1964年の東京五輪で銅メダルを獲得したものの、“東洋の魔女”の金メダルの陰でまったく注目されなかった男子バレーボールチーム。8年計画で1972年ミュンヘン五輪金メダルを目指した松平康隆監督が発掘し、「世界の大砲」のキャッチフレーズをつけた長身アタッカーが大古誠司だった。大古氏が振り返る。

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 東京五輪後、コーチから監督に就任した松平さんは大型選手をかき集めていました。身長194センチの横田忠義、森田淳悟、私の「“94トリオ”で世界を目指す」と公言していました。

「バレーだけが強くてもダメだ。世界一になるのに相応しい人間でなければいけない」というのが松平さんの持論で、まず教えられたのが人間としてのマナー。

「世界を舞台に戦うには、国際感覚を身につけていなければ、相手に対して失礼だ」と言われ、ナイフやフォークの使い方といった一般的な食事の作法はもちろん、相手国特有の礼儀やマナーも覚えました。

 合宿では午前中に英語、夜にはライバル国の歴史や国民性、経済、政治の勉強もしました。海外遠征では、松平さんが「名所旧跡を回ってその国の勉強をしよう」と言って、全員で訪れました。

 世界一になるためには、人間としても超一流でなければいけない。

 1968年のメキシコ五輪では銀メダルを獲りましたが、松平さんは「金メダルが獲れないのは、金メダルに相応しくないからだ」と。金メダルに相応しいほどには、我々が成長できていなかったということです。

〈一方で松平は、男子バレーの知名度を上げるために自ら企画を持ち込み、ミュンヘン五輪までの4か月間を追うリアルタイムのドキュメントアニメ『ミュンヘンへの道』(TBS)を実現させた。そこには逆立ちで9メートル歩いたり、コーチがボールに紐をつけて鎖鎌のようにぐるぐる回すのをマット上に伏せた選手がジャンプして避けるなど、奇抜な練習風景が描かれていた〉

 僕は逆立ちが苦手でしたが、コート幅の9メートルを逆立ちで歩けなければチームから追い出すと言われたし、同い年の横田や森田がやるから、頑張るしかない。その頃はなぜバレーボールに逆立ちが必要なのかと思っていましたが、全員にフライングレシーブを習得させ、徹底的に球を拾わせた。空中に飛んでレシーブした時に受け身を取るには腕の力を鍛えることが必要だったんです。

 松平さんは時間差攻撃やBクイック、Cクイックといったいろいろな技を生み出しました。森田が「一人時間差」を得意としていたように、選手が自分なりの表現、自分にできることを探すという指導も受けていました。

 金メダルを獲った時にチーム全員で松平さんを胴上げした瞬間は、まさに“松平一家”にとって8年間の集大成でした。

※週刊ポスト2021年7月2日号