視聴率の推移をみるに必ずしも順調とは言い難かった朝ドラだが、ここにきて物語が大きく動き始めた。ドラマウォッチを続ける作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が分析した。

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 主演女優がわざわざ、長丁場の朝ドラについてこんな呼びかけをしました。

「12週。是非、是非観てもらいたいです。大切な回になりました」。

 ちょっと異例なことでしょう。率直な思いをインスタで発信したのは、『おちょやん』で主人公・千代を演じる杉咲花さんです。役者にとってはすべての週が勝負だろうと思いますが、たしかに「今週」の朝ドラは重大な転換点にさしかかっていました。

 12週のタイトルは「たった一人の弟なんや」。

 子どもの時に別れ別れになり行方不明だった千代の弟・ヨシヲ。可愛い弟の記憶は、千代の生きる希望そのもの。辛い思いを乗り越えて女優業を続けているのも、ヨシヲに自分を見つけ出してもらう機会を作るため。つまり、弟は千代の存在理由の全てだった。

 その弟が突然目の前に現れたのです。立派に成長した姿で。

 神戸の不動産会社に勤めているというヨシヲは、七三に分けた髪と小こぎれいな背広姿。俄然注目を集めた青年ヨシヲ。いったい、演じているこの役者さんは誰? とザワめく視聴者。顔を見たことない若い男優さんだけど、新人にしてはあまりに役にハマッているし落ち着いている。

 ヨシヲは一見するとボンボン風で、会社員と言われればなるほどと納得する風貌。しかし、実はその正体はヤクザ者でした。「鶴亀をつぶして興行権を奪い取る」という策略で千代に近づくように上から指示されてやってきたのでした。

 胸に刻んだ入墨を見られて姉に正体がばれてしまうと、ヨシヲは思い切り姉を突き放しにかかる。

「今さら姉ぶるな!」
「あんたがおらんようになった何年たったと思うてんの? 会いたいとも何とも思えんかった」
「人のことなんかどねでもええねん。あほくさいわ」
「夢物語はもう聞き飽きた、ヘドが出る」
「どうなろうとかまへん」

 父に捨てられヤクザに拾われて命を長らえたのだから、グレてしまったのも仕方がない。人を信じたくても裏切られ続ければ人間不信になる。

 そう、環境が人を育てるのだ。ヨシヲを通して厳しい現実がヒシヒシと伝わってきました。

 というそのヨシヲを演じているのが「倉悠貴」というデビューしたばかりの新人というから驚き。2年程前、古着屋でアルバイトをしている時にスカウトされて芸能界入りし、それまで芝居も芸能も無縁だったとか。

 2019年、ドラマ『トレース〜科捜研の男〜』(フジテレビ系)で俳優デビューすると、2020年には池田エライザ初監督『夏、至るころ』でなんと映画初主演。そして2月に公開されたばかりのホラー映画『樹海村』では主人公の恋人役を演じ、今後も主演を含め映画数本が公開予定と、引っ張りだこの「金のタマゴ」です。

 チンピラの役というと、ドスが効いたセリフ回しでヤサぐれた感じを演技で出すのが手っ取り早いはず。しかし、ヨシヲはどこか上品で孤独な感じも漂い、姉を前にぺらぺらと平気で嘘もつき、ちょっと一筋縄ではいかない二重の人格。背後に闇を背負うヨシヲを演じる巧さを感じました。

 そんな希有な存在感を持つ新人を登用しただけではありません。

 今週の『おちょやん』がまさしく「ターニングポイント」と言えるのは、千代にも大きな転換が訪れたからです。大坂弁でまくしたて強気でガンガン言い返して生き抜いてきた千代とは、別人の千代が現れた。

 千代にとって弟はアキレス腱でした。弟に「今さら、姉ぶるな」と言われ、「会いたいとも何とも思えんかった」と拒絶された時、千代が垣間見せた決定的な「弱さ」。人としてのギリギリの限界点。どうしようもない哀しさ。生きていくことすら挫折しそうな。

「ヨシヲはうちのたった一人の弟なんや…ヨシヲのためだけやあらへん。このままやったら、うちもあかんようなってしまう」という千代のセリフはぐさっと刺さりました。

 これまで杉咲さん演じる千代という人物はどこか一本調子で、弱さや繊細さが希薄で複雑さが足りない、と私自身コラムで指摘しましたが、強気すぎる千代に感情移入できなかった視聴者も、迷い悩む千代の人間ドラマにグッと引き込まれていきそうです。