映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優の永島敏行が、テレビシリーズ『新宿鮫』に出演して気づいた脇役の面白さと重要性、日本の映画界について感じている危機について語った言葉を紹介する。

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 一九九五年に始まったテレビシリーズ『新宿鮫』(NHK)で、永島敏行は舘ひろし扮する鮫島警部と対立する冷徹なエリート警察官僚を演じている。

「その前の失敗から学んだ役でした。『子象物語』という映画で子象を殺す憲兵役だったのですが、自分の中でなかなか非情になりきれなかった。血も涙もない男になりきって子象を殺さないといけないんですが、その演技ができなかった反省があったんです。

 それに対して『新宿鮫』は、感情をあまり表に出さないという、自分にあまりないものだったから楽しめるところがありました。舘さんの鮫島は既成のルールを破っていく役ですから、そこをどう立てるのかを考えましたね。そうなると、自分が嫌味で非情になればなるほど、鮫島が立っていくという。自分が鮫島に対抗する上でどの色を出せば、鮫島はどのように輝くか。それによって、自分もまた変わっていけるような気がしました。

 主役をやらせてもらっていたデビューの頃は、あまり考えなくても存在があれば、と言われてやっていたことが多かったと思います。ですが、それは脇の人が固めてくれたから、できたことなんですよね。

 脇は脇で楽しい。ドラマは対比が重要ですから。このドラマでここを輝かせるためには、自分の役割をどこに持っていけばいいか。それを考えるのが物凄く好きなんです。

 出番は多くないかもしれないけれど、自分の個性を出しながらも、僕のこのピースは何をすればいいのかな──を考えるのが物凄く好き。

 ですから、芝居をするのが物凄く好きなんです。全てのことが芝居に結びつきますから」

 父親が勝手にオーディションを申し込んだことから始まった役者人生も、五十年近くに積み重なった。映画界に活気があった時代をギリギリ知る世代でもある永島なだけに、現状には危惧を抱いている。

「このままで行ったら、日本の映画界は世界中に負けちゃうんじゃないかという気がするんです。時代がどんどん変わってくる中で──僕にもこうしたらいいという答えがあるわけじゃないんですが──自分も含めてやれることはいっぱいあると思う。

 それを、非力だけども、自分の中ではこれからやっていけたらと思っています。現場でもそんな話をしながら、何か突破口ができたりするんじゃないかと。

 全くのド素人の僕がいきなり映画の主役になったのがいい例なのですが、これをやればこれになるという確かなものってないんですよね。動いて突破口を開くことで、新しい世界に繋がっていくのかなと。

 でも、今は情報が多いから、こうしたらこうなると先に考えて、新しいことに進まない。それは僕もそうなんです。それで生きる世界が狭まってしまう。

 それは役者の仕事だけじゃなくて、スタッフの地位や生活の保障もそう。日本は凄く遅れています。底辺が上がらないと上も上がらない。僕も全くの底辺のフリーだったから、なおのことそう思います」

【プロフィール】
春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。

撮影/藤岡雅樹

※週刊ポスト2021年10月1日号