高田文夫 少年野球チーム「ジャニーズ」と闘った少年時代

高田文夫 少年野球チーム「ジャニーズ」と闘った少年時代

 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、亡くなったジャニー喜多川氏が芸能事務所を立ち上げるきっかけになった少年野球チーム「ジャニーズ」についてと、そのライバルチームに所属していた高田氏の思い出をお届けする。

 * * *
「次回は昇太結婚の詳報を」と書きましたが、その間に芸能界的にはもっと数万倍大きなニュースが……ジャニー喜多川氏(87歳)の死去です。

 虫が知らせたのか単なるまぐれか、訃報が流れる少し前に発売の『月刊Hanada』の中の連載頁「月刊Takada」でジャニーズの事を書いていたのです。それも今の芸能界では誰ひとり証言すらできない少年野球チーム“ジャニーズ”との闘いの日々をつづったのです。

 ジャニー喜多川氏が亡くなるや、すぐに東京新聞の1面(早い話朝日の「天声人語」のような「筆洗」の所です)に私のその話題が載ったものですから、愛読者は江戸っ子と東京っ子だけと言われる東京新聞を読んでる古い連中から、様々な声の便りが届きました。「そう言えばガキの頃、高田よく野球やってたもんな」という具合です。

 ジャニーズの歴史、誰も書けなかったその前夜の話です。

 私は昭和23年に渋谷は富ヶ谷といういい所に生まれました。近所にはワシントンハイツ。分かりやすく言うと在日米軍施設。網の中は広大なるアメリカです。ここは東京五輪が来るので選手村となり、今は代々木公園となっています。このワシントンハイツに住人でいたのが、野球大好きなジャニー喜多川氏です。近所の渋谷の少年達を集めて作った少年野球チームが“ジャニーズ”です。私は“少年シャークス”なるチームの7番でセカンドです。

 うちのチームの練習には、花形のお兄ちゃんと呼ばれる人が時々ノックをしにやってきました。まさに戦後史ですが、渋谷といえば大学出のインテリが集まった愚連隊“安藤組”。安藤昇の右腕といえば映画にも本にもなっている最強の男・花形敬です。渋谷から世田谷にかけての大地主の坊ちゃんでもありました。ジャニーズは喜多川さんの強いノックをうけ、我々は花形さんのヤクザノックできたえられました(全然放送禁止でもありませんよ。戦後の山の手史です)。ジャニーズとは2戦して2敗でした。

 伝説にもなっていますが、雨で野球ができない日、ジャニーさんとあおい輝彦(のちに4人組の初代・ジャニーズ)たちは映画『ウエスト・サイド物語』を見ました。そう、ジョージ・チャキリスがカッコよく歌い踊ります。「これからはこれだ!」ジャニーさんはひらめきました。私は友人と映画『社長漫遊記』を見に行き「やっぱ森繁とのり平はいいねぇ」など言ってる子供でした。人生の分岐点です。

 1年後テレビでは野球の相手がジャニーズと名乗り踊ってました。

※週刊ポスト2019年8月2日号


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