9月上旬のある日の夕刻。福岡県福岡市内の公園で、Tシャツ姿の男性が肩で息をしながらランニングコースを歩いていた。厳しい残暑が続き、日中は外に出ることもままならないが、陽が傾けば時折、心地よい風が体を撫でる。男性はマリンキャップを目深にかぶり、200mほど歩いてはベンチに腰掛け、また歩き出すといったことを何度も繰り返していた。 

 この日、自宅近くの公園で30分ほどのウオーキングに励んでいた男性は井上陽水(75才)。2019年10月に歌手活動50周年を記念する全国ツアーを行って以来、4年近く音楽活動を休んでいる“消えた大物歌手”である。

 常にマスクを外さないのは第9波に入ったともいわれる新型コロナウイルスを警戒してのことだろう。180cm近い長身が少し縮んだようにも見え、周囲で陽水の存在に気づく人は皆無だった。

《えー、みなさん、お元気でしょうか。僕は元気でやっております。多少、高齢者ですけども。いつの日か、ライブなどでお会いできることを楽しみにしております。Take care & good luck!》

 コロナ禍に陽水が公式ホームページを通じてビデオメッセージを公開したのは2020年10月。その後、表舞台から忽然と姿を消した陽水は、親しい友人や仕事関係者とも長らく連絡を取っていなかった。元マネジャーで音楽プロデューサーの川瀬泰雄氏が言う。

「最後に会ったのはコロナ前、3年以上前になるかもしれないな。ちょっとした世間話を交わしたけど、その後はみんな連絡を取っていないと思いますよ。いまのマネジャーに聞いても『たぶん、元気だと思いますよ』と言っていたし、本当は一緒にやりたい企画があるんだけど『たぶん、やらないと思います』と言われましたから。よほど気が乗らないと動き出すことはないんじゃないかな」

 陽水を師と慕うスガシカオもコロナ禍前から連絡が取れなくなったと言い、盟友のタモリも月刊誌にこんなコメントを寄せていた。

《そろそろ新曲を聴いてみたいですよね。つい最近も「また飲もうよ」とメールを送ったばかりです。でもいまはコロナウイルスの問題もあって、氷の世界に閉じ籠っているみたいですね。まさに断絶です(笑)》(Pen 2020年5月1日・15日合併号)

 親しい人にも居場所を告げず、世俗と“断絶”する陽水。彼がひとりで静かに暮らす場所として選んだのは、生まれ故郷の福岡だった──。

 陽水は1948年8月、福岡県飯塚市生まれ。元軍医で歯科医師の父は息子が後を継ぐことを望んだが、陽水は歯科医大の受験に三度失敗。音楽の道に進むことを決意し、ラジオ番組に自作の楽曲を録音したテープを持ち込んだことがデビューのきっかけとなった。

 1969年、アンドレ・カンドレとしてデビューしたが鳴かず飛ばず。その頃の陽水を知るフォーク界の重鎮、高石ともや(81才)は『週刊ポスト』の取材に当時の印象をこう振りかえっている。

「ギター1本で客ひとりひとりをねじ伏せるような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、近づけないような雰囲気だった。演奏している背中を見ると、なんだか切なかったことを覚えている」(2021年5月21日号)

 1971年に本名の井上陽水に改名して再デビュー。名曲『人生が二度あれば』や『傘がない』を収録したファーストアルバム『断絶』をリリースしたが、当時は吉田拓郎や泉谷しげるらが活躍したフォークブームの全盛期。メッセージ性の強い歌が主流の音楽シーンで、独特な世界観を持つ陽水の詩や曲が受け入れられるまでには時間がかかった。

 ブレークのきっかけは1973年にリリースしたシングル『夢の中へ』。同曲のヒットで『断絶』も連鎖的に売り上げを伸ばし、最終的に50万枚以上を売り上げた。川瀬氏が振り返る。

「何といっても、天才ですよね。声はいいし、歌もいい。最初は『カンドレマンドレ』なんて曲を作ってて、半分ふざけてんのかなみたいな雰囲気もあったけど、たくさん書くうちに独創的な視点を自分の言葉で表現できるようになって、この人は本当にすごいなって思うようになったんです」

 陽水の高く澄んだ歌声は“奇跡の歌声”と称賛され、続く3作目のアルバム『氷の世界』は日本の音楽史上で初めて売り上げ枚数が100万枚を突破する金字塔を打ち立てた。

不倫をきっぱり否定

 一躍時代の寵児となった陽水は拓郎と並んで「フォーク界のプリンス」と呼ばれるようになる。1974年には一般女性と結婚し、翌年には拓郎や泉谷と共にフォーライフ・レコードを設立するなど公私共に順風満帆だった。事態が暗転するのは1976年。わずか2年で結婚生活が破綻し、離婚が成立。さらに翌年9月には警視庁に大麻取締法違反で逮捕されたのだ。

「友人から10万円で譲り受けた20本の大麻を自宅でひとりで吸っていた疑いで現行犯逮捕されました。判決は懲役8か月、執行猶予2年。陽水さんは抗弁することもなく判決に素直に従い、マスコミには沈黙を貫きました。事件から10か月後に再起を賭けて発表したアルバムのタイトル『ホワイト』には、白紙からの再出発という意味が込められていたといいます」(ベテランジャーナリスト)

 当時、朝日新聞記者だった故・筑紫哲也さんが「マリファナは日本では違法であるが、井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」と発言したことも、陽水の早期復帰を後押しした。事件後も陽水神話は色あせることなく、逮捕された年の長者番付でも推定年収約1億円で歌手部門のトップにつけている。

 現在の妻・石川セリ(70才)と再婚したのは1978年8月。円熟期を迎えた陽水はその後も音楽史に残る数々のヒット曲を世に送り続けた。

「1984年には元バックバンドの安全地帯に歌詞を提供した『恋の予感』と、中森明菜さんのために作った『飾りじゃないのよ涙は』が大ヒット。自身の『いっそセレナーデ』と3曲並んで歌番組のヒットチャートを独占し、『氷の世界』がミリオンを達成した時代に次ぐ“第二次陽水ブーム”と称されました」(芸能リポーター)

 結婚生活は今年で45年目を迎えた。セリとの間に一男二女をもうけたが、長らく別居状態が続き、不仲説が取りざたされたこともあった。長女で歌手の依布サラサ(39才)は著書で両親のことをこう綴っている。

《ひとつ、たしかに言えることは、私から見てあの夫婦は「いい感じ」です。もちろん険悪なムードが漂う時もなくはないですが、信じられないくらい仲良しな時もあります。まあ、どこの夫婦もそうなんじゃないかなって思うけれど》(『長い猫と不思議な家族』祥伝社)

 セリが2人の娘を連れて福岡に移住したのは2011年頃。きっかけは東日本大震災だったとされているが、同時期に陽水と元オセロの中島知子(52才)の不倫疑惑が報じられたことも“遠距離別居”の要因ではないかとささやかれた。後に中島は「もじゃもじゃ頭のかたとは、何もありません」と不倫をきっぱり否定したが、セリの母親は『女性自身』の取材にこう答えていた。

《実は私も心配で孫に聞いたんです。『お父さん(陽水)に心配な話が出てきたね』って。そしたら『あれはもう終わった話なんだって。もう少しで鎮まるからババは心配しなくていいよ』って言っていました》(2011年8月23・30日合併号)

 セリの母親は同誌に結婚当初から夫婦げんかが絶えなかったことや、セリが家族を守るために「絶対に離婚はしない」と宣言していたこと、陽水が「家に帰ってもおれの居場所がない」とボヤいていたことなども赤裸々に明かしている。一方で、陽水には子煩悩な一面もあり、スマホの待ち受け画面を孫の写真にして「おれはいままで女をこんなに愛したことはない」と周囲に語っていたこともあったという。

「フッ」「事務所に聞いてね」

 その陽水が東京を離れ、福岡に移り住んだのも、家族の近くにいたいという心境の変化の表れかもしれない。2020年11月に福岡に新築マンションを購入し、翌年、個人事務所の代表取締役を辞任。長男に社長の座を譲ると、東京・渋谷区にあったオフィスも引き払った。ゆっくりとではあるが、着実に“終活”の準備を進めているようにも見える。陽水の代表曲のひとつ『少年時代』を共作したプロデューサーの川原伸司氏が語る。

「福岡に引っ越したのは数年前。仕事があるときは東京に出てきたりっていう感じでしたけど、ここ最近はこんな(コロナ禍)状態だったから、頻繁に行き来ができずにいたんですよ。

 人と会うのも大事なことかもしれませんが、会わなくていいっていうのは精神的に楽なんでしょうね。井上さんには長年、築き上げたキャリアがあるし、いま何かしなきゃいけないっていう必然性もない。時々、ショートメッセージでやり取りしているけど、体調にはまったく問題ないし、いたってお元気ですよ」

 実は陽水は過去にも二度、表舞台から姿を消したことがある。一度はアンドレ・カンドレとしてデビューしたものの、まったく売れずにアルバイトや麻雀に明け暮れていた時代だ。さらに1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表した後も、次のアルバム『九段』を発表するまでに3年半の空白期間があった。

「全国ツアーに関しては1999年までの5年間、一度も行いませんでした。もっとも、その間に奥田民生さんとユニットを組んだり、小泉今日子さんやPUFFYに曲を提供するなどの活動は続けていたので、ここまで長い休養は初めてのことかもしれません」(前出・芸能リポーター)

 陽水にはまだ世に出てない未発表曲が複数あり、レコーディングを行っていない曲もあるというが、「もともと冬は喉がガラガラになるため歌わない方針。現段階で何も予定が入っていないことから、少なくとも今年いっぱいは活動することはなさそうです」(音楽関係者)。

 盟友の拓郎は「残された時間は少ない」と言って音楽活動から引退し、陽水と共作のあるシンガーソングライターの小椋佳(79才)も「体力の限界」を理由に歌手活動から身を引いた。陽水もこのままフェードアウトする可能性はあるのだろうか。前出の川瀬氏が語る。

「一緒にやっていた頃は、彼はずっと歌を作り続けていくんだろうなという感じがありました。ただ、ここまで活動しないと、もはや本人の中でそういう気持ちが出てこないと(活動再開は)難しいかもしれない。こればっかりは本人にしかわからないことですけどね」

 陽水が『人生が二度あれば』で歌ったのは、65才で老境を迎える父の姿だった。この8月末に75才の誕生日を迎え、自らを「高齢者」と呼ぶ陽水はいま何を思うのか。福岡で本誌が声をかけると、陽水は「フッ」と不敵な笑みを浮かべ、その後は何を聞いても「事務所に聞いてね」と言うばかり。その事務所に今後の予定について尋ねたが期限までに回答はなく、セリの事務所も同様だった。前出の川原氏はこう語る。

「井上さんは昔から冗談半分で『何も言わずに、フッと引退するのもいいですよね』と言っていました。そもそも彼はビジネスで音楽をやっているわけじゃないし、本人が何かやりたいって思わない限りは何も起きない。人から望まれなくなったら引退という考えを持ったかたなんです。たとえそうだとしても自ら言うことはないでしょうしね」

 奇跡の歌声を多くの人が待ち望んでいる。

※女性セブン2023年9月28日号