」いるのか、声を荒らげてしまった後に自問しています。まったくもって似て非なるものですよね。

これは私だけではなく、夫にもそういう傾向があったので、このことについて夫婦で会議をしました。

そして、叱ることは(当然、怒ることも)、子どもが委縮してしまいかねないので、夫婦間での「極力叱らない協定」を結ぶことにしました。
さらに、「叱る」ときはどのようなケースにするのかという「叱りの三原則」を設けました。

【叱りの三原則】
・息子の生命・身体に危険が及ぶおそれがある行為をとったとき
・息子が他人に危害を加えたり、迷惑をかけたりする等の反社会的な行為をとったとき
・約束を守らなかったり、嘘をついたりしたとき

これが、我が家で決めた「叱りの三原則」です。この協定と三原則ができてから、われわれ夫婦の間でこのテーマについての議論は激減し、「結構うまくいってるね」と夫婦間では満足していました。

しかし、そんなある日、私たち夫婦はまた立ち止まることになります。それは息子から言われた言葉から始まりました。

「いつもママはカリカリしてるね。僕はママが笑っているほうがいいな」

この言葉を聞いてハッとしました。叱るのだったら大丈夫、怒っているのではないのだから、と理解していたのですが、これも息子からするとちょっと違ったようなのです。

つまり、息子からすれば「叱る」も「怒る」もあまり差異はないものとしてとらえられているのでしょう。


「叱り」から、「諭し」へ

再び、緊急の夫婦会議を開きました。

何が悪かったのか、どのように改善をするべきなのか、深夜の議論は白熱しました。そこで炙り出された課題点は「説明不足」でした。なるべく説明をつけて叱っていたつもりですが、その説明が疎かになっていたのでは? と夫から指摘され、確かに思い当たる節がありました。
そこで、翌日から私は、息子を叱るときは、なるべく温厚に、穏やかに、諭すように心がけました。

こうして、我が家は「怒り」→「叱り」→「諭し」へと、息子へのアプローチ方法が変わっていきました。今でもつい「怒り」モードになってしまうこともありますが、四苦八苦しながら息子に向き合っています。すると先日、息子が嬉しいことを言ってくれました。「ママが僕のことをおこるのは、僕のためにおこるんだよね」と。

4歳児にも真心を込めて接すると、思いは伝わるんだと感動した夜でした。まだ4歳だから、子どもだから伝わらないと思いがちですが、ある瞬間とても大人びたことを言うことがあります。当然ですが、子どもはしっかりとした1人の人間なのです。社会においても、子どもたちの人権の重要性がもっともっと認識され、子どもが尊重される社会にしていきたいと思っています。