発表から何年たっても色あせない音楽を生み出し続けている山下達郎(67才)、竹内まりや(65才)夫妻。彼らの夫婦生活は今年で38年。いつまでも変わらない関係に見えるふたりの間にも少しずつ変化があって──。

《大親友なんです》。ほとんどメディアに出ず、私生活は謎のベールに包まれていた竹内まりやが、明かした夫・山下達郎との間柄に関係者はギョッとした。

 11月18日、1978年のデビュー以来初となる映像作品『souvenir the movie〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜』が発売された。これまで一度も映像作品を発売してこなかっただけに、レコードショップでは多くの人が「竹内まりや」の名前を前にして、足を止めている。冒頭の言葉は、そのDVDに収録されたインタビューで語られたものだ。愛する夫から、なんでも話せる親友へ── 一方の山下もまた心の動きがあったようだ。

「2か月ほど前ですが、山下さんが“卒婚ってどう思う?”と聞いていたんです。竹内さんとのことかははかりかねましたが、聞かれた方はどきっとした様子でした」(音楽関係者)

「卒婚」とは、2000年頃に登場した新しい夫婦のあり方を指す言葉。離婚届は提出せずパートナーのかたちは保ちながらも、それぞれの人生を楽しんで生きていくという、自由な関係を目指すことをいう。

「竹内さんと山下さんは音楽のことはもちろん、なんでも相談できる仲でしたが、子育てが落ち着いたここ数年は、その関係が変化してきたようです。これからは、独立した関係であろうとしているのかもしれません。ふたりはここ数年でさまざまな役目を終えましたからね」(竹内の知人)

 今年、結婚生活38年目を迎えた夫婦に何が起きているのか。

 竹内のリリースラッシュが止まらない。前述のDVDに先立ち、11月初旬には、来年4月スタートで実に7年ぶりとなるアリーナツアーの開催を発表。11月23日には、お笑い番組『コントの日』(NHK)のために書き下ろした新曲を発表した。

「結婚後、こんなに精力的に活動するのは初めてですよ。竹内さんはデビューから4年後の1982年に山下さんと結婚。その後、新曲はリリースするものの、ステージからは離れていましたから。2000年代になってライブ活動などは再開したものの、大々的なものではなかった」(前出・音楽関係者)

 竹内は1955年、2男4女の6人きょうだいの三女として、島根県の出雲大社近くにある老舗旅館を経営する両親のもとに生まれた。高校時代にアメリカ留学を経験し、慶應義塾大学に進学。音楽サークルに所属しバックコーラスを務めるうちにその才能を見出され、メインボーカルを担当するようになった。耳に残る伸びやかな歌声と愛らしいルックスが、レコード会社の目にとまり、22才でデビューを果たした。

「最初はアイドルとして活動していましたが、徐々に自分の好む音楽のスタイルにシフト。その過程で、同じレコード会社に所属する先輩・山下さんに相談をしているうちに親しくなったそうです」(別の音楽関係者)

 3枚目のシングル『SEPTEMBER』(1979年)では「第21回日本レコード大賞」新人賞を獲得。その後も『不思議なピーチパイ』(1980年)が累計で40万枚を超えるヒットとなり、瞬く間にスターの座に駆け上がった。しかし、その栄光をあっさり手放すかのように、結婚後の竹内は、家庭を最優先した。

「音楽は仕事でなくても楽しめる。でも家庭と向き合うことはいましかできない—そう思った彼女はスーパーで普通に買い物し、移動はバスでしていました。自分のことを“シンガー・ソング・専業主婦”と呼んでいたくらいです」(前出・音楽関係者)

『駅』や『シングル・アゲイン』『告白』などの名曲を生み出したのは子育て中のこと。竹内がその才能を自由に開花させられたのも、公私共にサポートし続けてきた山下の存在があったからだった。結婚後、山下は竹内の全作品のアレンジやプロデュースを手掛けてきた。家族としても仕事仲間としても完璧なパートナーだったふたり。“嫁”としての関係も良好だった。

「達郎さんの実家は、もともと都内のお菓子店。結婚後は達郎さんのお父さんと、まりやさんふたりで釣りに出かけるなど距離が近い関係でした。そのお父さんが亡くなられたのは15年ほど前。落ち込む達郎さんに竹内さんはいつも付き添っていました」(山下の知人)

 そんな山下も心配する問題があった。竹内の実家にまつわるものだ。出雲大社の鳥居からわずか100mほどの参道脇に、竹内の実家『竹野屋旅館』がある。140年も続く老舗で、かつて沢田研二(72才)と田中裕子(65才)が結婚披露宴を行ったことでも知られている。だが、ここ数年、この旅館の内部は混迷していた。

「この旅館は竹内さんにとって特別な場所で思い入れも強い。でもここ4〜5年ずっとトラブル続きだったようです。長年、竹内さんのお兄さんが旅館を切り盛りしていたんですが、従業員とのトラブルや経営不振の責任をとる形で辞任。竹内さんの姪っ子のお婿さんが引き継ぐ形になったのですが、それも長く続かず……。

 竹内さんは金銭の支援はもちろん、実質的にはオーナーのように再建に向けて力を注いでいました。彼女の尽力があり、旅館は立て直しに成功。いまは以前にもましてにぎわっている状況です。今回のことで金銭や相続にまつわることなど煩わしいことも多かったようですよ。娘さんが旅館の役員に就任したり、老後についても改めて考えるきっかけになったようです」(前出・竹内の知人)

 還暦をすぎて直面した実家の旅館トラブルとその解決。さらに一人娘の自立も重なった。

「娘さんも30代半ばをすぎて仕事も充実しているようで、本当に安心してみていられる年齢になったんだと思いますよ。娘さんは若いときは、両親の影響を受けて、音楽に夢中になり、バンドを組んでいたりもしましたが、美大の日本画科を卒業後、イラストレーターに。最近は個展を開くほどで、作品を精力的に発表しています」(前出・竹内の知人)

 竹内と同様、山下も最近はひとりの時間を楽しむことが増えたという。

「記念日などは一緒に過ごしますが、それぞれ飲みに出かけたり、趣味に費やす時間については干渉しなくなっていったようです。そんななか、新型コロナも重なり、竹内さんの中で“もう一度表舞台でたくさんの人に自分たちの音楽を届けたい”という情熱がふつふつと湧いてきたようです」(前出・竹内の知人)

 11月下旬の夜、都内の高級中華料理店にふたりの姿があった。お互いにモノトーンの服装で、旬の上海蟹などを味わったという。

 65才で転機を迎えた竹内。夫婦のかたちは永遠に同じではない。変化しながら、その絆を深めていくのかもしれない。

※女性セブン2020年12月10日号