息子が長期間にわたって法廷闘争を繰り広げていることを父はまったく知らなかった。「ぜったいに親父にはバレたくない」。その思いでひた隠しにされてきたからだ。愛息はなぜ父を頼らなかったのか。トラブルで明らかになった父子物語──。

「父には伝えてなかったんですが、記事が出たことで知られてしまい、『大丈夫か』って電話がかかってきました」

 困ったように眉を下げ、そう話すのは、駿河太郎(42才)。「父」とは落語家の笑福亭鶴瓶(69才)のことだ。

 駿河は2003年にシンガーソングライターとしてデビューし、2008年に俳優に転向。2011年のNHK連続テレビ小説『カーネーション』で尾野真千子(39才)演じるヒロインの夫役に抜擢されて注目を浴び、2013年には『半沢直樹』(TBS系)に出演して鶴瓶と親子共演を果たした。昨年は平均総合視聴率20%を超えたNHK大河ドラマ『麒麟がくる』にも出演し、いまやバイプレーヤーとして欠かせない存在といえる。

 私生活では、結婚して一男一女に恵まれ、一家の“大黒柱”である駿河。彼が鶴瓶に「大丈夫か」と心配されているのは、自宅前で起きた交通事故が裁判に発展していると『アサヒ芸能』(2月25日号)で報じられたからだ。

 2018年4月、駿河が都内の自宅車庫に駐車するため軽自動車をバックさせたところ、走ってきたバイクと接触。バイクを運転していたのは50代の男性Aさんだった。警察により事故は「過失運転致傷」として処理された。Aさんは病院で打撲などで「14日程度の加療」と診断されたという。

 一般的に、こうした交通事故は、悪質な運転による人身事故や被害者が重症化した場合などを除き、交通違反の点数の加点など行政処分と民事上の損害賠償の処理へと進む。駿河の事故も損害賠償の話となったが、ここで大きく意見が食い違い、2018年12月にAさんが提訴したのだ。

「それまでAさんは駿河さんが契約する保険会社と示談交渉をしてきました。保険会社は治療費などの一括対応としてAさんに約86万円を支払う用意があったようです。ところが、一連の対応に納得できなかったAさんは、駿河さん個人を訴えた。事故後の治療費や後遺症の慰謝料など約530万円の損害賠償を請求したと報じられました」(芸能関係者)

 訴状によれば、Aさんは駿河がハザードランプで後退の合図や一時停止もしなかったため、Uターンをするものだと思い、バイクをそのまま走らせたところ、急にバックされ、ブレーキが間に合わなかったと主張。一方の駿河は、Aさんは駿河の車の動きを確認していたのに、強引に路肩からすり抜けようとしたために事故が起きたという言い分だ。

 さらにけがの程度についても両者の意見は異なる。Aさんは病院や接骨院などに3か月以上、約90回通院し、後遺障害等級13級の10に該当すると訴えた。だが、駿河側は打撲にかかる通院は「通常は1〜2週間」で、後遺障害についても否定している。双方の意見があらゆる点で対立するため、裁判は長期化。ついに2年2か月も経った。

「長きにわたった裁判も3月3日にようやく判決が出ます。そんな中、報じられてしまったわけですが、駿河さん本人は訴訟が表沙汰になったことより、鶴瓶さんに知られてしまったことがつらかった。彼は父親に迷惑をかけることを何より避けて生きてきましたから」(駿河の知人)

「鶴瓶の息子」がコンプレックス

 駿河は家庭が趣味という愛に溢れた両親のもと、2才上の姉とともに育った。

「鶴瓶さんは長男で末っ子の駿河さんをいまでも溺愛しています。2011年に駿河さんが『カーネーション』のオーディションでヒロインの夫役を射止めたときは、酒を酌み交わして『すごいことやぞ!』と駿河さんを褒めちぎった。『あとはお前次第や。勝手にやってくれ』と言ったそうですが、照れ隠しでしょうね(笑い)」(テレビ局関係者)

 駿河が物心ついたとき、鶴瓶はすでに超のつく有名人。そんな父親に、駿河はコンプレックスを抱えていたという。

「小中学校時代には親友と呼べる友人ができなかったそうです。仲よくなると『太郎くんのお父さん、鶴瓶なの!?』となるから。みんなが自分の後ろにいる父親の存在を見ているような気がして、なかなか友達に心を開くことができなかった。自分の実力で結果を出したり、人に褒められても『親父のおかげかも』と思ってしまう。だから芸能界に入ってからは“鶴瓶の息子”ということをずっと伏せ続けていました」(前出・知人)

 父はそんな息子を慮って、やりたいことができるように気遣いを絶やさなかった。

「駿河さんは母親には『勉強しなさい』と言われていたそうですが、鶴瓶さんからは『勉強せんでもええ』と(笑い)。その助言通りスポーツ三昧でのびのび育ってきた。高3のときはスタイリストを目指していたけど、鶴瓶さんに『おれは大学時代すごく楽しかった。お前にとっても、これからどう生きていくかを考える時間になる』と言われ、大阪芸術大学短期大学部でマスコミ学を専攻しました」(駿河の別の知人)

 当時は“裏方”を目指してドキュメンタリー映像を作っていたが、大学祭でバンドのボーカルとして聴衆の前に立ったことが大きな転機となった。

「歌ってみたら気持ちよかったそうで、突然『ミュージシャンになる』と言い出した。普通の親なら呆れるのでしょうが、鶴瓶さんは『4年制大学に通ってると思って、あと2年、金を出してやるからどっか行ってこい』と。

 その言葉に従って、駿河さんはロンドンに音楽留学。ライブ中の姿が英国在住の日本人プロデューサーの目に留まり、あれよあれよという間に日本のメジャーなレコード会社と契約するに至りました」(前出・別の知人)

 帰国後、生まれ育った兵庫県西宮市を離れて東京に移り、メジャーデビュー。だが、思うようには売れず、生活のためにアルバイトに明け暮れる日々が続いていた。

 当時の親子関係について、駿河は雑誌『ハルメク』(2016年11月号)のインタビューでこう答えている。

《おかんに比べると親父は甘やかすところがあって、一度「これ持っとけ」と5万円をくれました。それはそれでありがたいと思いつつ、この5万円を稼ぐのにおれは8日もかかるんや、これは親父が自分の道で一所懸命稼いだ金なんや、としみじみ感じていました》

 30才で俳優に転向して勝負に出たものの、出演依頼のあったバラエティー番組は、いずれも“鶴瓶の息子”としてのオファーだったため、断っていたという。

 芸能界での、昔よりいっそう“鶴瓶の息子”を意識する毎日に、駿河は「一生背負うことになるなら、自分から認めてしまえばいい」と考えるようになった。そこからの俳優生活は順風満帆。多くの有名作品への出演が叶い、ドラマ以外にCMなどでも親子共演を果たしている。

「この裁判を2年以上も父親に秘密にしていたのは、大好きで尊敬する父に迷惑を掛けたくないから。鶴瓶の息子を背負う覚悟を決めたからこそ、不祥事には敏感になっています」(前出・知人)

 事故現場ともなった自宅前で駿河本人に話を聞いた。冒頭のように語った後、「裁判については相手がいることなので何も話せないんです。申し訳ありません」と頭を下げるのだった。接触事故で訴訟が長期化するケースは稀だが、事故の“傷痕”が双方ともに少しでも浅ければいいのだが。

※女性セブン2021年3月11日号