プロ野球・読売巨人軍の原辰徳監督(62)が、桑田真澄氏(52)に与えた役職は「投手チーフコーチ補佐」。

 宮本和知投手チーフコーチ(56)を支える立場だが、球団OBは「事実上、技術的な指導は桑田コーチが一手に担うことになる」と見ている。

「宮本さんは現役時代から一貫して“ムードメーカー”。細かいことは気にせず、チームの雰囲気を第一に考える。一方で桑田さんは球界屈指の理論派で、練習内容や普段の生活にも“哲学”を求めるタイプ。現役時代の成績も桑田さんのほうが段違いに上。宮本さんは選手の育成について桑田さんに任せるしかないでしょう。原監督も“桑田のやり方で選手を育ててチームを強くしてほしい”と話している」

 桑田氏にとっても今回のオファーは嬉しさ一杯だったようだ。

「原監督は“去年の12月に話をした”と言っていたが、実際はもっと急な話だったようです。元日に原監督から電話をもらい、5日に面会。その1週間後の12日には入団発表ですから。巨人は“出戻り”を許さないと言われており、桑田さんももう巨人のユニフォームを着ることはないと諦めていた。そんな中でのコーチ要請に、桑田さんは心から喜んでいた」(同前)

 桑田氏にプロでのコーチ経験はない。しかしその求道者ぶりは現役時代からよく知られている。

 川崎のジャイアンツ球場の外野には「桑田ロード」と呼ばれる道がある。トミー・ジョン手術からの再起を図る間に黙々と走り込みを行なったことで、そのランニングコースだけ芝生が剥げ落ちてしまったのだ。

 2007年にメジャー挑戦した際は、パイレーツの投手が次々と“クワタ信者”になった。当時39歳で球威の衰えは隠せなかったが、多彩な変化球、投球術を目の当たりにして教えを請う若手投手が続出。桑田氏の周りには常に人だかりができていた。

 ベテランの巨人番記者がいう。

「いつも柔和な表情で、教えを請う若手には技術を惜しみなく伝えるが、一方で野球に対して誰より厳しい。練習に手を抜いたり、自分を律することができない人間には冷酷さを見せることもある」

 桑田氏の“厳しさ”をよく表わすエピソードがある。現役時代、桑田氏は球団に「禁煙」を直訴。桑田氏の意見に押され、1995年の第二次長嶋政権では、キャンプや移動のバス、ロッカールームが禁煙となった。

 藤田元司監督時代、一軍投手コーチとして桑田を指導した中村稔氏がいう。

「プロ野球選手は体が資本。桑田の主張はもちろん正論です。しかし、当時は喫煙選手が大半で面白くないと思った先輩もたくさんいたでしょう。それでも自分が正しいと思ったことは必ず通す頑固さが桑田にはある。

 入団4年目に就任した藤田監督が、股関節の開くフォームを直そうとしたが、桑田は頑として受け入れず、瞬間湯沸かし器といわれた監督が激怒したときは間に入って苦労しました。あの頑固さに慣れていない若手はきっと苦労するでしょう」

※週刊ポスト2021年2月5日号